船越村 (長崎県)

日本の長崎県下県郡にあった村

船越村(ふなこしそん)は、長崎県下県郡にあった村。1955年(昭和30年)に南隣[1]雞知町と合併し、美津島町となった。

ふなこしそん
船越村
廃止日 1955年3月1日
廃止理由 新設合併
雞知町船越村美津島町
現在の自治体 対馬市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
下県郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,970
国勢調査、1950年)
隣接自治体 下県郡雞知町仁位村
船越村役場
所在地 長崎県下県郡船越村大字小船越349番地
座標 北緯34度20分22秒 東経129度21分45秒 / 北緯34.33953度 東経129.36258度 / 34.33953; 129.36258 (船越村)座標: 北緯34度20分22秒 東経129度21分45秒 / 北緯34.33953度 東経129.36258度 / 34.33953; 129.36258 (船越村)
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

現在の対馬市美津島町の北部にあたる。

地理 編集

対馬島の中部に位置する。東西の海岸部は複雑に入り組んだリアス式海岸を為し、海域には多数の島々が点在する。

  • 山:浅茅山(大山岳)、紺青岳、天道山、中岳、古家岳、鼓岳、大小浦山、大崎山、メボシマ山、明神岳、大平山、大ビラ山、クチモ山、姫神山、折瀬山、オキビラ山
  • 島嶼:沖ノ島[2]、赤島、泊島[3]、黒島、箕島、鼠島、小鼠島、鷲島、猪子島、仁兵衛島、海徳島、本ノ島[2]、中ノ島[2]、八点島、島ノ壇島、東泉島、弁天島、番頭島、枇杷島、二子島、太郎島、丸島、京ヶ島、草島、千鳥島、大千切島、麦島、大仏島、小仏島
  • 港湾・海域:浅茅湾(濃部浅茅湾)、三浦湾万関瀬戸、大船越瀬戸、住吉瀬戸(紫瀬戸)、三浦湾漁港、大船越漁港、鴨居瀬漁港、芦浦、玉調浦

沿革 編集

当村域の一帯について、中世は「与良郡」の一部、近世は「与良郷」の一部に属した[4][5][6]。また『津島紀事』によれば、与良郷内には1府30村[7]が属していたとされる[6]。与良郷は対馬島内の他の各郷とともに明治5年に廃止された[6]

  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、大船越村・久須保村・緒方村・犬吠村・大山村・小船越村・鴨居瀬村・賀谷村・芦浦村・濃部村が合併し下県郡船越村が発足[8]
  • 1926年(大正15年) - 村役場を大船越から小船越に移転。
  • 1955年(昭和30年)3月1日 - 雞知町と合併して美津島町が発足し、船越村は自治体として消滅。

地名 編集

大字を行政区域とする。

  • 犬吠(いぬぼえ)
  • 大船越(おおふなこし)
  • 緒方(おかた)
  • 大山(おおやま)
  • 鴨居瀬(かもいせ)
  • 賀谷(がや)
  • 久須保(くすぼ)
  • 小船越(こふなこし)
  • 濃部(のぶ)
  • 芦浦(よしがうら)

名所・旧跡 編集

参考文献 編集

脚注 編集

  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年2月11日
  2. ^ a b c 同名の島が村内に複数存在する。
  3. ^ 美津島町発足以降に東の海域が埋め立てられ、隣接する赤島と陸続きになった。
  4. ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
  5. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「与良郡」
  6. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「与良郷」
  7. ^ 府中である厳原城下のほか、雞知(けち)・洲藻・箕形・吹崎・賀志・尾崎・昼浦・島山・大山・犬吠・小船越・鴨居瀬・芦浦・賀谷・横浦・濃部・大船越・久須保・緒方・竹敷・黒瀬・根緒・小浦・南室・久田・尾浦・安神・久和・内院・内山の各村からなる。上記のうち内院村は江戸時代初期に与良郷と豆酘郷の境界として分割され、与良郷側の内院村は「与良内院村」とも称する。
  8. ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1][2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外
  9. ^ 松村安五郎・吉野数之助の顕彰碑 長崎観光|ながさき旅ネット(一般社団法人長崎県観光連盟)

関連項目 編集