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育英高等学校(いくえいこうとうがっこう)は、兵庫県神戸市長田区長尾町二丁目にある私立高等学校1915年に創立された。平成27年度より男女共学化が実施され、一定数女子生徒も入学している。

育英高等学校
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過去の名称 私立甲種育英商業学校
育英商業学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人武井育英会
理念 各有能(おのおののうあり)
校訓 責任を持つ・希望を持つ・誇りを持つ
設立年月日 1915年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
高校コード 28518J
所在地 653-0855
兵庫県神戸市長田区長尾町二丁目1番15号
外部リンク 公式ウェブサイト
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目次

沿革編集

  • 1899年 - 庄野一英により「数英漢学会」として創立。
  • 1900年 - 「育英義会」と改称。
  • 1902年 - 「私立神戸育英義塾」と改称。
  • 1915年 - 「私立甲種育英商業学校」設立。
  • 1920年 - 「育英商業学校」と改称。
  • 1930年 - 現校地に移転。
  • 1944年 - 育英商業学校を廃止、「綿華女子商業学校」を設置。
  • 1946年 - 綿華女子商業学校を廃止、育英商業学校復活[1]
  • 1947年 - 新制「育英中学校」を併設。
  • 1948年 - 新制「育英高等学校」となる(商業科・普通科)。
  • 1956年 - 育英中学校、生徒募集停止。
  • 1975年 - 育英高等学校、商業科の生徒募集停止。
  • 2015年 - 男女共学となる。

校風・特徴編集

私立甲種育英商業学校時代

開校間もない頃の日本教育勅語の奉読中の動作不敬を問題視する時代背景にあった[2][3][注 1]。私立甲種育英商業学校においても例外ではなく1916年2月、奉読中の生徒が動作不敬であったことを理由に2日間の停学処分を命じられたなど、奉読中の態度や姿勢は厳しく監視された[4][注 2]。私立甲種育英商業学校においては奉読中の私語や咳払いも不敬とみなされた[5]。停学の他に3時間ほど立たされる懲戒もあった[6]

育英商業学校時代

1923年に兵庫県立第一神戸中学校出身の池長孟[7]校長[注 3]が就任されてからは同校の「昼食を屋外で立ち食いする」という、特徴的な校則が模倣された[6][注 4]。季節を問わず[12]生徒は校舎外での弁当の立ち食いを強制され[注 5]、寒い日も湯茶の配給などは行われず、水道の蛇口に並んだ[6]。雨天の日に限って講堂の使用を許可され、校務員室で生徒は薬缶から白湯を入れてもらえた[6][注 6]

1937年には政府による戦争とそれを支える体勢の構築に国民を総動員する政策[注 7]が次々と実施されることになり、育英商業学校にもその思想統制の影響はおよび、学校の雰囲気はより厳粛なものに変わっていった[12]

生徒は厳寒期でも毛糸の下着の着用は禁止され[12]、ズボンのポケットは手を入れることができないように縫い付けることになっており[13]、時計・革靴・万年筆などの使用も贅沢品であるとの理由で許されなかった[14]。登校時には正門で週番の上級生[注 8]による服装・持ち物の点検を受けることとなっており、ボタン・ホックの掛け方、ゲートルを巻く位置をチェックされた[6]。中には南京豆の薄皮をタバコの屑と間違えられ、注意される生徒もいた[6]。点検後、奉安殿に向かって最敬礼し、朝礼・ラジオ体操の後、ラッパ鼓隊の吹奏に合わせて教室まで行進した[12]。校外においても制服・制帽・巻ゲートルを着用し、教師や上級生に合ったときには軍隊式の敬礼をしなければならなかった[14]

また、渡り廊下に処罰生徒名が掲示されたなどの校内の秩序を維持するため、生徒に対してのある種の見せしめ行為も行っていた[6]。中には三ヶ月の無期停学を受けて学期末試験が受けられず落第し、退学する生徒も存在した[6][注 9]。1930年2月には衆議院議員総選挙の候補者の応援演説を行ったと思われる生徒が5日間の停学処分を受けるなど、校内で過剰な政治活動をする生徒も取り締まった[5]

育英高等学校時代

荒れている校内の秩序を維持するため、教師たちはより厳しい指導を徹底していた[15]。しかし生徒からは管理的で一方的な指導と不評で、不満の声が絶えなかった[15]。ついには1963年の夏に生徒たちが自由を求めて決起、授業のボイコットまでにも発展した[15]

決起には全校生徒1552人[16]のおおよそ半数、約700人の生徒が屋上に集まり、学校主導で行われていた体育祭[注 10]と文化祭[注 11]を生徒による自主運営とすることを求めた[15]。半日にも及ぶ集団ボイコットに永松忠雄[7]校長と武井尹人[7]理事長が交渉に臨み「面白い、やってみろ」と生徒たちに言い放ち、生徒会による自主運営が認められた[15]。しかし体育祭や文化祭では部員不足の部活も目立ち、失敗も少なくはなかった[15]。後に体育祭と文化祭は従来の学校主導の実施方法へと戻っていった。

このような校内の秩序を守ろうと行き過ぎた指導をする教師たちと、それに反発する生徒たちとの大規模な衝突もあった中、2000年代に入ると教師による体罰[注 12]が複数回、断続的に発覚していった[24][25][26][注 13]。2013年には兵庫県弁護士会から生徒指導における人権侵害を指摘、警告された[28]

また1963年の生徒による決起と同時期に丸刈り校則[注 14]が存在していた[15]

コース制編集

第一学年の初めから、総合進学・文系進学・理系進学・特別進学(文・理系選択)コースの四つのコースを設けている。かつては一括して募集し、入学後に本人の希望や能力・適性等に応じて各コースに割り振られていたが、現在は出願時にいずれかのコースを選択している。進級前にテストを受け、そのテストの点数によっては任意、又は総合進学コースへ強制的にコースの変更が行われる場合がある。

総合進学コース(旧・一般クラス)
本学で最も初歩的な授業を行う。進学と銘打つが、就職等の進路にも対応する。生徒の殆どは指定校推薦で専門学校及び短期大学、大学へ進学する。
文系進学コース(旧・語学クラス)
国語・英語・地歴公民の学習に重点を置き、私立大学文系学部を目指す。
理系進学コース(旧・理数クラス)
数学・理科・英語の学習に重点を置き、私立大学理系学部を目指す。
特別進学(文・理系選択)コース(旧・特文クラス、特理クラス)
クラス内で文系選択と理系選択に分かれる(旧制度では文系選択と理系選択とでクラスが分かれていた)。第一学年は文系・理系にかかわらずほとんど共通科目を履修し、第二学年・第三学年で文系・理系の選択科目が増え、目標にあった学習をしていく。国公立大学を目指す。毎月第2・第4土曜日に授業、若しくは進路講演会などがある。

部活動編集

硬式野球バスケットボール剣道レスリングハンドボールなどがある。硬式野球部の1993年夏の甲子園での優勝をはじめ、全国制覇の経験のある部活動も存在する。

運動部の一部では練習時間の確保のため、総合進学コースの生徒しか入部できない。

  • 硬式野球部
  • 軟式野球部
  • 陸上競技部
  • 剣道部
  • バスケットボール部
  • バレーボール部
  • 柔道部
  • 卓球部
  • テニス部
  • ソフトテニス部
  • バドミントン部
  • 水泳(水球)部
  • ハンドボール部
  • レスリング部
  • 空手道部
  • サッカー部
  • ゴルフ部
  • 吹奏楽部
  • 写真部
  • 囲碁将棋部
  • 美術部
  • 科学部
  • 文芸部
  • 映画研究会
  • 演劇部
  • 書道部

学校関係者による不祥事編集

  • 1944年 -
    • 2月11日夜[29]失火のため校舎本館が焼失する[30]。事務室のみ焼け残った[30]

  • 1973年 -
  • 2004年 -
    • 5月12日夕方、柔道部の練習中に一年生の男子生徒(16)が顧問の男性教諭(28)[注 15]に技術面での指導に従わないことを理由に数回殴られ、顔面骨折の大怪我をしたことが6月11日判明した[24]。これを受け、学校側は教諭を処分する方針と発表した[24]。中島寛校長は「体罰は絶対に許されないことだ。教諭の指導を徹底し、再発防止に努めたい[注 16]」としている[24]

      殴られた夜、寮に戻った男子生徒は頭痛を訴え病院に運ばれ、別の病院で検査したところ顔面骨折が判明し、手術が必要と診断された[24]。10日間入院し、一時は左目が単眼複視に陥ったが回復した[24]。育英高等学校と顧問教諭は男子生徒と両親に謝罪した[24]

    • 9月1日、軟式野球[33]部内[34]で一年生部員が同級生部員に暴力を振るったことをきっかけに、二年生部員4人が加わって殴る、蹴る、バットで殴打するなどの集団暴行が発生した[35]日本学生野球協会は11月10日、東京都内で行われた審査室会議で軟式野球部に9月6日から6ヶ月間の対外試合禁止の処分を下した[33]

  • 2005年 -
  • 2006年 -
  • 2007年 -
    • 育英高等学校を運営する学校法人武井育英会の武井宏之(40)理事長らが大阪国税局税務調査を受け、長男である宏之理事長の父親、武井功前理事長の遺産相続をめぐり、約2億1000万円の申告漏れを指摘されたことが7月2日判明した[55]。同国税局はうち約2600万円を意図的な遺産隠しと認定し、重加算税を含め約5600万円を追徴課税した[56]。宏之理事長らは修正申告に応じた[56]

      関係者によると2004年9月に功前理事長が死去[56]。功前理事長の妻や宏之理事長ら3人が遺産を相続[57]。2005年7月に3人の名義の簡易保険有価証券など計約2億1000万円を相続財産から除外し、遺産総額を不動産を中心に約5億6800万円、相続税を約7000万円と申告した[55]。同国税局が2007年2月から税務調査し、宏之理事長名義の預貯金6口座、計約2600万円について「宏之理事長の幼少時から預けられており、父親が形成した遺産」と指摘[56]。宏之理事長は「父の生前に贈与を受け、贈与税も納めており、死亡時には私たちの資産になっていた」と反論したが、同国税局は「贈与の証拠がなく相続財産に当たる」「父親の資産を宏之理事長名義に分散することで、遺産を圧縮した」などと判断し、重加算税の対象とした[56]。また、生命保険の掛け金や別の預貯金[57]などの計約1億8400万円の申告漏れも指摘した[56]

      宏之理事長は税理士を通じ「国税当局と見解に相違があったが、指導に従い修正申告した」と述べた[57]

  • 2011年 -
    • 1月13日午後1時30分頃[58]に発生したバスケットボール部の部室3部屋[注 27]での火事[59][注 28]、及び7月23日早朝に校内の体育館2階のギャラリーで発生したゴミ箱が燃える小火騒ぎ[注 29]に関連して[60]、7月27日に生徒指導部長の50代男性教諭[28]が関与の証拠がないまま[61]、校内外で複数回喫煙[62][注 30]、及び小火騒ぎ前日の7月22日に喫煙[注 31]していた運動部所属の[65]二年生の男子生徒(16[66])一人を生徒指導室に呼び出し、弁明の機会を与えず「お前は放火魔や」「頭いかれてるか[62]」などの暴言を机を叩きながら30分以上にわたり[67]浴びせた末、生徒に自主退学を迫った[28][注 32]。また、同席した他の二名の[67]教諭らも生徒指導部長の言動を制止せず、追従する発言を行った[69][注 33]

      男子生徒の父親は本件を阪本勝彦[7]校長に伝えたが「退学と言われたので過敏に反応しているのでないか」「行きすぎたところがあったなら担当教員に注意をしておく」と述べるのみで問題を放置した[69]。男子生徒は「放火はしていないが、喫煙したのは事実[65]」として校内外での複数回の喫煙を理由に同月末に自主退学し[62]「出火原因不明なのに犯人扱いされた」として同年10月に人権救済を申し立てた[66]。これを受けて兵庫県弁護士会は「証拠もないまま火災の犯人と決めつけている。恫喝行為で生徒の自尊心を傷つけており、教師という優越的地位を利用して、教育機関として許される懲戒行為の範囲を明らかに逸脱し、人格権を侵害している[62]」「教諭らに対する監督義務違反[69]」などとして、2013年3月19日に育英高等学校及び同校生徒指導部長に対し「生徒指導における人権侵害を防止するため、今後十分な措置を講じるよう警告する」という文書[注 34]を提出した[28]。同会の調査に対し、同高は「粗野な言葉で傷つけた」と事実関係を認めている[66]。また、同会に対して生徒指導部長は「傷つけたのであれば、申し訳ない」と述べている[70]

      男子生徒[注 35]は2013年3月19日までに通信制高校[28]通学している[65]

    • 野球部監督[注 36]による部員への暴力行為があり、日本学生野球協会は9月8日、東京都内で行われた審査室会議で監督に対して8月8日から謹慎1年の処分を下した[26]

著名な出身者編集

関連項目編集

注釈編集

  1. ^ 内村鑑三不敬事件などをはじめとして、数々の不敬事件が問題になった[3]
  2. ^ 教育勅語天皇の言葉をそのまま伝える「勅語」という形式のため[2]
  3. ^ 池長校長は校長就任後、学校に革新的な思想を求めた[8]。当時の生徒手帳に記された「万華鏡」と題された教訓には「盲従するな。附和雷同するな。正義の為には千万人をも敵として戦へ」と記され、個人としての自立を鼓舞する意図があった[8]
  4. ^ 当時の新聞など、『神戸中学は壮士の養成所なり』と批判的な記事をかかげたこともあったなどして、第一神戸中学校をはじめとする育英高等学校でも行われた昼弁当立食は当時、社会的に批判が少なくはなかった[9]。また作家の手島悠介も昼弁当立食を「おかしな校則」と批判している[10]。池長校長と同じ第一神戸中学校出身である井深大も、昼弁当立食をはじめとする変わった校則がある出身校を「軍国主義の権化と思われるような厳しい学校だったが、何か教育の本物があったような気がした」と語ってはいるが、手島は「合理的な性格、家庭環境等から考えて、当時の井深は反発を覚えていた可能性がある」と考察している[11]
  5. ^ 職員も行っていたかどうかの記録はない。
  6. ^ コップが用意されないので弁当箱の蓋に入れるなどする生徒がいた[6]
  7. ^ 1937年9月から始まった国民精神総動員運動や1937年5月の文部省による全国の学校への『国体の本義』の配布など[12]
  8. ^ 一度でも校内処分を受けた生徒は週番にはなれなかった[12]
  9. ^ 校内で作成された「大正四年度以降 処罰録」によると、処罰の対象となる問題行動で最も多かったのは試験中の不正行為だった[2]。複数人での協力による不正行為もあり、1923年7月には同一クラスの生徒15人が一斉処分されている[2]。他には喫煙による処分も多かった[2]
  10. ^ 1995年9月22日に体育祭は全校陸上競技大会に置き換えられ廃止されたが[17]、2012年9月22日に復活した[18]。ただし2014年度は体育祭は行われず、陸上競技大会に逆戻りしている[19]
  11. ^ 1982年6月13日に校内において文化祭は「育英祭」と改称されている[20]
  12. ^ 柔道家篠原信一は在学時、柔道部監督の有井克己によく殴られたと語っている[21][22]。また、高校を「辞める」と言った同級生が教師から酷く暴行を受けていたのを目撃しているとも語っている[23]
  13. ^ 日本では1990年代になると、体罰は暴力であり、暴力はいかなる理由があろうとも許されないという言説が支配的となった[27]
  14. ^ この校則に生徒たちは不満を募らせていた[15]
  15. ^ 2001年6月10日時点での柔道部長は大橋司朗、監督は有井克己[32]。この時点で柔道部での顧問の氏名は顧問教諭が存在しないため、または部長・監督が兼任しているためか、クラブBBSには記載されていない[32]。ちなみに柔道家の篠原信一は在学中、監督の有井からよく暴行を受けていた[21][22]
  16. ^ 2006年5月20日には野球部長の男性教諭が体罰を行ってしまい、皮肉にも2年余りという短い期間で立て続けに体罰が露見することになり、再発防止には至らなかった[25]。さらに2011年にも野球部監督が部員への体罰を行っている[26]
  17. ^ 2001年6月10時点での野球部長は堤三郎[32]
  18. ^ 公式サイトでは「第2グラウンド」と表記されているが[39]、2017年4月現在まで入り口に設置されている看板(Google マップ ストリートビュー”. 2018年3月5日閲覧。)では「第2グランド」と標示されている。また過去の公式サイトでクラブBBSとして運用されていた旧クラブBBS(育英高等学校 旧クラブBBS”. 2019年1月28日閲覧。)内の硬式野球部の紹介文においても「第2グランド」と表記されている。ちなみにグラウンドは日本語において、転訛によりグランドと誤称・誤記されることがある。
  19. ^ 7月22日の時点では午後8時頃との情報で報道されているが[41][42]、26日以降の記事では午後10時30分頃と記載されているため[43][44]、ここでは午後10時30分頃に犯行が行われたとして扱う。
  20. ^ 事件発生から間もなく、警察から学校への連絡で把握はしていたが「家裁の決定が7月下旬に予定されており、(事件の隠蔽を図ったのではなく)その後に公表するつもりだった」と阪本勝彦校長は弁解している[42]
  21. ^ 2011年8月8日には野球部監督による体罰が発覚し、指導のあり方は見直せなかった[26]
  22. ^ この時点で兵庫大会で2勝し、24日に3回戦に臨む予定だった[42]。男子生徒(16)は出場選手として登録されていない[42]
  23. ^ 男子生徒(16)は24日付で自主退学した。[44]この日は兵庫大会3回戦が行われた日だった[49]
  24. ^ 阪本勝彦校長は「一個人のしたことで連帯責任を負うことはおかしい[45]。(兵庫大会の)辞退は考えていない」[42]岡村純一理事長は「選手個人の問題なので、チームに罰則を与えることにはならない。地方大会出場に支障はない」[48]高野連の河村正副会長は「ほかの部員が関与していない事実と、被害者とその家族に誠心誠意謝罪する意向が確認できた」と述べている[50]
  25. ^ 試合中による観客の野次のためか試合後、7回コールドで完勝したのにも関わらずバスに向かう育英ナインに笑顔はなく、敗者のように下を向いていた[51]。報道陣は育英ナインを追いかけようとしたが、育英校のコーチに「今日は勘弁してやってください」と止められている[51]藤村雅美監督は「選手たちにも聞こえていた。これからも中傷はあるだろう。耐えていかないと野球はできない」と語っている[51]
  26. ^ 一連の不祥事で「精神的に疲れ果てた」と藤村雅美監督は語っている[53]。藤村雅美監督は引責退任した翌年10月26日に脳梗塞により亡くなった[54]
  27. ^ 平屋建てで計約40平方メートルが焼けた[59]長田署によると室内には火の気はなく、施錠されていた[59]
  28. ^ 兵庫県弁護士会の照会への回答によると、学校側は火元から吸い殻が発見されたとしているが、男子生徒は原因は不明であったと主張している[60]。2013年3月19日時点においても、原因については一切報道されていない。
  29. ^ 学校側は鎮火後のゴミ箱からマッチが発見されたとしているが、男子生徒含む所属運動部員に対する事情聴取によれば、部員による当日の喫煙はなく、部員に対する直後の持ち物検査によってもタバコやマッチなど具体的な出火原因となりうる物品は発見されていない[60]。兵庫県弁護士会による照会が行われた時点では鎮火後のゴミ箱から発見されたマッチもゴミ箱と共に処分されており、男子生徒による喫煙行為によって小火騒ぎが発生したと認めるに足りる証拠は存在していない[60]。照会への回答においても学校側は「本件に関し、男子生徒について何らの事実も認定していない」としている[60]
  30. ^ 4月、男子生徒は所属していた運動部ので喫煙したことが発覚し、学内謹慎処分1週間、退寮処分、部活謹慎3ヶ月の処分を受けていた[60]。また、7月に行った教諭(7月27日に同席していた教諭の一人。以下、他の注釈も含めて兵庫県弁護士会のPDFに倣い、C教諭とする)による聴取では、男子生徒は謹慎期間中を含む4月以降も喫煙していたことを自認した[63]。学校側は三宮センター街においても喫煙していたことを男子生徒は自認したとしているが、自主退学を迫った時を含め、男子生徒は一貫して否認している[63]
  31. ^ 小火騒ぎの原因調査のため、教諭が部員に対し事情聴取を行った過程において、男子生徒が7月22日に喫煙していたことが発覚[60]。男子生徒はこの事実を認め、所属運動部を退部処分となり、自宅謹慎を指示された[64]
  32. ^ 生徒指導部長は放火犯と決めつける一方、退学届には「一身上の都合」と記載するように指示[68]。このことについて同席した教諭の一人(男子生徒の所属する運動部の顧問。以下、他の注釈も含めて兵庫県弁護士会のPDFに倣い、B教諭とする)は「自主退学やったら次もあるやろって指導部長は歩み寄ってくれとう」「それに関して恩義はないんか」などと言い、男子生徒に「歩み寄り」であると説明した[68]。また、寮での喫煙発覚の際に、B教諭は男子生徒に「喫煙行為が繰り返されれば退学処分になる」と厳重注意、及び生徒指導部長が「再度喫煙行為があれば自主退学になる(のでもうしない)」と約束させたとしているが、これについて男子生徒は「次回喫煙行為があれば退学との注意は受けていない」と述べている[60]
  33. ^ 男子生徒は生徒指導部長から27日に呼び出しを受けていることを他の部員に話したところ「日頃より生徒(本件に関わっている男子生徒に限らず)を罵倒する生徒指導部長を警戒し、録音してはどうか」と助言されたため、父親から語学学習用のICレコーダーを借用の上、ポケットに忍ばせた[67]。その結果、生徒指導部長の侮辱的言辞、他二名の教諭(B教諭とC教諭)の追従する発言[69]が録音された[67]
  34. ^ 兵庫県弁護士会が学校に提出した警告書のPDFがこちら(兵庫県弁護士会の会長、及び同人権擁護委員会の委員長を除き、実名及び男子生徒の所属運動部名は伏せられている)。警告書 (PDF)”. 兵庫県弁護士会 (2013年3月19日). 2017年8月4日閲覧。
  35. ^ 2013年3月19日時点では18歳[65]
  36. ^ 2011年7月14日時点での野球部監督は葉坂良一[71]。8月11日までに葉坂良一(55)監督は退任し、足立竜司(35)部長が新監督に就任した[72]。葉坂良一監督は2006年7月に部員の不祥事により引責退任した故藤村雅美監督の後任だった[52]

脚注・出典編集

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  1. ^ 育英高等学校 同窓会-歴史”. 育英高等学校. 2013年1月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e 育英高等学校(編)、1991、「第一部 育英百年の歩み 第二章 成長期へ(池長 孟時代) ―商業学校時代―」、『夢の彩り : -育った力 一世紀-(育英 100年の歩み)』、武井育英会育英高等学校 OCLC 675594062 NCID BA46599024 p. 35
  3. ^ a b 石井拓児 (2017年10月). 全国大学高専教職員組合: “教育勅語の何が問題か? (PDF)”. 全大教時報 Vol.41 No.4. 全国大学高専教職員組合. p. 36. 2019年4月20日閲覧。
  4. ^ 育英高等学校(編)、1991、「第一部 育英百年の歩み 第二章 成長期へ(池長 孟時代) ―商業学校時代―」、『夢の彩り : -育った力 一世紀-(育英 100年の歩み)』、武井育英会育英高等学校 OCLC 675594062 NCID BA46599024 pp. 35-36
  5. ^ a b 育英高等学校(編)、1991、「第一部 育英百年の歩み 第二章 成長期へ(池長 孟時代) ―商業学校時代―」、『夢の彩り : -育った力 一世紀-(育英 100年の歩み)』、武井育英会育英高等学校 OCLC 675594062 NCID BA46599024 p. 36
  6. ^ a b c d e f g h i 育英高等学校(編)、1991、「第二部 輝き、魅力、あふれる思い ―育英関係者からのメッセージ―」、『夢の彩り : -育った力 一世紀-(育英 100年の歩み)』、武井育英会育英高等学校 OCLC 675594062 NCID BA46599024 p. 96
  7. ^ a b c d 歴史・沿革”. 育英高等学校. 2017年8月4日閲覧。
  8. ^ a b 育英高等学校(編)、1991、「第一部 育英百年の歩み 第二章 成長期へ(池長 孟時代) ―商業学校時代―」、『夢の彩り : -育った力 一世紀-(育英 100年の歩み)』、武井育英会育英高等学校 OCLC 675594062 NCID BA46599024 pp. 33
  9. ^ 兵庫県教育史編集委員会(編)、1963、「第四章 第三節 中学校の整備と農学校の設立」、『兵庫県教育史』、兵庫県教育委員会 ASIN B000JAHMNE
  10. ^ 手島悠介、1986、「神戸の母のもとへ」、『ゆめを実らせた空想科学少年 : SONY(ソニー)をきずいた井深大』、佼成出版社〈ノンフィクションシリーズ かがやく心〉 ISBN 978-4333012114 p. 82
  11. ^ 手島悠介、1986、「神戸の母のもとへ」、『ゆめを実らせた空想科学少年 : SONY(ソニー)をきずいた井深大』、佼成出版社〈ノンフィクションシリーズ かがやく心〉 ISBN 978-4333012114 p. 84
  12. ^ a b c d e f 育英高等学校(編)、1991、「第一部 育英百年の歩み 第二章 成長期へ(池長 孟時代) ―商業学校時代―」、『夢の彩り : -育った力 一世紀-(育英 100年の歩み)』、武井育英会育英高等学校 OCLC 675594062 NCID BA46599024 p. 44
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外部リンク編集