胡町停留場

日本の広島市中区にある広島電鉄の路面電車停留場
胡町電停から転送)

胡町停留場(えびすちょうていりゅうじょう、胡町電停)は、広島県広島市中区鉄砲町および幟町にある広島電鉄本線路面電車停留場である。駅番号はM6

胡町停留場
広島駅方面のホーム
えびすちょう
Ebisu-cho
M5 銀山町 (0.2 km)
(0.2 km) 八丁堀 M7
地図
所在地 広島市中区鉄砲町・幟町
北緯34度23分36.85秒 東経132度27分52.36秒 / 北緯34.3935694度 東経132.4645444度 / 34.3935694; 132.4645444 (胡町停留場)座標: 北緯34度23分36.85秒 東経132度27分52.36秒 / 北緯34.3935694度 東経132.4645444度 / 34.3935694; 132.4645444 (胡町停留場)
駅番号 M6
所属事業者 広島電鉄
所属路線 本線
キロ程 1.4 km(広島駅起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
4,361[1]人/日
-2019年-
開業年月日 1912年大正元年)11月23日
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歴史 編集

当停留場は1912年大正元年)11月、本線が広島駅前から紙屋町までの区間で開通[4]したのと同日に開設された[5]。開設時の停留場名は上流川町停留場(かみながれかわちょうていりゅうじょう)で、これは当時の町名に由来する[6]。停留場名はその後流川町停留場(ながれかわちょうていりゅうじょう)へと改められている[7]

1945年昭和20年)8月6日原爆投下により広島電鉄の市内線は全区間で休止するが、当停留場を含む本線の山口町から八丁堀までの区間は同年の10月には復旧を果たしている[5]1965年(昭和40年)4月1日には広島市が町名変更を実施、上流町が胡町へと変更されたことに伴い同日に流川町停留場から胡町停留場へと改称された[6][8]

年表 編集

  • 1912年(大正元年)11月23日 - 本線の開業と同時に上流川町停留場として開業[5][9]
  • 時期不詳 - 流川町停留場に改称[7]
  • 1945年(昭和20年)
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 広島市内の町名変更に伴い、胡町停留場に改称[5][9]

1920年(大正9年)以前に停留場名を「流川」とし、1960年(昭和35年)3月30日より「流川町」に改称されたとする資料も存在するが[10]、それ以前に停留場名を「流川町」としている資料もあり[11]、表記には揺れが見られる。

構造 編集

本線はほぼ全区間で道路の上に軌道が敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが設置されている。

ホームは低床式[12]で上下2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように配置されている[13]。ただし互いのホーム位置は交差点を挟んで斜向かいにあり、交差点の東に広電西広島駅方面の下りホームが、西に広島駅方面の上りホームがある[12][13]。1973年から74年にかけて車両の大型化が進んだことに伴い、停留場は延長工事がなされている[14]。1988年(昭和63年)からは上屋が備え付けられた[15]

無人駅であるが[13]ひろしまフラワーフェスティバルとうかさんの開催時には整理員が配置される。

運行系統 編集

本線は広島電鉄が運行するすべての系統が乗り入れているが、このうち当停留場には1号線、2号線、6号線、それに0号線が乗り入れる。

下りホーム   広電本社前ゆき、日赤病院前ゆき
  広島港ゆき
  広電宮島口ゆき、広電西広島ゆき
  江波ゆき
上りホーム     広島駅ゆき

利用状況 編集

  • 胡町停留場の1日平均の乗降人数は6,164人である。(平成11年度)

周辺 編集

広島市の歓楽街である新天地が近く、薬研堀通りや流川通りが通じている[6][13]。下りホームの南には広島三越天満屋八丁堀ビルが立地し、隣の八丁堀停留場は123メートルと至近距離に位置する[12]

隣の停留場 編集

広島電鉄
本線
銀山町停留場 (M5) - 胡町停留場 (M6) - 八丁堀停留場 (M7)

脚注 編集

  1. ^ 広島県 駅乗降客数”. 2021年3月11日閲覧。
  2. ^ 『広電が走る街 今昔』45頁
  3. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』43頁
  4. ^ 路線自体は紙屋町より先の櫓下まで竣工していたが、トラブルのため実際に紙屋町より先の区間が開業したのは2週間後のことである[2][3]
  5. ^ a b c d e f 『広電が走る街 今昔』150-157頁
  6. ^ a b c 『広電が走る街 今昔』30-31頁
  7. ^ a b 改称時期は『広電が走る街 今昔』31頁では1939年(昭和14年)ごろとするが、同書157頁では1927年(昭和2年)ごろとする。
  8. ^ 廃止町名と現在の町の区域”. 広島市. 2016年7月23日閲覧。
  9. ^ a b 『広島のチンチン電車 市内線と宮島線波乱に富んだ86年のドラマ』郷土出版社、1998年、227-236頁。ISBN 4-87670-110-5 
  10. ^ 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、37頁。ISBN 978-4-10-790029-6 
  11. ^ 広島県統計書 昭和7年 第1編 其ノ2』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  12. ^ a b c 川島令三全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、103頁。ISBN 978-4-7942-1711-0 
  13. ^ a b c d 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、8,75頁。ISBN 978-4-06-295157-9 
  14. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』196・233頁
  15. ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』440頁

参考文献 編集

  • 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05986-4 
  • 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄、2012年。 

関連項目 編集

外部リンク 編集