メインメニューを開く

能美(のうみ)は、日本海軍の海防艦御蔵型海防艦の4番艦。船団護衛中に撃沈された。

能美
能美(1944年2月 大阪湾)
能美(1944年2月 大阪湾)
基本情報
建造所 日立造船桜島造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 海防艦
級名 御蔵型海防艦
建造費 5,112,000円(予算成立時の価格)[注釈 1]
艦歴
計画 マル急計画
起工 1943年8月10日
進水 1943年12月3日
竣工 1944年2月28日
最期 1945年4月14日被雷沈没
除籍 1945年5月25日
要目(竣工時)
基準排水量 940トン
全長 78.77m
最大幅 9.10m
吃水 3.05m
主機 艦本式22号10型ディーゼル2基
推進 2軸
出力 4,200hp
速力 19.5ノット
燃料 重油 120トン
航続距離 16ノットで5,000カイリ
乗員 定員149名[注釈 2]
兵装 45口径12cm高角砲 連装1基、単装1基
25mm機銃 連装2基
九四式爆雷投射機2基
爆雷120個
単艦式大掃海具1組
搭載艇 短艇3隻
レーダー 22号電探1基
ソナー 九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
テンプレートを表示

目次

艦歴編集

計画-竣工-練成編集

マル急計画の海防艦甲、第310号艦型の17番艦[注釈 3]、仮称艦名第326号艦として計画。1942年2月14日、海防艦乙の基本計画(基本計画番号E20)が決定したため、それに従って建造されることとなった。

1943年8月10日、日立造船株式会社桜島造船所で起工。12月3日、進水。22日能美と命名。本籍を横須賀鎮守府と仮定し、御蔵型海防艦の4番艦に定められる。1944年2月28日竣工し、本籍を横須賀鎮守府に、役務を横須賀鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められる。同日付で呉防備戦隊に編入され、基礎術力練成教育に従事。

1944年3月-6月 第二海上護衛隊(東松船団護衛)編集

1944年3月15日、海上護衛総司令部第二海上護衛隊に編入[注釈 4]。22日、東松三号船団(10隻[注釈 5])を護衛して東京発。能美はパラオ行き船団の護衛に割り当てられ、28日に船団が分割されてからはパラオへ向かったが、30日に発生したパラオ大空襲のためサイパンに退避した。その後出港しなおして4月14日、パラオ着。

4月28日、東松7号船団(15隻[注釈 6])を護衛して東京発。5月6日、サイパン着。20日、東松8号復航船団(3隻)を護衛してサイパン発、26日、東京着。28日、東松七号船団を護衛して東京発。5月6日、サイパン着[1]

5月7日から8日にかけて船団を護衛し、サイパンとグアムを往復。9日から11日にかけて東松六号船団を護衛。14日から15日にかけてグアム沖で対潜掃蕩に従事。16日から20日にかけて船団を護衛し、グアムとサイパンを往復。20日、4520甲船団を護衛して横須賀へ向けサイパン発。26日、横須賀に帰投[1]

6月6日、3606船団(13隻)を隠岐らと護衛して横浜発。9日、父島沖で護衛部隊旗艦松風が撃沈されたため、サイパン行きを中止し、同日父島に入港。能美は東京へ引き返し、14日美保丸船団(4隻)を護衛して東京発。17日、軍隊区分戊直接護衛部隊編入を解かれ、甲直接護衛部隊に編入。23日、横須賀鎮守府作戦指揮を解かれ、大湊警備府作戦指揮下、軍隊区分海上護衛部隊に編入。27日、大湊に回航。28日、第15号駆潜艇とともに軍隊区分宗谷防備部隊に編入。樺太千島列島北海道方面での船団護衛、哨戒、救難に従事。

1944年7月-10月 大湊警備府編集

1944年7月2日、キ203船団を護衛して稚内発。5日、得撫島着。6日、引き続き同復航船団を護衛して得撫島発。8日、稚内着。同日、大湊へ回航。16日、大発を曳航して大湊発。17日、稚内着。18日、第二海上護衛隊の解隊に伴い大湊警備府に編入され、役務を横須賀鎮守府警備海防艦に定められる[2]。24日、軍隊区分大湊警備府海上護衛部隊に配置[3]。20日、キ102船団を護衛して稚内発。25日、同船団を護衛して稚内に帰着。その後大湊へ回航。27日、哨戒のため大湊を出撃。30日、稚内着[3][4]

8月1日、オハを出港した海軍配当船柏榮丸北知床岬付近で座礁したため、救難に従事。一旦稚内に回航し、5日海軍徴傭船那須丸(救難船)と同金津丸(給油船)を伴い遭難現場へ向かう。7日、現場に到着し福江の護衛を受け、能美海防艦長が柏榮丸の救難と重油移載作業の指揮を執る。8日、波風の被雷を千島方面根拠地隊に通報し、波風の周囲を警戒。10日、柏榮丸から金津丸への重油移載が終了。同日被雷した昭南丸の救難に向かう。しかし浮流物以外は発見できず、キ505船団との会合地点に向かう。14日、柏榮丸の船体切断後に後部のみ浮揚したため、これを派遣された曳船2隻に曳航させ愛郎湾まで護衛。17日、愛郎湾で柏榮丸を第五十二掃海隊に引渡し、能美は補給のため大泊へ回航。21日、オハへ向かった金津丸を護衛するため大泊発。23日、オハ沖に到着し、金津丸を護衛し南下。27日から北東方面艦隊の指揮を受け北方輸送に従事。

9月5日、キ505船団を護衛して小樽発。11日、敷香着。15日、引き続きキ505船団を護衛して敷香発。22日、幌筵島片岡湾着。24日、チ403船団を護衛して片岡湾発。29日、小樽着。[5]

10月1日、大湊へ回航のため小樽発。2日、大湊着[5]

1944年10月-1945年1月 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊編集

1944年10月21日、第一海上護衛隊作戦指揮下に編入。22日、門司へ回航のため大湊発。24日、門司着。26日、ヒ79船団(6隻)を護衛して門司発。途中、高雄を経由し、11月9日シンガポール着。シンガポールへ向け航行中の11月1日、能美は第一海上護衛隊に編入。

11月17日、ヒ80船団(8隻)を護衛してシンガポール発。12月4日、佐世保着。

12月4日から11日まで佐世保海軍工廠で整備、磁差修正等を行う。整備中の10日、第一海上護衛隊は第一護衛艦隊に改編。12日、モタ船団[注釈 7]を護衛し佐世保発。22日、高雄着。26日、ヒ79船団を護衛して高雄発。29日、サンフェルナンド着。

1945年1月1日、マタ40船団(3隻)を護衛しサンフェルナンド発。3日、高雄着。4日、タモ35船団と合同のため高雄発。同船団を南澳島まで護衛し、7日高雄に帰着。10日、ヒ87船団を護衛して高雄発。13日、香港着。香港在泊中の16日、空襲により後部高角砲を損傷。17日、ヒ87船団先遣部隊として香港発。22日、サンジャック着。28日、ヒ88B船団(2隻)を護衛してサンジャック発。29日、パンフォン湾に入港。30日、パンフォン湾を発し対潜掃蕩を行ったが、31日に輸送船が2隻とも撃沈された。能美は単艦でサイゴンへ回航。2月3日、サイゴン着。

1945年2月以降 第一海防隊-沈没編集

1945年2月4日、船団を護衛しサイゴンを発、5日、第一護衛艦隊隷下の第一海防隊に編入される。6日、シンガポール着。11日、ヒ88F船団(2隻)を護衛してシンガポール発。途中、キノン湾とツーランを経由し、船団は能美の修理のため24日に香港に寄港する。26日、能美の修理が終わり船団は香港発。3月8日、門司着。同日呉へ回航し、呉海軍工廠で兵器換装を含む修理と整備を行った。『第一海防隊(海防艦能美)戦時日誌』の記述では、呉での修理中に九四式爆雷投射機を撤去して三式爆雷投射機とし、水中探信儀を仮称三式水中探信儀改二に換装、さらに一号電波探信儀三型改一を装備したとある。

呉で修理中の3月20日に第一海防隊司令海防艦に指定され、海防隊司令池田暎大佐が乗艦された。

4月2日、修理が終わり出渠。8日まで整備と試運転を行い、9日門司へ回航された。11日、モシ02船団(特設運送船壽山丸)を護衛して門司を発したが、14日未明、飛揚島で仮泊中、壽山丸が突然大爆発を起こして炎上した。それは湾内に侵入したアメリカの潜水艦ティランテの魚雷攻撃によるもので、能美は第31号海防艦と共に、壽山丸の火炎によってその姿を照らし出されたティランテへ向けて急行した。逃げるティランテから発射された魚雷1本が能美の艦橋直下に命中し、能美はその衝撃で弾薬庫が誘爆し艦体を両断され轟沈した。第一海防隊司令池田映大佐、海防艦長の箟源三郎少佐以下127名が戦死した。

5月25日、能美は第一海防隊と御蔵型海防艦から削除され、帝国海防艦籍から除かれた。

海防艦長編集

艤装員長
  1. 箟源三郎 少佐:1944年1月10日 - 1944年2月28日
海防艦長
  1. 箟源三郎 少佐:1944年2月28日 - 1945年4月14日 戦死、同日付任海軍中佐

脚注編集

注釈
  1. ^ これは第310号艦型の価格であり、基本計画番号E20としての価格ではない。
  2. ^ この数字は特修兵、その他臨時増置された人員を含まない。
  3. ^ マル急計画の当初計画での番数。
  4. ^ 1944年3月から6月までの間に横須賀鎮守府作戦指揮下、軍隊区分戊直接護衛部隊に編入されたが、該当期間の第二海上護衛隊戦時日誌および横須賀防備戦隊戦時日誌が公開されていないため、日付の詳細は不明。
  5. ^ サイパン止4隻、パラオ行き6隻。
  6. ^ 父島行き1隻、サイパン行き9隻、パラオ行き3隻、ヤップ行き2隻。
  7. ^ 能美沈没後に作成された『海防艦能美戦時日誌』の記述による。船団番号不明。
脚注
  1. ^ a b 1944年4月28日から5月26日までの行動は、海防艦顕彰会『海防艦戦記』p. 206。による。
  2. ^ 昭和19年7月18日付 内令第876号。
  3. ^ a b 大湊警備府戦時日誌(昭和19年7月1日-31日)。
  4. ^ 1944年7月の行動は、特に脚注を付したものを除き海防艦顕彰会『海防艦戦記』p. 207による。
  5. ^ a b 1944年9月5日から10月2日までの行動は、特に脚注を付したものを除き海防艦顕彰会『海防艦戦記』p. 207による。

参考文献編集

  • 海軍省
    • 法令、令達
      • 昭和18年12月22日付 達第319号、内令第2776号、内令第2778号、内令第2780号。
      • 昭和19年2月28日付 内令第364号。
      • 昭和19年7月18日付 内令第876号。
      • 昭和20年2月5日付 内令第99号。
      • 昭和20年5月25日付 内令第466号、内令第470号、内令第472号、内令員第1001号、内令員第1002号。
    • 人事発令
      • 昭和19年1月10日付 海軍辞令公報(部内限)第1296号。
      • 昭和19年2月28日付 海軍辞令公報(部内限)第1348号。
      • 昭和20年11月12日付 海軍辞令公報 甲 第1979号。
    • 戦時日誌、任務報告
      • 呉防備戦隊戦時日誌。
      • 横須賀防備戦隊戦時日誌。
      • 大湊警備府戦時日誌。
      • 宗谷防備部隊戦時日誌。
      • 第一海上護衛隊戦時日誌。
      • 第一護衛艦隊戦時日誌。
      • 海防艦能美戦時日誌。
      • 第一海防隊(海防艦能美)戦時日誌。
  • 海防艦顕彰会『海防艦戦記』、原書房、1982年。
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
  • 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 岩重多四郎『戦時輸送船ビジュアルガイド2』、大日本絵画、2011年、ISBN 978-4-499-23041-4
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第31巻 『海軍軍戦備(1) -昭和十六年十一月まで-』、朝雲新聞社、1969年。
  • 丸スペシャル No. 28 日本海軍艦艇シリーズ 『海防艦』、潮書房、1979年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。