繁沢 芝貞(はんざわ しげさだ)は、江戸時代中期の長州藩士。父は繁沢学文

 
繁沢芝貞
時代 江戸時代中期
生誕 不詳
死没 不詳
改名 繁沢藤七(幼名)→春房→芝貞[1]
別名 勝九郎、五右衛門(通称
主君 毛利綱広吉就吉広
長州藩
氏族 毛利氏庶流繁沢家
父母 父:繁沢学文
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生涯 編集

長州藩士の繁沢学文の子として生まれる。宝永元年(1704年)に学文が死去したため、芝貞が家督を継いだ。その際、大組に加えられている。

享保5年(1720年)から享保11年(1726年)にかけて『閥閲録』が編纂された際に、曽祖父・毛利春直から芝貞までの系譜と事績を提出し、巻129に「繁澤五右衛門」として収められた。

脚注 編集

  1. ^ 阿川毛利家5代当主・毛利就芝からの偏諱か。

参考文献 編集