継松寺

三重県松阪市にある高野山真言宗の仏教寺院

継松寺(けいしょうじ)は、三重県松阪市中町にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は岡寺山であり、通称・岡寺と呼ばれている。本尊は如意輪観世音菩薩。厄除け観音として知られ、毎年3月の初午大祭は多くの参拝客で賑わう[1][2][3]

継松寺
所在地 三重県松阪市中町1952番地
位置 北緯34度34分41.7秒 東経136度31分56.8秒 / 北緯34.578250度 東経136.532444度 / 34.578250; 136.532444座標: 北緯34度34分41.7秒 東経136度31分56.8秒 / 北緯34.578250度 東経136.532444度 / 34.578250; 136.532444
山号 岡寺山
院号 如意輪院
宗旨 古義真言宗
宗派 高野山真言宗
本尊 如意輪観世音菩薩
創建年 (伝)天平15年(743年
開山 (伝)行基
開基 (伝)聖武天皇
正式名 岡寺山如意輪院繼松寺
別称 岡寺
札所等 三重四国八十八ヶ所81番
伊勢西国三十三所観音霊場8番
東海三十六不動尊霊場26番
東海新西国霊場20番
文化財 【三重県指定文化財】
絹本着色普賢延命菩薩像、紙本著色曽我蕭白筆 雪山童子の図
【松阪市指定文化財】
継松寺書院、継松寺鐘楼、銅鐘 辻越後守重種作、銅製香炉 銘韓天寿書、銅燈籠 辻越後守重種作、絹本著色両界曼荼羅図、岡寺版集帖板木 並びに関係資料
法人番号 3190005006772 ウィキデータを編集
継松寺の位置(三重県内)
継松寺
継松寺
継松寺 (三重県)
テンプレートを表示

沿革 編集

寺伝によれば、天平15年(743年)に聖武天皇の勅願により、行基が如意輪観音を本尊として飯高郡石津郷(現・松阪市石津町)に創建したとされる[4][5]

天平勝宝2年(750年)に大洪水で堂宇や本尊が流出し、二見浦に住む三津五郎右衛門という人物が海中で本尊を見つける。三津五郎右衛門は出家し、継松法師と名乗って寺を再興したという。この「継松法師」の法号が、寺号の由来となる[4][5]

近世に入って現在地に移転したが、その時期については、天正年間(1573年-1593年)に蒲生氏郷松阪城を築城する際[5]とも、慶長17年(1612年)に松坂藩主・古田重治による[6]ともされる。

江戸中期の住職・快雄は、韓天寿による法帖の模刻に協力しており、天寿と親交のあった池大雅が伊勢来遊の折には、同寺へ逗留し書画を残した。江戸後期には、天寿の足跡を訪ねた貫名海屋が一時滞在している[7]

初午大祭 編集

初午大祭は毎年3月の初午の前後3日間に行われ、厄年の男女、特に振袖で着飾った19歳の女性で賑う[3]。参道には多くの露店が並び、「厄を弾き去る」の語呂合わせから弾き猿が、また「厄をねじ伏せる」の語呂から「ねじりおこし」が売られる[3][8]。また、参拝の際には下を向いたり、後ろを振り返ったりしてはいけないという言い伝えもある[3]

初午当日(大祭2日目)には、一般公募の厄年の女性が駕籠を中心にして、着物姿で市街地から寺まで練り歩く「宝恵駕籠道中行列」が行われる[9]明治時代に始まったもので、第二次世界大戦後は一時途絶えていたが、地元の有志によって平成21年(2009年)に復活した[10]

なお、「厄落とし」と称してハンカチを境内に落としていく習わしがあるとされ、境内に備え付けられた段ボール箱にハンカチを入れていく人も多い[3]が、継松寺側は公式ホームページで「古くからある習慣ではありませんし、お寺ではおすすめしておりません。」としている[11][注釈 1][注釈 2]

文化財 編集

三重県指定文化財
  • 絹本着色普賢延命菩薩像(昭和27年3月13日指定)[14][15]
  • 紙本著色曽我蕭白筆 雪山童子の図(昭和50年3月27日指定)[16][17]
松阪市指定文化財
  • 継松寺書院(昭和35年12月1日指定)[18]
  • 継松寺鐘楼(昭和35年12月1日指定)[19]
  • 銅鐘 辻越後守重種作(昭和35年12月1日指定)[20]
  • 銅製香炉 銘韓天寿書(昭和35年12月1日指定)[21]
  • 銅燈籠 辻越後守重種作(昭和35年12月1日指定)[22]
  • 絹本著色両界曼荼羅図(平成22年3月11日指定)[23]
  • 岡寺版集帖板木 並びに関係資料(平成22年3月11日指定)[24]

注釈 編集

  1. ^ 2006年の新聞記事では、「三十年ほど前から」見られる風習、と紹介している[12]
  2. ^ 同じ三重県にある、伊勢市松尾観音寺では、「当寺独特の風習」として『初午大祭の祈祷を受けた帰りに、身に着けていたものを一つ落として行く』ことを公式ホームページで紹介しており、その中に「ハンカチ」を例示している[13]

出典 編集

  1. ^ 三重県の地名 1983, p. 517.
  2. ^ 三重県 2009, p. 465.
  3. ^ a b c d e 亀井 2016, p. 184.
  4. ^ a b 三重県の地名 1983, p. 516.
  5. ^ a b c 三重県 2009, p. 464.
  6. ^ 継松寺の歴史”. 継松寺. 2019年3月17日閲覧。
  7. ^ 三重県 2009, p. 464-465.
  8. ^ 松阪市観光協 初午まつりポスター完成 交通規制図のチラシも 三重”. 伊勢新聞 (2018年1月26日). 2019年3月17日閲覧。
  9. ^ 着物姿の女性ら中心商店街練る 松阪で宝恵駕籠道中行列”. 伊勢新聞 (2017年3月10日). 2019年3月17日閲覧。
  10. ^ 「着物の袖振り厄まいり 松阪の継松寺 60年ぶり 宝恵かご行列」、中日新聞2009年3月2日付朝刊(三重総合版)、15頁。
  11. ^ 住職より”. 継松寺. 2019年3月17日閲覧。
  12. ^ 「厄よけ 初日に5万人 松阪 岡寺山継松寺で初午大祭 あすまで」、中日新聞2006年3月6日付朝刊(三重総合版)、21頁。
  13. ^ 厄除け Q&A(本当の初午の日)”. 松尾観音寺. 2019年3月14日閲覧。
  14. ^ みんなで、守ろう!活かそう!三重の文化財 / 情報データベース / 絹本着色普賢延命菩薩像”. 三重県教育委員会. 2019年3月17日閲覧。
  15. ^ 普賢延命菩薩像(継松寺):指定文化財 市街地区”. 松阪市 (2012年2月20日). 2019年3月17日閲覧。
  16. ^ みんなで、守ろう!活かそう!三重の文化財 / 情報データベース / 紙本著色曽我蕭白筆「雪山童子の図」”. 三重県教育委員会. 2019年3月17日閲覧。
  17. ^ 紙本著色曽我蕭白筆 雪山童子の図(継松寺):指定文化財 市街地区”. 松阪市 (2012年6月12日). 2019年3月17日閲覧。
  18. ^ 継松寺書院:指定文化財 市街地区”. 松阪市 (2012年2月20日). 2019年3月17日閲覧。
  19. ^ 継松寺鐘楼:指定文化財 市街地区”. 松阪市 (2012年2月20日). 2019年3月17日閲覧。
  20. ^ 銅鐘 辻越後守重種作(継松寺):指定文化財 市街地区”. 松阪市 (2012年2月20日). 2019年3月17日閲覧。
  21. ^ 銅製香炉 銘韓天寿書(継松寺):指定文化財 市街地区”. 松阪市 (2012年2月20日). 2019年3月17日閲覧。
  22. ^ 銅燈籠 辻越後守重種作(継松寺):指定文化財 市街地区”. 松阪市 (2012年2月20日). 2019年3月17日閲覧。
  23. ^ 絹本著色 両界曼荼羅図(継松寺):指定文化財 市街地区”. 松阪市 (2012年2月20日). 2019年3月17日閲覧。
  24. ^ 岡寺版集帖板木並びに関係資料(継松寺):指定文化財 市街地区”. 松阪市 (2012年2月21日). 2019年3月17日閲覧。

参考文献 編集

  • 『三重県の地名(日本歴史地名大系 ; 24)』平凡社、1983年。ISBN 4-5824-9024-7 
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会 編『三重県 総説・地名編(角川日本地名大辞典 ; 24)』(オンデマンド版)角川学芸出版 , 角川グループパブリッシング(発売)、2009年。ISBN 978-4-0462-2933-5 
  • 亀井千歩子『47都道府県和菓子/郷土菓子百科』丸善出版、2016年1月25日。ISBN 978-4-621-08975-0 

外部リンク 編集