綱島温泉
綱島温泉(つなしまおんせん)は、神奈川県横浜市港北区綱島・樽町(旧:琵琶畑下)・大曽根にある温泉。
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![]() ラヂウム霊泉湧出記念碑 (2010年4月10日) | |
温泉情報 | |
所在地 | 神奈川県横浜市港北区綱島 |
交通 | 鉄道:東急東横線綱島駅下車 |
泉質 | ナトリウム - 炭酸水素塩泉(黒湯) |
泉温(摂氏) | 18 °C |
pH | 7.9 |
綱島ラジウム温泉 東京園(休業中) | |
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料金 |
<開店〜16時まで> 大人900円・小学生600円・幼児無料 ※入浴時間が1時間半以内の場合、400円払い戻し。 <16時以降> 大人450円・小学生180円・幼児2名迄無料 |
営業時間 |
10:30 - 21:00 定休日:12月31日 |
所在地 |
横浜市港北区綱島1-8-11 北緯35度32分11.4秒 東経139度38分08.9秒 / 北緯35.536500度 東経139.635806度 |
交通 | 東急東横線綱島駅(東側)から徒歩3分 |
泉質 | 温泉の泉質等については上記、綱島温泉テンプレート内の「温泉情報」を参照。 |
開業年 | 1946年(昭和21年) |
外部リンク | 公式ページ |
特記事項 | ラジウムエマナチオン(ラドン)の検出によりラジウム温泉としているが、現在の基準では放射能泉に該当しない[1]。 |
戦前・戦後は、“東京の奥座敷”と呼ばれ大きな温泉街であったが、現在は数軒の日帰り入浴施設や温泉銭湯が残り、その名残を止めている程度である。
泉質編集
温泉街編集
かつては約80軒もの宿泊施設があり、東京近郊の温泉地として賑わいをみせていたが、時代の変化に伴い廃業が相次いだ。特に1964年に東海道新幹線が開業したことにより、熱海や箱根、伊豆などへ日帰りで行けるようになったことが追い討ちをかけ、最後まで残った横浜市教職員互助会「浜京」も2008年3月15日をもって閉館・解体され、宿泊施設はなくなった[2]。
一方、その他の温泉施設としては綱島街道沿いにある日帰り入浴施設「綱島ラジウム温泉 東京園」(無期限休業中)や銭湯の「富士乃湯」及び「太平館」が現在も存在している。このほか、ビジネス旅館(きよ水・まつ代・ことぶき旅館等)、解体されていない建屋(入船・長楽園 (現・大綱会館) 等)にその面影を留めている。
東京園は歌手の三橋美智也が下積み時代にボイラーマンをしていたことでも知られ、過去には地元小学校の校舎建築チャリティーコンサートにも協力していた[3]。大広間の休憩室にはエアコンがないが、夏は窓からの風で涼むのが心地よい[2]。また、飲食物の持込に制限がないことから、湯上り客が本を読んだり弁当を食べたりしてくつろいでいる姿が見受けられる[2]。時折若者たちが楽器を持ち寄りコンサートを開くこともあり、世代を超えて広く親しまれていた温泉である[2]。しかし、神奈川東部方面線(東急・相鉄直通線)の工事(工期は4年程の見通しだったが、2016年8月に7年以上に変更となった)の影響で2015年5月19日より無期限休業しており[4]、今後については仮店舗という形で銭湯のみの営業再開を検討しているという[5](休業から1年後には建物もなくなっており、再開の見込みについては2019年5月時点で不明[6])。
2016年4月、港北区樽町に新たな日帰り温泉施設「綱島源泉 湯けむりの庄」がオープンした[7]。
歴史編集
- 1914年 - 地元の人が井戸を掘ったところ赤い水が湧いたため調べた結果、温泉と分かりラジウム温泉と認められる[1]。この場所は、現在の綱島駅から鶴見川を越えた港北区樽町である。
- 1917年 - 最初の銭湯が開業する。
- 1926年2月14日 - 東京横浜電鉄神奈川線が開通し、綱島温泉駅が開業する。駅前には温泉街が形成され、無料の入湯券が配布されるなどのキャンペーンがあり[8]賑わいをみせる。
- 1927年 - 東京横浜電鉄の直営として「綱島温泉浴場」を開業。「温泉遊園地 多摩川園」にならって遊園地にする計画は、資金不足の関係でスタート時は断念された[8][9]。
- 1930年代 - 旅館では不義や親類に認められない男女の心中事件が度々起こる(連れ込み旅館的要素も大きかった)
- 1933年3月 - ラヂウム霊泉湧出記念碑建立。
- 1941年 - 太平洋戦争が始まり、旅館業の廃業命令がでる。
- 1944年10月20日 - 綱島温泉駅が綱島駅に改称。
- 戦中は一時下火となったが、戦後、温泉街・芸者街(花街)として復活し、観光目的や湯治目的の他に、接待目的のいわゆる「社用族」の利用が多く、「東京の奥座敷」や「関東の有馬温泉」などとも呼ばれ、アメリカ兵の特殊慰安所としても機能したようである[3]。また性行為目的の「連れ込み宿」(平屋建ての離れ形式が多かった)も立ち並んでいた。
- 1946年 - 「東京園」が開業。
- 1962年 - 綱島温泉芸妓組合置屋数19軒(見番2軒)。
- 1964年10月1日 - 東海道新幹線(東京-新大阪)が開業。
- 1965年3月10日 - 警視庁による暴力団壊滅作戦(錦政会(稲川会の前身)に対する第一次頂上作戦)の一環として、温泉旅館石水亭の賭場を捜査。この捜査にて前年5月賭博に歌手水原弘が関与したことが発覚する。
- 1968年4月25日 - 東名高速道路(東京IC-厚木IC、富士IC-静岡IC、岡崎IC-小牧IC)が開通。
- 1969年3月19日 - 小田原厚木道路(厚木IC-小田原西IC)が供用開始。
- 1970年以降 - 交通の発達と共に箱根や伊豆が首都圏の保養地としての地位が上ったため、相対的に旅館の数が減少。それと相俟って1970年以降は都心へのアクセスの良さなどに着目したマンションデベロッパー、資材販売会社などが、駅西口を中心に温泉旅館の用地買収を強化(行楽園・鶴水旅館・梅島館・嬉野旅館・千草及び周辺の芸妓置屋・検番など)。
- 1975年9月 - 東口にある「東京園」が不審火により火災。1,719㎡を焼損し、しばらく休業するも、署名運動などを受け、2年後に再開。
- 1976年 - 近年の状況を踏まえ、主に周辺で温泉旅館を営んでいた地権者らが西口再開発協議会を設立。その後、イトーヨーカドー(パデュ通り)を中心とした商業地への転換と共にベッドタウン化が急速に進むこととなった。
- 1980年頃 - 東口にある老舗旅館「割烹旅館入船(旧称:入船亭)」が閉店(現在も建築物は遺されている)。
- 1994年2月 - 一般の宿泊施設としては最後の、「割烹旅館水明(旧称:水明楼)」が閉店。
- 2004年 - 東口駅前にあるビジネスホテル「春日家」(元温泉旅館)が閉店(この頃は温泉・割烹旅館から、休憩・商談を目的としたビジネスホテルやラブホテルへの転業が多くあった)。
- 2008年3月15日 - 宿泊施設としては最後の、横浜市教職員互助会「浜京」が閉店。これをもって、「綱島温泉」の旅館業が全て廃業となる。
- 2015年5月19日 - 「東京園」が神奈川東部方面線(東急・相鉄直通線)の工事の影響で無期限休業した[5]。
- 2016年4月21日 - 「綱島源泉 湯けむりの庄」が開業。駅からは少し離れているが、本格的な日帰り温泉施設が復活した[7]。
- 2019年2月15日 - ラヂウム霊泉湧出記念碑が旧建立場所から移転[6][10]。
アクセス編集
参考文献編集
- 佐野憲太郎 (2014年8月12日). “(各駅停話:163)東急東横線:14 綱島 のんびり自由なレトロ温泉”. 朝日新聞(夕刊): p. 7 2014年8月12日閲覧。
脚注編集
- ^ a b 綱島温泉東京園(関東周辺 立ち寄り温泉みしゅらん)
- ^ a b c d e 佐野憲太郎 2014.
- ^ a b “第64回:綱島温泉の記憶 -その3-”. 港北区の歴史と文化. 公益財団法人 大倉精神文化研究所 (2004年4月). 2014年4月13日閲覧。
- ^ 神奈川新聞社 - カナロコ. “綱島温泉幕また一つ 「東京園」が19日を最後に無期限休業”. 2015年7月7日閲覧。
- ^ a b 68年の歴史に幕!? 綱島の歴史ある温泉施設「東京園」閉店の経緯とは?(はまれぽ.com 2015年5月23日)
- ^ a b 東京園の復活は?幻の楽園「綱島温泉」の痕跡を追う!(はまれぽ.com 2019年5月29日)
- ^ a b 酒井明子 (2016年6月26日). “綱島にできた日帰り温泉施設「湯けむりの庄」に突撃!”. はまれぽ.com 2018年3月17日閲覧。
- ^ a b “第63回:綱島温泉の記憶 -その2-”. 港北区の歴史と文化. 公益財団法人 大倉精神文化研究所 (2004年3月). 2014年4月13日閲覧。
- ^ 東横線に温泉街、二子玉には読売園…東急線の意外な過去(日本経済新聞電子版 2012/6/8 7:00配信)
- ^ “大綱橋近くに「綱島温泉の石碑」が復活、樽町の町内会が奔走し、綱島の有志も協力” (日本語). 横浜日吉新聞 (2019年2月17日). 2019年4月4日閲覧。