聖パトリックの青(せいパトリックのあお、セントパトリックスブルーSt. Patrick's blue)とは、アイルランドのシンボルであると考えられるいくつかの青系の色合いにたいして使われる名称である。英国の慣習においては、聖パトリック勲章と結び付けられる複数のスカイブルーの色調を指す[1]アイルランド共和国の現在の慣習では、これはより濃い色調を示すかもしれない[1]。一方、緑色はいまではアイルランドの一般的なナショナルカラーであり、「聖パトリックの青」はいまだいくつかのシンボルで見ることができる[2]

聖パトリック騎士団のバッジ

歴史 編集

起源 編集

アイルランド神話において、アイルランドの君主Flaitheas Éireannは青いローブを着た女性として描かれていた[3]ミゼ (Mide) の旗 (flag of Mide) は青地であったが、その図案がアイルランドの紋章として使われたとき、その地はセーブルであった[3]

 
英国王旗において、アイルランドは青地にハープで表されている。

ヘンリー8世が自身をアイルランド王国の王であると宣言した際、その紋章は青地にハープであった。これはイギリス王旗 (Royal Standard of the United Kingdom) の左下に今日でも見ることができる[4]

聖パトリック勲章は1783年にアイルランド王国の最高勲章として設立されたが、大綬の色はその前に制定されたイングランドのガーター勲章のダークブルー、スコットランドシッスル勲章の緑とは異なる色である必要があった。オレンジ団 (Orange Institution) からオレンジ色も考えられたが、あまりに偏りすぎていると感じられたことから結局、アイルランドの紋章のより淡い青が選ばれた[5] 。聖パトリック騎士と役職についていた人物たちは、「空色」のマントリボン、「青」のラインが入った帽子、そして「青」のほうろうびきのバッジをつけていた[6]。なお、「聖パトリックの青」の呼び名は一般的なものではあったが、騎士団によって公式に使われることは無かった[7][8]。実際に使われた色調はその時々によって多岐にわたる。緑がかった空色はイーヴァー伯エドワード・セシル・ギネスによって1895年に使われ、1903年に確かな証拠がある[7] 。これは英国においては現在でも通例となっている色である.[1]。騎士団最後の生き残りであるグロスター公ヘンリーは1974年に死去したが、騎士団は現在も厳密に言えば存続している。

はたして青は、騎士団設立以前のアイルランドのナショナルカラーであったのか、さらにそれは騎士団とは別に聖パトリック自身と関連付けられるのかどうか、という議論がある。シェーン・レスリー (Shane Leslie) は聖パトリックの青緑を「しかし、すべての色の愛好者ケルト人によって使われたウォード染めの回想」かもしれないと推測している[9]コンスタンス・マルケビッチ (Constance Markiewicz) は青を「アイルランドの古の色」でありアイルランド市民軍 (ICA) の記章に取り入れられたと思っていた[10]北斗七星旗 (Starry Plough) であったICA旗の地は青であった。古史研究家でありナショナリストであったフランシス・ジョセフ・ビッガーは聖パトリックの青は「偽の色」であり、聖パトリック旗は「偽の旗」であると考えていた[11]。近年では、ピーター・アルター (Peter Alter)[12] やクリスティアン・マーオニー (Christina Mahony)[13] は色の史的確実性を支持する一方、ブライアン・オクイーヴ (Brian Ó Cuív) はこれに疑問を呈している[2][14]。パリのアイリッシュ・カレッジ (Irish College) は1776年に完成し2002年に修繕されたが、聖パトリックの青はチャペルの壁において見つけることができる[15]。聖パトリックと緑色との関係については、1681年にトマス・ディナリー (Thomas Dinely) が、聖パトリックの祝日に人々は帽子に緑色のリボンの十字を着けている、と記している[16]

過去の使用 編集

エドワード皇太子が1868年にアイルランドを訪問した際の"ナショナル・ボール"において、妻のアレクサンドラは「聖パトリックの青」のドレスを着ていた[17]アイルランド総督によってアイルランドの製造業者に向けて行われた1886年の園遊会においてはアイルランドをテーマとした服飾規定 (ドレスコード) があった。フリーマンズジャーナル (Freeman's Journal) はこの規定のいくつかについて従うのが難しいと批判し、一方で「"聖パトリックの青"のアイリッシュポプリンネクタイ—これについて私たちはむしろ特定の色合いの緑に見え—これなら多くの負担はないかもしれません。」と述べている[18]ガーディアンはこのパーティーを「新しい色である"聖パトリックの青"の展示はあちこちで見ることができた。」とレポートしている[19]

1912年の宮内長官に対する服飾規定では、アイルランド総督の家族は、国王がアイルランドにおりペイジ・オブ・オナー (Page of Honour) をすべきときは、聖パトリックの青[20] を着用すべしとしていた[21]

アイリッシュ・フットボール・アソシエーション (アイルランドサッカー協会、IFA。Irish Football Association) によって設立されたサッカーアイルランド代表 (Ireland national football team (1882–1950)) は、1882年から1931年までの間聖パトリックの青のジャージを着ていたが、その後は緑に変更している[22]。現在のIFAチームは北アイルランドである。フットボール・アソシエーション・オブ・アイルランド (アイルランドサッカー協会、FAI) は1924年のオリンピックトーナメントにアイルランド自由国のチームを送り出したが、ブルガリアとの試合において聖パトリックの青のユニフォームに変更している。これはブルガリアのものが普段アイルランドが使用している緑色であったためである[23]

1930年代、ACA (Army Comrades Association) の聖パトリックの青色のシャツは、ブルーシャツというニックネームをこの組織にもたらした。これは準ファシストのシャツ着用運動で、敵対者リパブリカン (republican) と結び付けられる緑色への拒絶でもあった[24] 。ブルーシャツの旗であったサルタイアーは白地である聖パトリック旗のバリエーションであり、これを青地に変えたものである。W・T・コスグレーヴ (W. T. Cosgrave) はこの色について「完璧であり、伝統的であり、私たちの歴史と国民的な一致をし、最も尊ばれそして崇拝されてきたわれらの守護聖人の記憶と密接に結びついている」と述べている[25]

アイルランド陸軍 (Irish Army) 軍楽隊における最初の制服は聖パトリックの青であった。しかしこれはすぐにネイビーに切り替えられている[26]。1932年から48年までの式典騎兵であった騎馬護衛隊 (The Mounted Escort) は、そのユニフォームから「青色騎兵隊 (Blue Hussars)」とあだ名されていたが、この色はしばしば聖パトリックの青であると描写された[27][28][29]。1970年から導入されたエアリンガス客室乗務員と地上勤務員の制服[30] は緑と聖パトリックの青を結びつけており、アイリッシュ・タイムス (The Irish Times) ではこれを「きらめく新しい色」と書いている[31]。1970年番の制服は、そのデザイン戦略である暗緑色、明るい緑、そして「強い青」という色調で一般的な企業イメージを高めた後、1975年に変更されている[32]

現在の使用 編集

 
アイルランドの大統領旗
 
近衛歩兵連隊の軍楽隊。奥の方に聖パトリックの青のハックルを付けたアイリッシュガーズ軍楽隊が見える。

アイルランドの国章および大統領旗 (Presidential Standard (Ireland)) は、銀の弦を張った金のハープに下地は聖パトリックの青 (色調は16進表記:#23297A; RGB: 35, 41, 122[要出典]) である。大統領専用車 (Presidential State Car) の色は「聖パトリックの青であり、一見すると黒に見えるネイビーブルー」である[33]。前大統領メアリー・マッカリースはSuailceという名前の競走馬を保有しているが、大統領色である「聖パトリックの青と金」をつけて走っている[34]

ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンの公式スポーツカラーは「聖パトリックの青とサフランイエロー (Saffron)」であり、これは1910年に採用された[35]。青は一般的には「光」もしくは「ダブリン」の青を表していると解釈されている[35]ゲーリック体育協会の地域カラー (カントリー・カラーen:GAA county colours)においてダブリン県の色にはライトブルーが含まれている。アイルランド国立大学アカデミックドレスの規定は聖パトリックの青であるが、これは科学分野の色である。獣医学についてはより黒い青である「ケルトの青 (セルティック・ブルー)」を使っている[36]アイルランド王立外科医学院のアカデミックドレスも聖パトリックの青とされている[37]ダブリンのトリニティ・カレッジフェンシング部はそのアジュールの色を「聖パトリックの青」と定めている(大統領のペナントとしてパントン295番。原文はPantone 295 as the Presedential [sic] Pennant)[38]

聖パトリックの青のハックル (帽子に付ける羽根飾り/en:hackle) は、イギリス陸軍のアイルランド部隊、アイリッシュガーズ (Irish Guard) のベアスキン (黒毛皮帽/bearskin) と[39]ロンドン・アイリッシュライフルズ (London Irish Rifles) のコウビーンに付けられている[40]ダブリンの聖パトリック大聖堂は、聖パトリック騎士団と聖パトリックの青とのその史的関連性を、聖歌隊カソックと、首席司祭と教区司祭の聖職者用カラーによって記念している[41]

国境を越えたアイルランド旗 (Cross-border flag for Ireland) は、アイルランド共和国北アイルランド双方のスポーツチームを結合させるところで必要であるかもしれない。背景に聖パトリックの青を持つ4つのアイルランドの地方の紋章は、時にはこの目的にかなったものであった[42]

脚注 編集

  1. ^ a b c Seaby Coin & Medal Bulletin (B.A. Seaby) (653–664): 41. (1973). "殊勲章や常備軍の殊勲賞のリボンを「聖パトリックの青」と記述することは、(スカイブルーを) とても淡くわずかに緑がかった青を示すと考える英国の収集家からは奇妙に感じられるだろうが、しかしおそらく、アイルランド人は豊かなダークブルーを彼らの守護聖人のものであると考えている。" 
  2. ^ a b Ó Cuív, Brian (1976). “The Wearing of the Green”. Studia Hibernica (17–18): 106–119. 
  3. ^ a b Carragin, Eoin (2007年4月18日). “Heraldry in Ireland” (PDF). National Library of Ireland. p. p.3. 2008年3月17日閲覧。
  4. ^ Morris, Ewan (2005). Our own devices: national symbols and political conflict in twentieth-century Ireland. Irish Academic Press. p. 12. ISBN 0716526638 
  5. ^ Galloway, Peter (1999). The most illustrious Order: The Order of St Patrick and its knights (2nd ed.). London: Unicorn. p. 172. ISBN 0-906290-23-6 
  6. ^ Order of St. Patrick (1831). Statutes and ordinances of the most illustrious Order of Saint Patrick. G.A. and J.F. Grierson. pp. 24, 29, 58, 59, 60, 61, 64, 67, 68, 69, 83, 104, 112, 116, 119, 120. https://books.google.co.jp/books?id=c40UAAAAYAAJ&redir_esc=y&hl=ja 
  7. ^ a b Galloway, p.174
  8. ^ Stewart, Georgiana L. (14 August 1893; Issue 34029). “Protest To The Queen From Irish Women Against Home Rule.”. The Times: p. 6; col E. "全体はとても見栄えのよい胡桃入れの中に入っていたが、その箱は聖パトリックの青として知られる色合いのアイルランドのポプリンで裏打ちされていた。その色は聖パトリックの騎士たちによって着られていたリボンの色である。" 
  9. ^ Leslie, Shane (1917). The Celt and the World: A Study of the Relation of Celt and Teuton in History. New York City: Charles Scribner's Sons. p. 35. https://archive.org/details/celtworldstudyof00lesluoft 
  10. ^ O'Casey, Sean (1946). Drums under the windows. Macmillan. p. 338 
  11. ^ Bigger, Francis Joseph (1927). John Smyth Crone, F. C. Bigger. ed. In Remembrance: Articles & Sketches : Biographical, Historical, Topographical. Talbot Press. p. 65 
  12. ^ Alter, Peter (1974). “Symbols of Irish Nationalism”. Studia Hibernica (14): 104–23. 
  13. ^ Vernon, Jennifer (2004年3月15日). “St. Patrick's Day: Fact vs. Fiction”. National Geographic News. National Geographic Society. p. 2. 2009年5月13日閲覧。
  14. ^ Collège des Irlandais”. Structurae. Nicholas Janberg. 2009年5月13日閲覧。
  15. ^ Lyng, Marlene (2002年10月13日). “An oasis for saints and scholars in Paris”. Sunday Tribune. https://www.tribune.ie/archive/article/2002/oct/13/an-oasis-for-saints-and-scholars-in-paris/ 2009年5月13日閲覧。 
  16. ^ Shirley, E. P. (1858). “Extracts from the journal of Thomas Dineley, esquire, giving some account of his visit to Ireland in the reign of Charles II”. Journal of the Kilkenny and South-East of Ireland Archaeological Society new series (1): 143–6, 170–88. ; cited in Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明) (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  17. ^ “This Evening's News: The Royal Visit to Ireland”. Pall Mall Gazette (London). (1868年4月24日) 
  18. ^ “The Royal Visit”. Freeman's Journal and Daily Commercial Advertiser (Dublin). (1868年4月23日) 
  19. ^ "our own correspondent" (1886年5月23日). “Viceregal garden party”. The Guardian (ProQuest): p. 3 
  20. ^ Trendell, Herbert A. P (1912). Dress worn at His Majesty's court. Vol. 1. London: Harrison & Sons. p. 161. https://archive.org/details/dresswornathisma00trenuoft 
  21. ^ Trendell, p.9
  22. ^ Byrne, Peter (1996年11月16日). “From Belfast Celtic to Shelbourne”. The Irish Times: p. 2, Sport. http://www.irishtimes.com/newspaper/sport/1996/1116/96111600165.html 2009年5月13日閲覧。 
  23. ^ Howard, Paul (2000年7月30日). “The first tango in Paris”. Irish Independent. http://www.tribune.ie/archive/article/2000/jul/30/the-first-tango-in-paris/ 2009年11月8日閲覧。 
  24. ^ Cronin, Mike (1997). The Blueshirts and Irish politics. Dublin: Four Courts Press. p. 47. ISBN 1-85182-312-3 
  25. ^ Public Business. - Wearing of Uniform (Restriction) Bill, 1934—First Stage.”. Dáil Éireann - Volume 50. p. col.2121 (1934年2月23日). 2009年5月12日閲覧。
  26. ^ Kelly, Olivia (2003年2月22日). “Changing of colours for the Army Band”. The Irish Times: p. 2, Weekend. http://www.irishtimes.com/newspaper/archive/2003/0222/Pg036.html#Ar03602 2009年5月13日閲覧。 
  27. ^ “St. Patrick's Day parade. March-past in the rain. "Hussars" again on view.”. The Irish Times: p. 9. (1933年3月18日). http://www.irishtimes.com/newspaper/archive/1933/0318/Pg009.html#Ar00902 2009年5月14日閲覧. "the army's own flag of St. Patrick's blue trimmed with gold ... The same colours were worn by the little guard of horsemen who rode in advance." 
  28. ^ “A colourful ceremony: French minister's credentials”. The Irish Times: p. 4. (1933年5月15日). http://www.irishtimes.com/newspaper/archive/1933/0515/Pg004.html#Ar00400 2009年5月14日閲覧. "a troop of Free State cavalry clad in the attractive St. Patrick's blue and gold uniforms which were introduced for the Eucharistic Congress last June" 
  29. ^ McIntosh, Gillian (1999). The Force of Culture: Unionist Identities in Twentieth-century Ireland. Cork University Press. p. 42. ISBN 1859182054 
  30. ^ “New uniform for Aer Lingus staff”. The Irish Times: p. 13. (1970年7月4日) 
  31. ^ “Women First”. The Irish Times: p. 6. (1970年2月13日) 
  32. ^ “'Corporate image' for Aer Lingus”. The Irish Times: p. 13. (1974年12月2日) 
  33. ^ Nolan, Philip (2008年3月24日). “Dev's silver lady: For 60 years, she has borne potentates and princesses... but the radio is still rubbish”. Irish Daily Mail: p. 13 
  34. ^ O'Hehir, Peter (2008年8月24日). “Ten Acious”. Irish Daily Mirror: p. 43 
  35. ^ a b The Colours of the University”. UCD Sport. UCD. 2009年5月12日閲覧。
  36. ^ Academic dress of the National University of Ireland”. National University of Ireland. pp. 10, 20 (2006年). 2009年5月12日閲覧。
  37. ^ “Royal College of Surgeons in Ireland: Academic Costume”. British Medical Journal: 1294. (28 May 1904). http://www.bmj.com/cgi/issue_pdf/admin_pdf/1/2265.pdf. 
  38. ^ Dublin University Fencing Club”. Trinity College Dublin (2005年). 2009年4月15日閲覧。
  39. ^ Taylor, Bryn (2006年). “A brief history of the regiment”. 2009年4月15日閲覧。
  40. ^ The story of the 'Caubeen'”. London Irish Rifles Regimental Association. 2009年5月13日閲覧。
  41. ^ Byrne, Roy H. (1993年8月27日). “St Patrick's blue”. The Irish Times: p. 13. http://www.irishtimes.com/newspaper/archive/1993/0827/Pg013.html#Ar01304 2009年5月13日閲覧。 
  42. ^ Morris, p.194

関連項目 編集