継枝王(つぐえ の おう、生年不詳 - 承和13年10月27日846年11月19日))は、平安時代初期の皇族桓武天皇の孫。中務卿伊予親王の長男。位階従四位下

経歴編集

大同2年(807年)に発生した伊予親王の変により、父・伊予親王謀反の罪に連座し、弟の高枝王らとともに兄弟3人は遠流となる。配流先では生計を立てることもままならず、生活は困窮を極める。伊予親王を廃した平城天皇に替わって即位した嵯峨天皇は、罪のない伊予親王の子息が困窮している事を哀れみ、弘仁元年(810年)に継枝王を含む兄弟に恩赦を与えて平安京への入京を許す。この際、没収されていた親王の財産・家土地も返還されたが、幼い兄弟は相談の上でこれを男女均等に分配する。これらのことは世の人々の涙を誘ったという[1]

弘仁14年(823年淳和天皇即位に伴い、無位から従四位下直叙される。その後、弟の高枝王が諸官を歴任するとともに、承和8年(841年)には従四位上に叙せられ位階を越えられてしまうが、継枝王は叙位任官の記録がないまま、承和13年(846年)10月27日卒去。最終官位散位従四位下。

官歴編集

日本後紀』による。

脚注編集

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  1. ^ 『日本文徳天皇実録』天安2年5月15日条

参考文献編集