能福寺
兵庫県神戸市兵庫区にある天台宗の寺院
能福寺(のうふくじ)は、兵庫県神戸市兵庫区にある天台宗の寺院。山号は宝積山。本尊は阿弥陀如来。兵庫大仏で有名。ビルシャナ殿は新西国三十三箇所第23番札所で本尊は十一面観音である。
能福寺 | |
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月輪影殿(本堂) | |
所在地 | 兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39 |
位置 | 北緯34度40分4.76秒 東経135度10分17.01秒 / 北緯34.6679889度 東経135.1713917度座標: 北緯34度40分4.76秒 東経135度10分17.01秒 / 北緯34.6679889度 東経135.1713917度 |
山号 | 宝積山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 伝・延暦24年(805年) |
開山 | 伝・最澄 |
別称 | 寶積山能福護國密寺 |
札所等 |
新西国三十三箇所第23番 福原西国三十三観音霊場第32番 神戸十三仏霊場第8番 兵庫七福神(毘沙門天) |
文化財 | 木造十一面観音立像(重要文化財) |
公式サイト | 能福寺 |
法人番号 | 1140005000435 |
歴史編集
寺伝では延暦24年(805年)に最澄(伝教大師)により能福護国密寺として創建されたとされており、日本最初の密教教化霊場と称する。
平清盛所縁の寺としても知られており、治承4年(1180年)には福原京遷都計画にともなって平家一門の祈願寺に定められたことで、大伽藍が建設され大いに栄えた。その後、興国2年/暦応4年(1341年)に兵火で七堂伽藍全てを焼失したが、慶長3年(1599年)に長盛法印が再興したという伝がある。
江戸時代の寺格は京都青蓮院門跡の院家(門跡不在時の代理を務める格式の寺)であった。
兵庫大仏編集
1891年(明治24年)5月に豪商・南条荘兵衛の寄進により大仏が建立された[1]。この大仏は1944年(昭和19年)5月に金属類回収令で解体されて国に供出されるまで日本三大仏の一つに数えられた[2]。
現在の大仏は1991年(平成3年)5月9日に再建されたものであるが、その材料には戦後になって解体された大仏を発見した当時の住職が回収保管し、再建時にその金属片を混入したものを使用している。毘廬舎那仏(光明遍照)像で、像重量約60t、像高11m、蓮台と台座を含めると高さ18mになる巨大な坐像である。1991年5月の開眼法要には、奈良市の東大寺管長、鎌倉市の高徳院貫主が臨席した。
なお江戸時代には、奈良大仏(像高約14.7m)、鎌倉大仏(像高約11.39m)、方広寺大仏(京の大仏、像高約19m)の三尊が、日本三大仏と称されていた[3]。
境内編集
瀧 善三郎正信 碑 |
- 月輪影殿(本堂) - 京都東山の泉涌寺寺域の墓陵(月輪御陵)にあったものを1954年(昭和29年)に宮内省と九条家により移築されたもの。1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災で被災するが、1997年(平成9年)12月に復興する。
- 納骨堂
- 護摩堂
- 兵庫大仏
- ビルシャナ殿 - 大仏の台座の部分にある。新西国三十三箇所第23番札所で十一面観音を祀る。
- 庫裏 - 本坊。
- 講堂 - 1975年(昭和50年)建立。
- 北風正造君碑 - 兵庫の勤王豪商。碑文は伊藤博文の揮毫である。
- ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)による寺の由来碑 - 日本最初の英文碑である。
- 當勝稲荷堂 - 2016年(平成28年)12月再建。
- 平清盛廟(平相国廟) - 十三重石塔形式の平清盛供養塔。
- 鐘楼堂 - 阪神・淡路大震災で倒壊するが、2018年(平成30年)秋に再建された。
- 滝善三郎供養碑 - 神戸事件により切腹した滝善三郎の供養碑である。もともと永福寺にあったものを百回忌の1969年(昭和44年)に当寺に移されてきた。
- 円實の墓 - 能福寺住職。同寺に於ける平清盛剃髪出家時の師の遺骨の埋葬者。
文化財編集
重要文化財編集
- 木造十一面観音立像
前後の札所編集
兵庫七福神めぐり編集
交通編集
脚注編集
- ^ 新修神戸市史編集委員会 1994, pp. 40–41.
- ^ 兵庫大佛 能福寺 観光神戸公式観光サイト FeelKOBE
- ^ 薬師寺君子『写真・図解 日本の仏像 この一冊ですべてがわかる』西東社 2016年 p.170
参考文献編集
- 新修神戸市史編集委員会『新修神戸市史 歴史編』 4 (近代・現代)、神戸市、1994年。