ハンブルク

ドイツの都市

ハンブルクドイツ語: Hamburg [ˈhambʊrk][1]低ザクセン語低地ドイツ語: Hamborg (Hamborch) [ˈhaˑmbɔːχ])は、ドイツの北部に位置し、エルベ川河口から約100kmほど入った港湾都市

ハンブルク
自由・ハンザ都市ハンブルク

Freie und Hansestadt Hamburg
ドイツの旗
ハンブルク州
Land Hamburg
ハンブルクのスカイライン
ハンブルクのスカイライン
ハンブルク 自由・ハンザ都市ハンブルクの旗
ハンブルク 自由・ハンザ都市ハンブルクの公式印章
印章
Locator map Hamburg in Germany.svg
北緯53度33分01秒 東経09度59分34秒 / 北緯53.55028度 東経9.99278度 / 53.55028; 9.99278
ドイツの旗 ドイツ
行政
 • 種別 州(都市州)
 • ハンブルク市長 ペーター・チェンチャー英語版
(SPD)
SPDGrüne
面積
 • 合計 755.26km2
標高
3m
人口
(2019年10月)
 • 合計 1,845,115人
等時帯 CET
 • 夏時間 CEST
市外局番 040
ISO 3166コード DE-HH
ナンバープレート HH
ウェブサイト [1]

概要編集

正式名称は自由ハンザ都市ハンブルクFreie und Hansestadt Hamburg、フライエ・ウント・ハンゼシュタット・ハンブルク)。 行政上では、ベルリン特別市と同様に、一市単独で連邦州(ラント)を構成する特別市都市州)なので、ハンブルク特別市ハンブルク州と呼ばれる。 人口は、ドイツ第二位の約184万人[2]国際海洋法裁判所がある。

地名の由来編集

「ハンブルグ」と慣例的に表記されることもあるが、ドイツ語の発音ではこの語尾の "g" は無声音であるため、仮名転写は「ハンブルク」[3][4]となる。現地での低地ドイツ語系の低ザクセン語に属するハンブルク方言ドイツ語版またはハンブルク語ドイツ語版による「ハンブイヒ」([ˈhambʊɪç]) や、低ザクセン語の「ハンボーホ」の発音も聞かれる。この地名の最も古い形は、834年 古高ドイツ語 ’Hammaburg’である。これは、高い乾燥した砂地の岬にあるカロリング朝の城塞を指している。’Hamma’ は、現在のドイツ語で ’Hinterschenkel, Kniekehle’「太もも、大腿、膝窩(しっか)、ひかがみ」、転じて ’Winkel, Krümmung, Bucht’「角、湾曲、湾」を意味した。しかし、この地は高地ドイツ語ではなく、低地ドイツ語の地域に入るので、現在のドイツ語で ’umfriedetes Stück Weideland’「(柵、堀などで)囲われた牧場あるいは(魚や鳥の)餌場」を意味する中低ドイツ語(mittelniederdeutsch) ’hamme’の古い形が存在したかもしれない。’burg’ は「城塞」を意味する[5]。漢字表記の「漢堡」は、「Hamburg」の音訳であり、日本語と中国語の両方で同一表記である(※漢字の「堡」は「とりで」を意味しており、「burg」の直訳)。ハンバーグの語源はハンブルクの労働者の食事として流行っていたタルタルステーキから来ている。英語でもハンブルクのことを“ハンバーグ”に近い発音で呼ばれる(英語でBurgはバーグ)。なお、フランス語では「Hambourg」(アンブール)と表記される。

地理編集

位置編集

エルベ川の支流・アルスター川の河口にある港湾都市で、ドイツ北部における経済の中心地。 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州ニーダーザクセン州に境を接する。近隣の都市としては、約80km北のキール市、55km北東のリューベック市、95km南西のブレーメン市、95km西のブレーマーハーフェン市、90km東のシュヴェリン市などが挙げられる。

市域は、アルスター川東岸の旧市街と西岸の新市街、それらをとりまく地域からなる。旧市街は昔から商業地域の中心で、数多くの運河がながれている。町の景観の特色のひとつが運河にかかる橋で、アムステルダムヴェネツィアをあわせたよりも多くの橋がある。そのほかの名所としては、港にかかる長いつり橋ケールブラント橋や、アルスター川をせきとめてつくった内アルスター湖と外アルスター湖[6]、現在では旧市街をかこむ公園・遊歩道となっている古い市壁跡地があげられる。また、ナイト・クラブがならぶレーパーバーン歓楽街として有名である。

なお、市の中心部とは約100km離れているドイツ北西部のワッデン海北海)の島嶼および干潟の一部は同市の飛地である。

行政区画編集

 
市の区域

ハンブルク特別市は、7つの区域(Bezirk)に区分されている。

  1. アルトナ区 (Altona)
  2. ベルゲドルフ区ドイツ語版 (Bergedorf)
  3. アイムスビュッテル区ドイツ語版 (Eimsbüttel)
  4. ミッテ区 (ハンブルク)ドイツ語版 (Hamburg-Mitte)
  5. ノルト区 (ハンブルク)ドイツ語版 (Hamburg-Nord)
  6. ハールブルク区ドイツ語版 (Harburg)
  7. ヴァンツベック区ドイツ語版 (Wandsbek)

歴史編集

 
2世紀の学者プトレマイオスが著した『地理学』の15世紀写本より、Treva と書かれた部分が現在のハンブルクである
 
1730年のハンブルク
 
1800年のハンブルク
 
1890 - 1900年のハンブルク

古代編集

石器時代の石器が発見されていることから、石器時代にも人間が住んでいたことがわかっている。紀元前4世紀の巨石を使った墓なども現存している。ローマ人は、このあたりの場所をTrevaと呼んでいた。ローマの金貨が出土していることから貿易も行われていたようである。ローマ側の記録では琥珀の輸送に使われていたとされる。

中世編集

この地の古い部分には、スラブ人が居住していたと思われる[7]

カール大帝804年に国王荘館(Königshof)を置き、811年に洗礼教会(Taufkirche)をアルスター川(die Alster)のエルベ川に合流する地点の近くに建設する指示を下したと推測される。825年ルートヴィヒ1世(敬虔王)は「ハンマブルク城砦」(Kastell Hammaburg)を築かせる[8]831年アンスガル(Ansgar)がこの地の大司教に叙任される[9]

教会建設と結びついた集落(旧市区)は845年デーン人の襲来により破壊され、848年には大司教座がブレーメンに移される。983年にはスラブ人との戦争により再びこの街は破壊される。1066年1072年にもスラブ人に襲われている。12世紀の新市区の建設がハンブルクの歴史の転機となる。1188年 ホルシュタイン伯アドルフ3世(Graf Adolf III. von Holstein)はミニステリアーレのヴィーラト・フォン・ボイツェンブルク(Wirad von Boizenburg)をリーダーとする人々に入植権を与える。新規入植者は税金を支払うことなく割り当てられた土地を所有することが許されるものだった。1189年5月7日アドルフは神聖ローマ皇帝 フリードリヒ1世から、旧市区と新市区の両集落に対する特権状を獲得する。これは、住民にエルベ川下流での無関税船舶運航を保証するものだった[10]

1201年、ハンブルクはホルシュタインと一緒にデンマーク領になる(26年間にわたる)。1216年、旧市区と新市区は合併する。1228年、ブレーメン大司教は旧市区に対して保有していた都市君主としての権利をホルシュタイン伯に譲渡する。司教座教会参事会の不入地域(der Immunitätsbezirk des Domstifts)は統合市域(Stätische Integration)から長い間除外されたままになり、それがために14世紀に市民側と激しい抗争を引き起こすことになった[11]。この頃ハンブルクは一大貿易港へと急速に発展する[12]。市長を置き、参事会を設置するなど都市君主からの自由度を高めてゆき、ツンフトが形成される。参事会会員は世襲の都市貴族に限られなかったので、社会的上下間の流動性が見られた[13]

また、関税特権、経済特権を獲得したことで交易都市としての発展が進み、1241年にリューベックと、1249年にブレーメンと防衛同盟をむすんだ。同年、シャウエンブルク伯爵より完全な自治を許され、貨幣製造権も与えられる。このことがやがてハンザ同盟の成立へとつながっていく。たかだか同盟のビール生産地にすぎなかったハンブルクは、リューベックが衰えるのと反対に繁栄し富裕な有力都市のひとつとなった。

14世紀以降、北オランダと北ドイツの諸都市では市場向けビールが大量に生産されたが、その「代表は北ドイツのハンブルクだった。1376年にハンブルクで営業していた商工業者1075名のうち、ビール醸造職人は実に456名を占め、1369年のハンブルクのビール総生産高は17万樽に上った。1411年ブリュージュの課税記録によれば、オランダ産のビールと蜂蜜酒5500樽に対して、ハンブルク産のビールは5万1000樽の多きに及んでいる」[14]

1376年、ハンブルクのビール醸造職人数は上記のとおりであるが、他の職種について言えば、178人が独立遠隔地商人(84人のフランドル渡航者+35人のイングランド渡航者+40人のリューベック渡航者)、19人が織物商、31人が小売商(21人の雑貨商+10人の行商人)、残りが各種手工業者(鋳物工、金細工師、皮なめし工など)であった[15]

14世紀北海での海賊との戦闘において名声を挙げ、ハンザ同盟の同盟結成当初からのメンバーとして北海とバルト海地域の間の最重要積み替え地となった[16]1400年頃、市の人口は約8000人であったが[17]1430年頃には約16000人になっている[18]

ジギスムント神聖ローマ皇帝)の治下、市は初めて「帝国直属」(reichsunmittelbar)とされ、1510年アウクスブルク帝国会議において「ニーダーザクセン帝国クライスの帝国都市」(Reichsstadt im niedersächsischen Reichskreis)とされ、1618年には帝室裁判所(Reichskammergericht)もハンブルクの独立を確認している[19]

その後、三十年戦争によりハンブルクの商業は大打撃をこうむった。もっとも、市域は強固な防御施設に守られ、戦争の被害は被らなかった[21]。しかし、フランスフォンテーヌブローの勅令が出て逃げてきたユグノーが、当時において先進的な工業技術と潤沢な資金により復興させた。

近世編集

  • 1810年、ハンブルクはナポレオン1世の軍隊に占領された。しかし、ナポレオンの没落後ふたたび自由都市となり、1815年にドイツ連邦に加盟した。このころにスペイン・ポルトガルから独立していたラテンアメリカ諸国が欧州との貿易を望み、ハンブルクは旧来の取引関係をさらに拡充する機会として積極的に応じた。

近代編集

  • 1871年のドイツ帝国成立の際、ハンブルクはどこの州にも属さず独立を維持した。
  • 1892年にはコレラの流行で8605人もの死者が出た。このときプロイセン王国に属するアルトナ市は、市街地をハンブルクに隣接させていたが、水道を濾過する設備を整えており、コレラの侵入を全く阻んで瘴気説の終焉をもたらした[22]

近現代編集

現代編集

  • 2007年10日、ハンブルク市内でドイツ社会民主党(SPD)全国大会が開かれ、ベルリン綱領(1989年)に代わる党綱領「ハンブルク綱領」を採択した。
  • 2017年7月7日-8日、ハンブルク市内で第12回G20首脳会議が行われた。

会議に合わせて7月6日より市内で大規模デモ行進が行われ少なくとも1万3,000人が参加。一部は暴徒化し、警官75人が負傷した[24]

政治編集

 
ハンブルク市議会の議場
 
ハンブルク市議会の勢力図(2021年現在)

現在も市民にはプロテスタントが多い。政治的には中道左派のドイツ社会民主党 (SPD) が長期間市政を担うなど、南ドイツ第一の都市・ミュンヘン市とはサッカーに限らずあらゆる点で対照的である。

ミュンヘンのあるバイエルン州はカトリックの地盤であり、政治では保守政党のキリスト教社会同盟 (CSU) の勢力が強い[25]

市長編集

市の首長は正式には「第一市長」(Erster Bürgermeister)である。2011年からSPD党首代行のオーラフ・ショルツが市長を務めていたが、2018年3月にメルケル 連立政権の連邦副首相として入閣することとなり、同月28日、SPDのペーター・チェンチャー英語版がハンブルク市長に就任した。

議会編集

ハンブルク市議会の定数は123。2020年2月23日に行われた選挙での、各党の「得票率/獲得議席数(前回2015年選挙からの増減)/議席占有率」は以下の通りである。

2020年の市議会議員選挙では、前回2015年選挙以降、SPDとの連立与党の座にある同盟90/緑の党が15議席から33議席へと躍進を遂げた。国政与党のCDUは、前々回2011年選挙以降の低落傾向に歯止めがかかっていない。右派AfDは2015年選挙で初めて議席を獲得、今回も1減ながら7議席を確保した。

経済編集

 
コメルツ銀行アトリウム

ブレーメン市と同様に、中世以来の自由都市としての地位を現代まで維持している。人口は、ベルリン特別市に次ぐ、ドイツ第2の都市である。現在、大型クルーズ船の桟橋や文化・商業・居住機能をもつ臨港地域「ハーフェンシティ」の開発計画が進行中である[26]

物流拠点編集

中世よりハンザ同盟の中心的役割を果たした都市の一つでもあり、エルベ川沿いの港湾商業都市として発展した。 コンテナ貨物用の広大な施設をそなえ、造船と船舶修理用の大きなドックを持つ港は、ドイツ第一、欧州連合第二の港湾規模、大小約500の海運関係企業があるといわれている。 鉄道と高速道路網によって中央ヨーロッパの諸都市とむすばれ、ドイツ最大の物流拠点となっている。

金融センター編集

2020年イギリスシンクタンクによりハンブルクは世界29位の金融センターとして評価された。これはドイツ国内でフランクフルトに次ぐ[27]

拠点を置く企業編集

近年ハンブルクは産業構造改革の一環として技術集約産業の誘致に熱心で、多くの多国籍企業が拠点をおいている。 エアバス社が専用滑走路をもつドイツ最大の工場を置いている他、ハンブルク空港にはルフトハンザ・テクニック社がある。また、モンブランや日本名ニベア花王で知られるバイヤースドルフの本拠地でもある。

交通編集

 
ハンブルク中央駅
 
ハンブルク地下鉄

空港編集

ハンブルク空港は中心部から10kmと便利な位置にある。

鉄道編集

ドイツ鉄道(DB)のハンブルク中央駅はドイツ最大の乗降客数を誇るターミナル駅である。

地下鉄

ハンブルク地下鉄は4線で106kmの路線網を展開している。

港湾編集

ハンブルク港はドイツ最大規模の港湾施設を備えている。

観光編集

欧州屈指の歓楽街を持つ。市の中央にアルスター湖があり、観光客も多い。観光では、最近はエリカ街道の起点にもなっている。

 
税関近くの運河
 
夜の倉庫街
 
ハンブルク市庁舎

名所・旧跡編集

観光スポット編集

アルスター湖のパノラマ

文化編集

音楽編集

 
ハンブルク国立歌劇場

ハンブルク国立歌劇場(実際は市立だが、独立性の高い政府組織を持つ他の州立歌劇場と同様、一般にはハンブルク国立歌劇場と呼ばれる)はヨーロッパ屈指の長い歴史を有し、バロック音楽中期のイタリアオペラ全盛期であった1678年の初公演からドイツ語オペラ上演を盛んに行なっていた名門オペラハウスである。専属オーケストラはハンブルク・フィルハーモニカーの名でコンサートも行う。同歌劇場は1970年前後に北ドイツ放送と共同で質の高いオペラ映画を多数製作し、それらの一部は現在でもDVDなどで親しまれている。北ドイツ放送交響楽団は戦後創設の団体だが、創立者ハンス・シュミット・イッセルシュテットギュンター・ヴァントら名指揮者の薫陶を受けてドイツでも有数の地位を獲得、現在はNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団と改称している。

 
エルプフィルハーモニー

18世紀にはゲオルク・フィリップ・テレマンカール・フィリップ・エマヌエル・バッハがハンブルク市音楽監督を勤めた。ロマン派時代の作曲家フェリックス・メンデルスゾーンヨハネス・ブラームスの生誕地でもあり、NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の本拠地でもある。2017年に新しいコンサートホール、エルプフィルハーモニーが開業した。ハンブルクはミュージカルの興行が盛んな街としても知られる。

ビートルズが下積み時代にハンブルクでリーゼントヘアで活動していたことでも知られ、その後、マッシュルームカットにイメージチェンジして英国でデビューした際、「ハンブルクから来た男たち」の触れ込みで売り出されたため、ドイツ人バンドと誤解されたというエピソードもある。ロンドンとは外国ながら北海を挟んで意外と密接な関係にあり、巨大イージー・リスニング・オーケーストラとして知られる101ストリングス・オーケストラ(当初ハンブルク、現在はロンドンが本拠)には両都市の主要オーケストラ団員が参加している。

スポーツ編集

メディア編集

 
北ドイツ放送テレビスタジオ

ARD加盟の公共放送局・北ドイツ放送(NDR)の本部がハンブルクに置かれている。

生活基盤編集

電力編集

ハンブルクは1998年に電力自由化をとげ、やがてバッテンフォールがハンブルク電力会社(HEW)を買収した。その後ヴァッテンファルは、市内で石炭火力発電所の建設計画を進めたが、地球温暖化の観点から市民の反対運動にあった。 訴訟なども経て、2008年にハンブルク市は建設を認めたが、市民はこれに納得せず、ヴァッテンファルへの不買運動を展開した。市がもつ公共空間利用権の付与権限が市民の強力な武器となった。 2011年にハンブルク市は、市が25%、ヴァッテンファルが75%を出資する共同会社の設立を提案し、配電事業の経営に市民の意向を反映させることを約束した。 しかし、これに満足しなかった市民は、あくまで100%の出資を主張し、2013年9月に住民投票に持ち込んだ。

その結果、僅差であったが市民の提案が支持され(50.9%)、市も100%の電力網公社の設立に同意した。

ドイツ連邦は2011年8月に原子力法を改正し原発再稼動を禁じた。しかしRWEとE.ONとバッテンフォールは財産権の侵害を連邦憲法裁判所に提訴した。 前二社は残存発電電力量を事業者固有の財産と主張。バッテンフォールはドイツ政府の政策変更が「エネルギー憲章に関する条約」の定める「外国企業の財産権侵害」にあたるとして、投資紛争解決国際センターに調停を申し入れ、その上で連邦憲法裁判所へ提訴していた[33]

  • 2016年12月6日、連邦憲法裁判所は政府の賠償責任を認めた。具体的な賠償額などは示していないが、電力会社が今後の訴訟や交渉で賠償請求するための根拠となる[34]

出身関連著名人編集

ア行

カ行

サ行

タ行

ナ行

ハ行

マ行

ヤ行

ラ行

対外関係編集

姉妹都市・提携都市編集

姉妹港・提携港編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ Duden Das Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverlag. (2005). p. 387. ISBN 978-3-411-04066-7 
  2. ^ Monatszahlen - Bevölkerung - Statistikamt Nord”. www.statistik-nord.de. 2020年2月21日閲覧。
  3. ^ 在ハンブルク日本国総領事館”. 2018年6月22日閲覧。
  4. ^ ドイツ外務省. “ハンブルク州”. 2018年6月22日閲覧。
  5. ^ Dieter Berger: de:Duden, geographische Namen in Deutschland: Herkunft und Bedeutung der Namen von Ländern, Städten, Bergen und Gewässern, Bibliographisches Institut, Mannheim/Wien/Zürich 1993 (ISBN 3-411-06251-7), S. 124.
  6. ^ デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年5月4日閲覧。
  7. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. IV. München/Zürich: Artemis 1989 (ISBN 3-7608-8904-2), Sp.1884.
  8. ^ Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder. 6. Aufl. München: C.H.Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 230.
  9. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. IV. München/Zürich: Artemis 1989 (ISBN 3-7608-8904-2), Sp.1883.
  10. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. IV. München/Zürich: Artemis 1989 (ISBN 3-7608-8904-2), Sp.1883.
  11. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. IV. München/Zürich: Artemis 1989 (ISBN 3-7608-8904-2), Sp.1883.
  12. ^ Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder. 6. Aufl. München: C.H.Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 230.
  13. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. IV. München/Zürich: Artemis 1989 (ISBN 3-7608-8904-2), Sp.1883-1884.
  14. ^ 堀越宏一『ものと技術の弁証法』(「ヨーロッパの中世」5)岩波書店 2009(ISBN 978-4-00-026324-5)、267-268頁
  15. ^ エーディト・エネン著 佐々木克巳訳 『ヨーロッパの中世都市』岩波書店、1987年、(ISBN 4-00-002373-X) 、235頁
  16. ^ Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder. 6. Aufl. München: C.H.Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 231.
  17. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. IV. München/Zürich: Artemis 1989 (ISBN 3-7608-8904-2), Sp.1884.
  18. ^ Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder. 6. Aufl. München: C.H.Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 231.
  19. ^ Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder. 6. Aufl. München: C.H.Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 231.
  20. ^ G.Klein, Vierhundert Jahre Hamburger Börse, 1558 bis 1958, Hamburg, Anfänge.
  21. ^ Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder. 6. Aufl. München: C.H.Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 231.
  22. ^ Norman Longmate, King Cholera: The Biography of a Disease, London, 1966, pp.228-229.
  23. ^ 1938年にアルトナ、ハールブルク、ワンツベックなどを併合。
  24. ^ 米独首脳が北朝鮮など協議、G20抗議デモで警官約75人負傷 ロイター(2017年7月7日)2017年7月8日閲覧
  25. ^ ただし、ミュンヘン市の市政レベルではSPDが戦後の大半の市長を輩出している
  26. ^ 生井澤幸子 「ハンブルク港の再開発 : SpeicherstadtからHafenCityへ」 川村学園女子大学研究紀要 27(1), 1-14, 2016
  27. ^ GFCI 27 Rank - Long Finance”. www.longfinance.net. 2020年7月14日閲覧。
  28. ^ 山口博教 「ハンブルク証券取引所の伝統と組織改革 : 地域取引所とガバナンス(IT革命と企業経営)」 經營學論集 73(0), 152-153, 2003
  29. ^ Kunst und Handwerk in Japan by Justus Brinckmann Published 1889 arcive.org
  30. ^ Ephemeral beauty in the lives of Edo womenThe Japan Times, Nov 12, 2010
  31. ^ 高橋洋 「ハンブルグ電力網公社の誕生」 
  32. ^ 自治体国際化協会 「ハンブルグ都市州におけるエネルギー供給事業の再市営化」 公開日不明 2017年10月6日閲覧
  33. ^ ロイター "E.ON seeks 8 billion euros in nuclear exit damages", June 13, 2012
  34. ^ 産経ニュース 「独政府の賠償責任認定 脱原発決定めぐり憲法裁」 2016年12月6日

関連項目編集

外部リンク編集

公式
日本政府
観光
その他