緑色の髪の少年』(みどりいろのかみのしょうねん、The Boy with Green Hair)は、1948年(もしくは1949年[注 1])に公開された、アメリカ合衆国ファンタジードラマ映画テクニカラーの作品である。監督はジョゼフ・ロージー、出演はロバート・ライアンパット・オブライエンディーン・ストックウェルなど。

緑色の髪の少年
The Boy with Green Hair
監督 ジョゼフ・ロージー
脚本 ベン・バーズマン
アルフレッド・ルイス・レヴィット英語版
原作 ベッツィ・ビートン
The Boy with Green Hair
製作 ドア・シャリー
出演者 ロバート・ライアン
パット・オブライエン
ディーン・ストックウェル
音楽 リー・ハーライン
コンスタンティン・バカレイニコフ英語版
主題歌 ネイチャー・ボーイ
撮影 ジョージ・バーンズ
編集 フランク・ドイル
製作会社 RKO Radio Pictures, Inc.
配給 アメリカ合衆国の旗 RKO Radio Pictures, Inc.
日本の旗 セントラル映画社
公開 アメリカ合衆国の旗 1948年11月25日ボストンにてプレミア公開)[1]
アメリカ合衆国の旗 1948年11月27日(一般公開)[1][注 1]
日本の旗 1950年3月7日[1][8]
上映時間 82分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $900,000[9] または $800,000[10]
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解説 編集

原作はベッツィ・ビートンが1946年12月29日発行の『This Week』誌に発表した同名の短編[3]。それを、『十字砲火』(1947年)[注 2]に続く成功を狙ったドア・シャリーが買い取り、ロージーに彼自身初となる監督を任せた[6]。1947年後半に正式に製作が決定し、1948年2月9日に撮影を開始したが、1948年3月には完成したという[6][11]

本作は、反戦・寛容などのメッセージ性を持つ映画と当時から評価されていた[12][13][14]。時代背景として、当時のアメリカにおける冷戦の開始や赤狩りがある[15]。原作の主なテーマは差別だった[注 3]が、そこに反戦を付け加えたのはロージーだったという[6]

当時、RKOは経営危機に陥っていたが、作品は1948年5月[6]ハワード・ヒューズRKOを支配する前に完成していた。しかし、ヒューズは「映画は娯楽に徹するべきで、社会性を持ってはいけない」という思想のもとに、寛容等のテーマを除くよう再編集や撮り直しの圧力をかけた。映画スタジオ側は抵抗したが、トーンを若干弱める再編集は受け容れたといわれる[6][12][13][注 4][14]。シャリーは、ヒューズと(他の映画をめぐっても)衝突した結果、1948年7月に、1947年1月に5年契約を結んだばかり[16]のRKOを辞めている[17]。ロージーはRKOと長期契約を結んでいたがヒューズに仕事を干され、結局ヨーロッパに移住して映画監督を続けた。

なお、本作のテーマソングとして使われた「ネイチャー・ボーイ(Nature Boy)」は、1948年3月にリリースされ、100万枚以上を売り上げたナット・キング・コールのヒット曲である。本作での使用のため作曲家エデン・アーベス(eden ahbez)に1万ドルが支払われたが、これは原作者ビートンに対し支払われた額よりもずっと多かったといわれている[14]

ストーリー 編集

親戚に預けられていた少年ピーターは、小さな町でグランプ・フライ(フライ爺さん)と暮らすことになる。フライ爺さんはピーターに優しく接してくれ、ピーターは学校にも通って友人を得るが、ピーターはある日、友人から自分が戦災孤児だと指摘される。両親の死をつきつけられたピーターは、翌朝髪の色が緑色になってしまった。学校の友人らにもいじめられるようになり、耐えられず森に逃げ込むと、戦災孤児のポスターに出てきた子供たちがそこに立っていた。子供たちはピーターに対し、緑色の髪は善の象徴であり、戦争の悲惨さに対し人々の注意を向けさせるためのものであると説く。

ピーターは子供たちの言葉に従い、町の人々に対して髪が緑色なのは戦災孤児であるためと訴えるが、町の人々には受け容れられなかった。人々から髪を全部剃れと求められ、ピーターは拒否するものの、フライ爺さんに髪を剃れば問題が解決するかもしれないと言われて、いやいやながら同意する。ピーターは衆人環視の中で髪を剃られ、涙を流す。その涙が、人々やフライ爺さんに、自らの振舞いについて恥じらいを感じさせた。フライ爺さんは謝るが、ピーターは家出してしまう。しかし、最後にはフライ爺さんのところに戻り、ピーターは緑色の髪に誇りをもって、また緑色の髪が生えてくることを願った。

キャスト 編集

※括弧内は日本語吹替[18](NHK版:初放送1961年9月24日『劇映画』)

作品の評価 編集

興行的には赤字だった[15](42万ドルだったという情報がある[19])。当時の評価の一例として、あるレビューでは、脚本の作りこみが甘く、髪が緑色になることが何を象徴するのか曖昧であり、また少年の苦悩と戦争の原因とを結びつけるのも安直であると批判している[7]

現在の評価について見ると、2021年11月15日時点で、Rotten Tomatoesに書き込まれた「トマトメーター批評家」による11件のレビューのうち、高評価は9件(82%)だった。同サイトの一般利用者の中では、5点満点中3.5点以上をつけた利用者は57%であり、格付けは「腐敗(rotten)」である[20]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ a b 1948年12月27日とするサイトもある[2][3]。一方、KINENOTE[4]映画.com[5]では製作年を1949年としており、研究書である『Film and Politics in America: A Social Tradition』(Neve, 2004)も映画公開日を1949年1月としている[6]他、公開日が「昨日」と述べる1949年1月13日付けのニューヨーク・タイムズの記事もある[7]
  2. ^ 『十字砲火』も『緑色の髪の少年』と同じくメッセージ性の強い映画だった。
  3. ^ 原作は宗教的な色彩が強く、また、少年の髪は緑色ではなく芝になる展開だった[14]。映画では宗教色は排除された。
  4. ^ バラエティ誌のネット記事は日付が1947年になっているが、そのころはヒューズがRKOを支配していないので時系列に矛盾がある。映画レビュー的な内容も含むので、1948年の誤りである可能性がある。

出典 編集

  1. ^ a b c The Boy with Green Hair (1948): Release Info” (英語). IMDb. 2021年11月15日閲覧。
  2. ^ The Boy with Green Hair” (英語). AFI Catalog. American Film Institute. 2021年11月15日閲覧。
  3. ^ a b The Boy with Green Hair (1948)” (英語). Turner Classic Movies. 2021年11月16日閲覧。
  4. ^ 緑色の髪の少年”. KINENOTE. 2021年11月15日閲覧。
  5. ^ 緑色の髪の少年”. 映画.com. 2021年11月15日閲覧。
  6. ^ a b c d e f Neve, Brian (2004). Film and Politics in America: A Social Tradition. Routledge 
  7. ^ a b Crowther, Bosley (1949年1月13日). “'Boy With Green Hair,' Starring Dean Stockwell, Pat O'Brien, Opens at the Palace” (英語). The New York Times. https://www.nytimes.com/1949/01/13/archives/review-1-no-title-boy-with-green-hair-starring-dean-stockwell-pat.html 2021年11月15日閲覧。 
  8. ^ 緑色の髪の少年”. allcinema. 2021年11月15日閲覧。
  9. ^ Brady, Thomas F. (1948年5月30日). “HOLLYWOOD RESUME; Second Film in Anti-Red Cycle Starts -- Addenda” (英語). The New York Times: p. X-5. https://www.nytimes.com/1948/05/30/archives/hollywood-resume-second-film-in-antired-cycle-starts-addenda.html 2021年11月15日閲覧。 
  10. ^ “109-Million Techni Sked” (英語). Variety 169 (11): 14. (1948-02-18). https://archive.org/details/variety169-1948-02/page/n133/mode/1up 2021年11月15日閲覧。. 
  11. ^ The Boy with Green Hair (1948): Filming & Production”. IMDb. 2021年11月16日閲覧。
  12. ^ a b Cotter, Padraig (2019年9月19日). “The Boy With Green Hair: The Anti-War Film Howard Hughes Tried To Destroy” (英語). SCREEN RANT. https://screenrant.com/boy-green-hair-movie-antiwar-howard-hughes-hatred/ 2021年11月15日閲覧。 
  13. ^ a b “The Boy with Green Hair” (英語). Variety. (1947年12月31日). https://variety.com/1947/film/reviews/the-boy-with-green-hair-1200415756/ 2021年11月15日閲覧。 
  14. ^ a b c d “Green Hair Trouble”. Life 24 (50): 83-84. (1948-12-06). https://books.google.com/books?id=i0oEAAAAMBAJ&pg=PA82 2021年11月16日閲覧。. 
  15. ^ a b Ramsey, Paul J. (2015). Learning the Left: Popular Culture, Liberal Politics, and Informal Education from 1900 to the Present. IAP. p. 63 
  16. ^ “DORE SCHARY HEAD OF RKO PRODUCTION; Film Industry Veteran of 14 Years Replaces Late Charles Koerner as Studio Chief”. The New York Times. (1947年1月2日). https://www.nytimes.com/1947/01/02/archives/dore-schary-head-of-rko-production-film-industry-veteran-of-14.html 2021年11月16日閲覧。 
  17. ^ “DORE SCHARY RESIGNS RKO PRODUCTION POST” (英語). The New York Times. (1948年7月1日). https://www.nytimes.com/1948/07/01/archives/dore-schary-resigns-rko-production-post.html 2021年11月15日閲覧。 
  18. ^ 番組表検索結果詳細”. NHK. 2021年11月17日閲覧。
  19. ^ Eyman, Scott (2005). Lion of Hollywood: The Life and Legend of Louis B. Mayer. Robson Books Ltd. p. 420  ※この数字は英語版記事からの引用であり、日本語版への加筆時点では出典を確認していない。
  20. ^ "The Boy With Green Hair". Rotten Tomatoes (英語). 2021年11月15日閲覧

外部リンク 編集