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船越 優蔵(ふなこし ゆうぞう、1977年6月12日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手。ポジションは、フォワード(FW)

船越 優蔵 Football pictogram.svg
名前
愛称 国見タワー
カタカナ フナコシ ユウゾウ
ラテン文字 FUNAKOSHI Yuzo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1977-06-12) 1977年6月12日(42歳)
出身地 兵庫県神戸市
身長 194cm[1]
体重 88kg[1]
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1998
1999-2000
2001
2002-2006
2007-2009
2010
ガンバ大阪
湘南ベルマーレ
大分トリニータ
アルビレックス新潟
東京ヴェルディ
S.C.相模原
3 (0)
20 (1)
27 (9)
71 (12)
44 (9)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年12月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

目次

来歴編集

1993年、U-17世界選手権で初のベスト8に入ったU-17日本代表の中心選手。中田英寿宮本恒靖松田直樹戸田和幸などメンバーが揃うチームのエースストライカーであった。1995年サンフレッチェ広島今西和男総監督は、高木琢也の後継者として船越に目をつけスカウトしようとしていた。その際、船越は海外留学を強く希望していたが、今西には「コミュニケーション能力が備わってない状況で海外留学させる気はない」ポリシーがあったため手を引いた[2]

1996年、ガンバ大阪に加入。FCテルスターオランダ)へのサッカー留学を経験したものの、G大阪では出場機会に恵まれず、1999年にベルマーレ平塚へ移籍した。その後、大分トリニータアルビレックス新潟東京ヴェルディと所属先を変えるが、J1では十分な出場機会に恵まれることなく、2009年シーズン終了後、東京Vから戦力外通告を受け、退団した。その間、2008年オフにも一度は東京Vを戦力外となったが、ラモス瑠偉や高木琢也の意向により、東京Vと再契約が結ばれた。 新潟時代にはアキレス腱を3回断裂している。

2010年より、将来のJリーグ参入を目指すS.C.相模原へ完全移籍したが、同年をもって現役を引退[1]

2011年より、アルビレックス新潟・U-13監督に就任。

2013年よりザスパクサツ群馬のコーチに就任。

2015年、JFAアカデミー福島男子U-14監督に就任[3]

所属クラブ編集

ユース経歴
プロ経歴

個人成績編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1996 G大阪 - J 0 0 0 0 - 0 0
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1996-97 テルスター 2部 18 2 1 0 19 2
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997 G大阪 18 J 2 0 0 0 3 1 5 1
1998 1 0 1 1 0 0 2 1
1999 平塚 9 J1 12 1 2 0 0 0 14 1
2000 湘南 32 J2 8 0 1 0 0 0 9 0
2001 大分 12 27 9 0 0 3 0 30 9
2002 新潟 28 34 7 - 0 0 34 7
2003 22 4 - 3 1 25 5
2004 J1 4 0 3 0 1 0 8 0
2005 7 1 2 0 0 0 9 1
2006 4 0 0 0 0 0 4 0
2007 東京V 19 J2 26 8 - 1 0 27 8
2008 J1 7 1 2 0 1 0 10 1
2009 J2 11 0 - 1 0 12 0
2010 相模原 11 神奈川1部 - -
通算 日本 J1 37 3 10 1 5 1 52 4
日本 J2 128 28 1 0 8 1 137 29
日本 神奈川1部 - 0 0
オランダ 2部 18 2 1 0 19 2
総通算

代表歴編集

指導歴編集

脚注編集

  1. ^ a b c 船越優蔵選手 現役引退のお知らせ S.C.相模原 2011.01.17
  2. ^ GM考察 第1章 広島のドン:今西和男氏のクラブGM論、サッカー批評vol.33、2006年12月、ISBN 4575478938
  3. ^ 船越優蔵氏 JFAアカデミー福島男子コーチ就任のお知らせ ザスパクサツ群馬 2015.01.27

関連項目編集

外部リンク編集