興化府(こうかふ)は、中国にかつて存在した明代から民国初年にかけて、現在の福建省莆田市一帯に設置された。

福建省の興化府の位置(1820年)

概要 編集

979年太平興国4年)、北宋により泉州仙游県游洋鎮莆田県百丈鎮に興化軍が置かれた。興化軍は福建路に属し、莆田・仙游・興化の3県を管轄した[1]

1277年至元14年)、により興化軍は興化路に昇格した。興化路は江浙等処行中書省に属し、録事司と莆田・仙游・興化の3県を管轄した[2]

1369年洪武2年)、明により興化路は興化府と改められた。興化府は福建省に属し、莆田・仙游の2県を管轄した[3]

のとき、興化府は福建省に属し、莆田・仙游の2県を管轄した[4]

1913年中華民国により興化府は廃止された。

脚注 編集

  1. ^ 宋史』地理志五
  2. ^ 元史』地理志五
  3. ^ 明史』地理志六
  4. ^ 清史稿』地理志十七