聶 憲藩(じょう けんはん)は、清末民初の軍人。北京政府で要職についた。維城。父は聶士成

聶憲藩
Who's Who in China 3rd ed. (1925)
プロフィール
出生: 1880年光緒6年)
死去: 1933年民国22年)
中華民国の旗 中華民国
出身地: 安徽省廬州府合肥県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 聶憲藩
簡体字 聂宪藩
拼音 Niè Xiànfān
ラテン字 Nie Hsien-fan
和名表記: じょう けんはん
発音転記: ニエ シエンファン
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事績 編集

日本へ留学して東京振武学校を卒業する。帰国後は、直隷営務処提調、済南巡防営隊官、北洋督練公所参謀処総弁を歴任した。

中華民国成立後の1912年民国元年)6月、署理山東登州鎮総兵に任じられた。翌年8月、煙台鎮守使に異動し、中将に昇進した。1919年(民国8年)12月から1921年(民国10年)8月まで、安徽省省長をつとめた。その翌年5月に、歩軍統領衙門統領に任命される。10月には憲威将軍の位を授与された。1924年(民国13年)10月、歩軍統領衙門は廃止され、聶憲藩は京畿警備副司令に異動した。

1933年(民国22年)、死去。享年54。

参考文献 編集

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 安徽省地方志編纂委員会編『安徽省志 人物志』方志出版社、1999年。ISBN 7-80122-381-0 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
   中華民国北京政府
先代
王懐慶
歩軍統領
1922年5月 - 1924年10月
次代
(廃止)