美濃電気軌道BD500形電車(みのでんききどうBD500がたでんしゃ)は、美濃電気軌道(美濃電)が1921年大正10年)に新製した木造四軸ボギー車DB500形と呼称されることも少なくないが[2]、当時の資料ではBD500形とされている[3]1941年(昭和16年)の形式称号改訂で車種記号が「BD500形」から「モ500形」と改称されたが、車番はそのまま踏襲された[4]

美濃電気軌道BD500形電車
名鉄モ500形電車
基本情報
製造所 名古屋電車製作所
主要諸元
軌間 1,067 mm(狭軌
電気方式 直流500 V架空電車線方式
車両定員 70人(座席18人)
車両重量 14.23 t
全長 11,786 mm
全幅 2,179 mm
全高 3,651 mm
車体 木造
台車 ブリル76-E-1
主電動機 東洋電機製造 TDK-13D3-T
デッカー DK-13B)
主電動機出力 50 PS
搭載数 2基 / 両
歯車比 71:15
制御装置 直接制御 DB1-K4
制動装置 手ブレーキ直通空気ブレーキ
備考 1944年現在[1]
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沿革 編集

501 - 504の4両が名古屋電車製作所で新製された、美濃電初の四軸ボギー車である[5]。主要機器はデッカーシステムの系譜に属するイングリッシュ・エレクトリック社製のものを搭載し、2個モーターの直接制御車であった。形式称号のBはボギー車を、Dはデッカー系電装品を表すものである[6]。この形式称号は後に増備されたDB505形(後のモ520形)にも受け継がれている[3]。台車は鍛造のブリル76E-1で、大型ボギー車に相応しく、空気ブレーキ(直通式)も装備していた[1]側面窓配置はV 4 2 2 4 V(V:乗降デッキ、各数値は側窓の枚数)である[2]

車体は木造ダブルルーフ構造で、落成当時はオープンデッキ構造であり、集電装置としてポールを搭載していたが、後年の改造によりデッキ部分は改修されて客用扉が新設され、集電装置もビューゲルに換装されている。その後1964年昭和39年)から1965年(昭和40年)にかけて、外板に鋼板を張り付ける形で簡易鋼体化(ニセスチール車化)が施工された[5]

当初は鉄道線の笠松線(現・名鉄名古屋本線名鉄岐阜 - 笠松間)で使用されていたが[7]1925年(大正14年)9月に軌道線に転属した[8]。軌道線では美濃町線および鏡島線で使用された[6]

その後、1970年(昭和45年)にモ600形に代替され全車廃車となった[5]

脚注 編集

参考文献 編集

書籍

  • 日本路面電車同好会名古屋支部『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』トンボ出版、1999年。 
  • 和久田康雄『日本の市内電車―1895‐1945』成山堂書店、2009年。 
  • 清水武『名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(上)』ネコ・パブリッシング、2010年5月。ISBN 978-4-7770-5285-1 

雑誌記事

  • 白井良和「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」『1986年12月臨時増刊号』第473巻、電気車研究会、1986年12月、166 - 176頁。 
  • 加藤久爾夫・渡辺肇「私鉄車両めぐり 名古屋鉄道」『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』第30号、電気車研究会、2015年1月、122 - 165頁。