聖水大橋
韓国・漢江に架かる橋
聖水大橋(ソンスおおはし)は、大韓民国のソウル特別市城東区聖水洞と同市江南区狎鴎亭をつなぐ漢江に架けられた橋梁の1つである。
聖水大橋 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 성수대교 |
漢字: | 聖水大橋 |
発音: | ソンスデギョ |
日本語読み: | せいすいおおはし |
2000年式: MR式: 英称: |
Seongsu daegyo Sŏngsu taekyo Seongsu Bridge |
概説編集
聖水大橋崩落事故 | |
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事故当日の落橋現場 | |
日付 |
1994年10月21日 午前7時40分頃[1] |
原因 |
吊り部材の溶接不良、 隅肉溶接の手抜き施工など[1] |
死亡者 | 32人[1] |
負傷者 | 17人[1] |
最初に架けられた橋は、東亜建設産業(日本の東亜建設工業とは無関係)が施工した[2]。橋長1,160メートル、幅19.4メートルの4車線橋で[3]、1977年4月に着工し2年後の1979年10月に完成した。ところが、わずか15年後の1994年10月21日に橋の中央部分がおよそ50メートルにわたって突然崩壊し[3]、通行中の乗用車や漢星運輸所属の16番市内バスなどが巻き込まれ32人が死亡し17人が重軽傷を負った[3][4]。
原因は施工段階での手抜き工事で、建設会社と市側の監督責任者が刑事訴追された[3]。また、当時のソウルの李元鐘市長が当時の金泳三大統領の手によって更迭されている[3](後に忠清北道知事になり、2006年まで職務を行っていた)。
「ko:성수대교 붕괴 사고」も参照
この事故が起きた翌年の1995年6月29日には三豊百貨店がこれまた手抜き工事による崩壊事故を起こし、併せて同年の7月に災難管理法が制定されるきっかけとなった。また、この事故を契機に漢江にかかる全ての橋の緊急点検が行われ、その結果欠陥が発覚した堂山鉄橋が架け替えられることとなった。
参考文献編集
- 『世界災害史辞典 1945-2009』日外アソシエーツ、2009年、ISBN 978-4-8169-2211-4
脚注編集
- ^ a b c d 韓国ソウル聖水大橋の崩落事故 失敗知識データベース
- ^ 韓国ソウル聖水大橋の崩落事故
- ^ a b c d e 世界災害史辞典、pp.260-261
- ^ 土木学会関西支部 編 『図解・橋の科学 なぜその形なのか? どう架けるのか?』 p.228 講談社(ブルーバックス B-1676) 2010年3月20日発行 ISBN 978-4-06-257676-5
- ^ 朝鮮日報:「94年崩壊」聖水大橋、またも不正工事(2007年9月30日付けのアーカイブキャッシュ)
関連項目編集
- 三豊百貨店 - 利益を優先した経営者の判断で、安全性や耐用強度を無視した度重なる設計変更に手抜き工事が重なり崩壊、502名が死亡した。
- 大邱地下鉄放火事件
- 中央119救助隊 - 聖水大橋落下事故や三豊百貨店崩壊事故をきっかけに設置された消防防災庁直属の救助部隊。
- KB橋 - 低品質なコンクリートを使用した手抜き工事により崩壊、2名が死亡、国家の中枢ライフラインが切断され首都機能が麻痺した。
- クタイ・カルタヌガラ橋
外部リンク編集
- 朝鮮日報サイトにある関連記事(2007年3月28日付けのアーカイブキャッシュ)
- 韓国ソウル聖水大橋の崩落事故 - 失敗知識データベース
座標: 北緯37度32分13.04秒 東経127度2分6.04秒 / 北緯37.5369556度 東経127.0350111度