美里村 (沖縄県)

日本の沖縄県中頭郡にあった村

美里村(みさとそん)は沖縄県中頭郡にあった

みさとそん
美里村
廃止日 1974年4月1日
廃止理由 新設合併
コザ市・美里村→沖縄市
現在の自治体 沖縄市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 沖縄県
中頭郡
市町村コード 47321-9
隣接自治体 コザ市具志川市石川市北中城村
美里村役場
所在地 904-21
沖縄県中頭郡美里村字美里
座標 北緯26度22分44秒 東経127度49分40秒 / 北緯26.37892度 東経127.82789度 / 26.37892; 127.82789座標: 北緯26度22分44秒 東経127度49分40秒 / 北緯26.37892度 東経127.82789度 / 26.37892; 127.82789
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沖縄における収容所

1974年コザ市と合併、沖縄市となり消滅。村役所は美里に置かれ、合併後は沖縄市役所美里支所、第二庁舎、美里出張所と名称と場所を変えたが、2004年で廃止された。

歴史 編集

  • 1666年 越来間切から美里間切が分立する。
  • 1908年 「沖縄県及島嶼町村制」の施行により美里村となる。
  • 1945年4月 沖縄戦で米軍は住民を各地の収容所に収容する。
  • 1945年8月 各地の収容所の代表が美里村字石川の収容所(石川市)に招集され、沖縄諮詢会が設立される。
  • 1945年9月 沖縄諮詢会がまとめた「地方行政緊急措置要綱」に基づき、美里村北部は字石川の収容所を中心として石川市となり、美里村南部は具志川村字前原の収容所(前原市・1992年から2010年まで存在した福岡県前原市とは無関係)や勝連半島を包括する平安座市の一部となった。
  • 1946年 前原市が廃止される。沖縄諮詢会が置かれていた石川市は存続し、北部を除く形で再び美里村が自治体として歩み始める。
  • 1974年4月1日 コザ市と合併、沖縄市が誕生。

丸括弧内は米軍が主要な収容所を市として扱ったときの名称で、太字は沖縄諮詢会がまとめた「地方行政緊急措置要綱」に基づいて発足した市の名称である。

隣接していた自治体 編集

戦前(1908年 - 1945年) 編集

  • 越来村
  • (中頭郡)具志川村(現在のうるま市)
  • 恩納村
  • 金武村(現在の金武町
  • 中城村(隣接する地域は現在の北中城村)

戦後(1945年 - 1974年) 編集

現在の沖縄市美里地域 編集

合併後は旧コザ市とともに発展し、米軍基地の返還や海岸の埋め立てで急速に発展した。人口も旧コザ市を上回るようになり、裁判所や保健所などの沖縄本島中部をカバーする国や県の公共機関や市の消防本部や水道局なども移転してきた。1987年に行われた国体海邦国体)ではメーン会場にもなった。

教育 編集

高等学校

中学校

小学校

学校教育以外の施設

交通 編集

道路

路線バス

  • 21番・新都心具志川線(琉球バス交通
  • 23番・具志川線(琉球バス交通)
  • 27番・屋慶名(大謝名)線(琉球バス交通・沖縄バス
  • 30番・泡瀬東線(東陽バス
  • 31番・泡瀬西線(東陽バス)
  • 52番・与勝線(沖縄バス)
  • 61番・前原線(沖縄バス)
  • 62番・中部線(琉球バス交通)
  • 63番・謝苅線(琉球バス交通)
  • 75番・石川北谷線(琉球バス交通)
  • 77番・辺野古経由名護東線(沖縄バス)
  • 80番・与那城線(沖縄バス)
  • 90番・知花(バイパス)線(琉球バス交通)
  • 111番・高速バス(琉球バス交通・沖縄バス・那覇バス・東陽バス4社共同運行)
  • 113番・具志川空港線(琉球バス交通) 沖縄南IC以南は沖縄自動車道利用
  • 123番・石川空港線(琉球バス交通) 沖縄南IC以南は沖縄自動車道利用
  • 127番・屋慶名(高速)線 (沖縄バス) 沖縄南IC以南は沖縄自動車道利用
  • 223番・具志川おもろまち線(琉球バス交通)
  • 227番・屋慶名おもろまち線(琉球バス交通・沖縄バス)
  • 263番・謝苅おもろまち線(琉球バス交通)
  • 290番・知花おもろまち線(琉球バス交通)

主要公共施設 編集

主要施設 編集

関連項目 編集