細雪 (1983年の映画)

1983年の映画

細雪』(ささめゆき)は、谷崎潤一郎の『細雪』を原作に1983年5月21日に公開された日本映画。製作は東宝映画。配給は東宝フジカラービスタビジョン。上映時間は140分。東宝創立50周年記念映画。

細雪
The Makioka Sisters
監督 市川崑
脚本 日高真也
市川崑
原作 谷崎潤一郎
製作 市川崑
田中友幸
出演者 吉永小百合
佐久間良子
古手川祐子
伊丹十三
石坂浩二
岸恵子
音楽 大川新之助
渡辺俊幸
撮影 長谷川清
編集 長田千鶴子
製作会社 東宝映画
配給 日本の旗 東宝
公開 日本の旗 1983年5月21日
上映時間 140分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 9.5億円[1]
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製作編集

原作の発表から映画化に意欲を燃やしていた市川崑は、当時、東宝のプロデューサーだった馬場和夫に東宝50周年の記念映画として企画を提案し、宣伝部長だった林醇一と製作補佐の高井英幸も賛同して映画の製作が始まった。しかし脚本を作る段階で市川は、戦前の作品である原作を戦後の人々が共感する映画に仕立てる難しさを感じ、元脚本家で市川の妻だった和田夏十にも「なぜあなたが今これをやりたいのか、私には解らない」と指摘され、和田の指示の元、レジュメを脚本家の日高真也と書き上げて和田に提出するが、「やっぱり、私が危惧したように、今、これを取り上げる意味はないんじゃないかと思う」とダメ出しされた。しかし、どうしても映画化を諦めきれない市川に、和田は「思い切って、こういう女性たちは現代にいないという視点から考えてみたらどう?」と助言し、それを基に公開当時の人々に媚びる方針は撤回され、さらに原作で数年越しの話を、桜の花見から始まって雪で終わる1年の出来事に凝縮し、『神戸の大水害』や『外国人一家の話』、『蛍狩り』などの逸話も悉くカットして、主人公4姉妹の日常生活のみを描くという話に終始する脚本の初稿が、半年かけて書き上げられた。撮影に当たっては、戦前の昭和10年代の船場の旧家の生活を再現するために、当時の着物が関西からレンタルされたが数が足りず、着物メーカーの『三松』の社長である斉藤寛の協力の元、数億円分の衣装がメーカー負担で制作提供された。また役者が話す台詞に対しては、舞台である船場の言葉が通常の関西弁とは異なるため、事前に原作者である谷崎潤一郎の夫人である谷崎松子に台本チェックを依頼して台詞校訂を行った上で、さらに撮影当日は方言指導の担当者を毎日現場に呼んで、イントネーションの僅かな違いを徹底的に修正するという作業が行われた。1983年の1月下旬に撮影はクランク・アップし、5月下旬に映画は公開された。後年、「当時としては会社があんまり喜ぶ企画ではなかったでしょうね。お金がかかるし、それに再々映画化だしね」と市川が回顧する程、映画の不入りが危惧されたが、80年代のお嬢様ブームも相まって映画はヒットを記録した[2]

スタッフ編集

出演編集

エピソード編集

  • はじめ、蒔岡鶴子役は山本富士子に主演を依頼していたが、当時の彼女は舞台中心に活動していたために、半年もの交渉の末に[3]出演を拒否した。市川崑監督が当時パリ在住の岸惠子に出演を国際電話で依頼し、「仕方ないからあんたに」「ミスキャストで申し訳ないが」「惠子ちゃんの関西弁ヘタなんやけれど山本富士子断れて困っとるんや」と懇願され、即答で引き受けて一時帰国したエピソードを岸自身が「市川崑監督を偲ぶ会」で披露した。また、これらの経緯は日経新聞の1か月連載『私の履歴書』で岸が詳細に書いている。その結果、佐久間良子と岸で物語を牽引して上質な作品にすることに成功している。さらにこの映画を見た山本富士子は「出演していればよかった」と後悔の念を語ったと言われている。
  • 古手川祐子の入浴シーンも湯気の上がり方が気に入らないと3回撮り直すなど、監督のこだわりが随所に表れている。
  • ラストの花見の回想に入る直前の小料理屋における貞之助と女将のシーンは、監督夫人で脚本家の和田夏十が執筆した。当時の和田は病気療養中であり、しかも休筆以来滅多にシナリオを書くことはなかったが、この場面だけは「サーッと書いてくれた」という。本作は1983年1月下旬にクランクアップしたが、和田は完成した作品を観ることなく2月18日に逝去したため、本作が実質的な遺作となった。病状が急変する前、それまでに撮り終えた場面のラッシュを市川監督がビデオに起こして自宅で観せたところ、和田は「養子の2人の男性が素晴らしい」「あの2人がとてもうまく描けているから成功しているんじゃないか」と喜んでいたという。
  • タイトルバックの平安神宮の桜は、製作が正式決定する前の春に撮影された本物であるが、劇中での花見場面の桜は、広沢の池で撮影された時期が冬であったため、全て造花である[4]
  • 劇中、バーの店内にグリーンの照明を使用したり、暗室に赤色のシーツを使用する等、大胆な色彩設計がなされているが、これは監督の市川崑が好んでいた画家エミール・ノルデの画風が参考基になっている[4]

受賞歴編集

  • 第29回アジア太平洋映画祭作品賞、最優秀監督賞(市川崑)、最優秀美術賞(村木忍)
  • 第1回ゴールデングロス賞優秀銀賞
  • 1983年キネマ旬報ベストテン日本映画2位、助演男優賞(伊丹十三)
  • 報知映画賞助演男優賞(伊丹十三)
  • ブルーリボン賞ベストテン入選、
  • 毎日映画コンクール日本映画優秀賞、美術賞(村木忍)
  • 文化庁優秀映画選出
  • ベネチア国際映画祭正式出品
  • ソビエト=日本映画祭出品
  • 1989年「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文藝春秋発表)第146位

脚注編集

  1. ^ 「1983年邦画4社<封切配収ベスト作品>」『キネマ旬報1984年昭和59年)2月下旬号、キネマ旬報社、1984年、 116頁。
  2. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P322 ~329
  3. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P329
  4. ^ a b 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P328

参考文献編集

  • 『シネアスト 市川崑』(キネマ旬報社)
  • 『市川崑の映画たち』市川崑・森遊机(ワイズ出版)

関連項目編集

外部リンク編集