芥 真木(あくた まき、1951年2月23日)は、東京都文京区出身のコミック原作者、作家である。

人物 編集

東京都立荻窪高校卒、阿佐ヶ谷美術専門学校卒。武蔵野美術大学グラフィックデザイン科中退。15歳、中学時代に『毎日中学生新聞』で4コマ作品デビュー。17歳、高校時代より『蛍雪時代(旺文社)』や『近代映画(近代映画社)』でコミックの連載を開始。20歳のときに手塚治虫主宰のコミック雑誌『COM』で『COM新人賞』を受賞。審査員は手塚治虫藤子不二雄石ノ森章太郎赤塚不二夫ちばてつやつのだじろうなど。この時に賞を争った相手は、後に伝奇漫画家としてメジャーになった諸星大二郎[1]

1973年、漫画家つのだじろうプロダクションのマネージャーとして4年間在籍。在籍中に映画監督今村昌平に師事し、映画の脚本を学ぶ。1977年、コミック原作者として「女性セブン」『一億円の花嫁[2]』でデビュー。代表作は『女性セブン』で8年間連載が続いた『離婚時代』。2000年以降、インターネット時代になってからは、WEB関連の企画・プロデュースを手がけ、またノンフィクションライターとしての著作物や映像作品も手がけている。

コミック作家としての作風 編集

手塚治虫主宰の雑誌『COM』に初掲載されたのは1970年、芥真木が18歳の時。作品名は『とべない羽』。芥真木作品は、エンターテインメント性の低いマニアックな作品との評価が一般的。『COM新人賞』の審査では、芥真木作品に対し賛否両論、意見がまっぷたつに分かれた。赤塚不二夫、つのだじろうは、芥真木の受賞に大反対、理由は「若さに似合わず、視線が冷た過ぎる」という意見。藤子不二雄、石ノ森章太郎、ちばてつやは「安定したストーリー構築力は評価に値する」と押し、審査委員長の手塚治虫は、「今までにない哲学的な漫画家の誕生」と賞賛した。[3]  芥真木は1977年25歳のときに『女性セブン』でコミック原作者としてデビュー。以来、自身で絵を描くことはなくなった。原作者としての芥真木作品は、マニアックな要素は影を潜め、エンターテインメントに徹している。 (参考文献:『底辺絵巻の画工たち(株式会社産報刊)』『まんがジャーナル(白水社刊)』『20歳の人生探求者/塩田丸男著(読売新聞社刊)』『宝島(宝島社刊)』、情報提供:金子保知 他)

芥 真木 コミック単行本一覧 編集

タイトル 出版社 出版年
離婚時代(全31巻) 小学館 1980-88
離婚時代(全2巻) 双葉社 2001
離婚時代スペシャル 小学館刊
離婚時代スペシャル(全20巻) テレビ朝日
離婚時代 ホーム社
生命のハーモニー 小学館 1997
生命のハーモニー 韓国・SIGONGSA
私はカジノガール 光文社 1992
私はカジノガール 台湾・東立出版公司
一億円の花嫁 小学館 1978
一億円の花嫁 双葉社 2001
ナミさまが危ない(全2巻) 小学館 1982
ダイエット・バイブル 光文社
喪失時代(全2巻) 光文社 1989-90
暗闇が忍び寄る 光文社 1992
EASY-愛をさがす女たち(全2巻) 光文社 1992
チェルノブイリ テレビ朝日 1989
銭狩り(全5巻) 秋田書店 1981-83
銭狩り(全2巻) ぱる出版 1993

芥 真木 連載作品(単行本未収録)一覧 編集

タイトル 掲載誌 掲載年
ダイアナ 女性自身光文社 2004
告知のとき 女性セブン小学館 1999〜2001
明美の食卓ご用心 女性自身(光文社) 1997
愛のレシピ 女性自身(光文社) 1996
殺しの家計簿 女性自身(光文社) 1995
セーラー服かんぱにい プチセブン(小学館) 1985~1986
ノッコのうんちくノート フォアレディ(小学館) 1980~1981
ラブ・ネットワーク 女性セブン(小学館) 1978~1979
ペルソナ 週刊女性主婦と生活社 1978
遥かなる国へ 週刊女性(主婦と生活社) 1978
翔んでけダービー プレイコミック秋田書店 1978
銭かまきり プレイコミック(秋田書店) 1977
運命を売る女 週刊明星集英社 1976~1977


脚注 編集

  1. ^ 参考文献:読売家庭版2月号<通巻第86号>昭和47年2月1日発行(読売新聞社)
  2. ^ 参考文献:『一億円の花嫁』昭和53年11月発行(小学館)0371-277523-3068
  3. ^ 参考文献:『ウラコミ・シリーズ 底辺絵巻の画工たち』昭和47年1月発行(株式会社産報)0376-61505-2779