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芳町(よしちょう)は、東京都中央区の旧町名、花街

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沿革編集

芳町を含む現在の日本橋人形町周辺はかつて「元吉原」と呼ばれる遊里(遊廓)が設置され繁栄を極めていた。しかし、江戸市域の拡大により浅草に移転し、代わって中村座をはじめ歌舞伎の芝居小屋が立ち並ぶようになった。それに随時して陰間茶屋が生まれ、若衆と呼ばれる10代から20代初頭の少年が接客した。それが、後の芳町花街の始まりであった。

天保12年(1841年)、中村座の焼失で芝居小屋群は浅草の猿若町に移転し、その後の天保の改革で江戸市中の岡場所(非公認の花街、遊廓)が取り潰され、深川から逃れてきた芸妓が移り住み、芳町は芸妓の花街となった。幕末から明治大正昭和にかけて繁栄を極め、日本で最初の女優となった川上貞奴や芸妓から歌手に転向した勝太郎ら名妓を輩出した。大正期には、「白首」(しろくび)と呼ばれる私娼が登場し蛎殻町周辺で客を取り風紀を乱していた。第二次世界大戦による営業停止、東京大空襲の被害を乗り越え、花街は昭和24年(1949年)、芸妓278名、置屋177軒、料亭待合あわせて121軒で復興された。

しかし、高度経済成長期後は衰退し、昭和52年(1977年)の町名改正で町名としての芳町が消滅、芸妓、料亭は減少し、2010年(平成22年)現在、料亭は『濱田家』ただ1軒となり、芸妓16名となった[1]。 それでも、久松をはじめ少数の芸妓が花街の伝統を守り伝える努力をしている。

参考文献編集

  • 上村敏彦『東京 花街・粋な街』街と暮らし社、2008年
  • 浅原須美『東京六花街 芸者さんから教わる和のこころ』ダイヤモンド社、2007年

脚注編集

  1. ^ 『東京 花街・粋な町』p.88

関連項目編集