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来歴・人物編集

高校在学中から大阪(信濃橋画廊)・東京(村松画廊)で個展を開催するなど、現代美術作家として活動。1969年の村松画廊での個展では、ハツカネズミの死体(実物)を透明アクリルで挟んでプレスした作品を展示する活動を行っていた。また、1970年には松本雄吉らと共に劇団日本維新派(現在の劇団維新派)の結成に参加。

高校を1年留年して卒業後、コピーライターやCFディレクターを経て、1973年に企画会社プランニング・インターナショナルを設立。代表取締役・クリエィティブディレクターとして、各種の商品開発や販売促進、広告の企画制作に従事。ストリッパーと知的障害の青年との愛を描いた『海に夜を重ねて』(河出書房新社)で1983年度の文藝賞を受賞してからは、作家活動に専念。同受賞作は中原俊監督により『メイク・アップ』のタイトルで映画化された(主演は烏丸せつこ)。1986年には咲くやこの花賞を受賞。

若一は70年代の早い時期からパレスチナ難民支援運動に関わり、中東や東南アジア諸国を往来。73年にはパレスチナ問題について記した『イスラエルの中のアラブ人』(サブリ・ジェリス著)を奈良本英佑(現・法政大学教授)と共訳し、サイマル出版会から刊行している。

アジア各国の事情や人権問題に関連する連載ルポやコラムを朝日毎日産経の各新聞に関する執筆を行っており、人権分野では在日韓国・朝鮮人問題と死刑問題に関して積極的に発言している。死刑廃止論者の立場から『朝まで生テレビ』(テレビ朝日)に出演したり、死刑存置派であるジャーナリスト大谷昭宏と、テレビ番組の中で何回となく激論をたたかわせたりしている。NHK総合テレビ『アジア・マンスリー』のキャスターを3年間務めるなどテレビ出演も多く、テレビ番組の中で、島田紳助の暴力事件で、紳助を擁護した井上公造に疑問を呈して大激論になったり[1]橋下徹大阪府知事(当時)と怒鳴りあいをするなどしたことがある。

2002年12月に番画廊(大阪)で32年ぶりの個展を開催し、コンピュータグラフィックスによる超現実主義的な絵画を発表して読売新聞やテレビニュースなどで報道された。 2003年には、「天理ビエンナーレ展」で道友社賞、「さかいでArtグランプリ」で佳作賞、「プリンツ21グランプリ展」で新日本造形賞、「川の絵画大賞展」で佳作賞を連続受賞し、画家としても注目されるようになるが、それ以降は発表を中断している。

テレビ大阪番組審議委員、豊中市文化専門委員、大阪府在日外国人問題有識者会議委員、アジア太平洋人権情報センター企画運営委員、豊中国際交流協会理事などを歴任していたが、2000年にすべての役職を辞任。99年からの3年間、大阪市立大学大学院の非常勤講師として異文化コミュニケーション論を担当。人権問題や国際理解の分野でも言論活動を展開している。日本文芸家協会会員。

発言編集

  • 週刊朝日が、佐野眞一らが執筆した「ハシシタ 奴の本性」を2012年10月16日発売号に掲載し、橋下徹から「差別的だ」と抗議を受けて事態が紛糾した問題では、大谷昭宏や二木啓孝らジャーナリストの多くが橋下非難に回ったのに対し、日頃は橋下に批判的な若一は、いち早く読売テレビの番組[2]で「橋下市長の主張は9割方正しい。佐野氏の文章には部落差別を助長する文言があるし、(親兄弟や親戚など)自らが選択できない不可避的な人間関係をもってして、その人の社会的評価や人格を決めつけようとするような(血脈主義的な)表現もまた、差別を助長するものだ。人権感覚の欠如した許しがたい文章だ」と明確に指摘。翌々日の新聞[3]にも同様のコメントを発表した。橋下は10月19日朝の登庁時囲み取材の際に、「無責任な発言をするコメンテーターが多い中で、ぼくとは政策の合う合わないのある若一さんが、『差別的で許しがたい文章だ』とズバッと言い切った。そう言い切れない人たちが多いことが怖い」との主旨の発言をしている。[4]
  • 2019年5月10日に放送された『かんさい情報ネットten.』(読売テレビ)に出演した際、番組内の「迷ってナンボ!」と題するコーナーで、漫才師の二人が「性別不詳な人物の性別を身分証明書の性別欄などで確認する」「胸を触ることで性別を確認する」という内容のVTRが流された。それに対し、若一自ら「男性か女性かどっちかという質問のやり方、これは許しがたい人権感覚の欠如ですね。個人のセクシュアリティーにそういう形で踏み込むべきじゃないです。極めて…そんなもの、平気で放送出来るね!どういう感覚ですか、これ?報道番組として。ちゃんと考えろよ‼︎」と生放送中に怒りをあらわにした。続いて「例えご本人がテレビに出ることを了解していたとしても、個人のセクシャリティーに対して、そういうアプローチをすること自体が人権感覚、人権認識に悖ります」[5]と怒り心頭に発する表情で述べ、番組内容を厳しく批判[6]。読売テレビは5月13日放送の同番組冒頭で報道局長、解説デスク、キャスター4人らが終始沈痛な顔付きで反省の言葉を述べて謝罪。同企画を当面休止することを発表した[7]。そして5月15日、再び当番組に登場した若一は放送当時の心境について「いろんなタイプのセクシュアリティー、性的な個性、アイデンティティーを持った方々が、ごくごく普通にこの社会に存在しているのだということが、すでに世界的に共有される現実になっている。にもかかわらず、こういった、見た目が男性か女性が分からないという一点をもって、何の問題意識も感じずに、その人のプライバシーを侵害してしまう。こんなことが本当に、報道番組の名の下で許されていいのだろうかと、私はものすごい、ショックで怒りで震えました」と述べた[8]

著書編集

  • 『海に夜を重ねて』河出書房新社、1984
  • 『漂う光に』長征社、1984
  • 『楽しい化石採集 近畿の化石産地案内』松籟社、1986
  • 『最後の戦死者 陸軍一等兵・小塚金七』河出書房新社、1986
  • 『逆光の都市で ドキュメントエッセイ集』ブレーンセンター、1987
  • 『化石のたのしみ 愛しき太古の生きものたち』河出書房新社、1987
  • 『アジアとふれあう街で』ブレーンセンター、1988
  • 『ペラグラの指輪』北宋社、1988
  • 『我、自殺者の名において 戦後昭和の一〇四人』徳間書店、1990年 
  • 『エンドレスマインド いつも心は震えている』ブレーンセンター、1990
  • 『石が語る、恐竜が目覚める 「化石の収集・採掘・大発見」入門』徳間書店、1991
  • 『国道一号線の手向け花』ブレーンセンター、1991
  • 『万華鏡の割れた日に』有学書林、1992
  • 『二十世紀の自殺者たち 百三十人の時代証言』徳間書店、1992
  • 『死者からの年賀状 エッセイ集』有学書林、1994
  • 『大阪が首都でありえた日 遷都をめぐる「明治維新」史』三五館、1996 
  • 『琵琶湖遊行』京阪電気鉄道、1997
  • 『自殺者』幻冬舎アウトロー文庫、1998
  • 『自殺者の時代』幻冬舎アウトロー文庫、1998
  • 『20世紀の非凡なる情熱家たち』白馬社、2000
  • 『大阪 地名の由来を歩く』ベスト新書(ベストセラーズ)、2008 ワニ文庫、2015年
  • 『大阪 地名の謎と歴史を訪ねて』ベスト新書(ベストセラーズ)、2009 
  • 『四季の百景 旅情の百想』京阪電気鉄道、2010
  • 『大阪・関西の「謎と不思議」を歩く』ベスト新書、2012
  • 『毒殺魔』幻冬舎、2016

共著編集

翻訳編集

  • サブリ・ジェリス『イスラエルのなかのアラブ人 祖国を奪われた人びと』奈良本英佑共訳 サイマル出版会 1975

出演番組編集

過去のレギュラー出演番組編集

ほか

過去の単発番組編集

  • 大阪市制百周年記念ドラマ「大大阪の夢(關一物語)」の脚本を執筆(NHK総合テレビ 1989)
  • ドキュメンタリー「国道一号線の手向け花」に主演(関西テレビ 1990)
  • 「近畿スペシャル・アジアウィーク」の解説を担当(NHK総合テレビ 1995)
  • APEC大阪会議記念ドキュメンタリー「若一光司のアジア・ジャランジャラン」に主演(関西テレビ 1995)
  • ニューススクランブル(パプアニューギニア特集)」で現地リポート(読売テレビ1998)
  • からの便り」(堺市提供人権啓発番組)の解説を担当(テレビ大阪 97~99)
  • ドキュメンタリー「コリアンの新しい風が吹く(ETV特集)」に主演(NHK総合テレビ 2000)
  • 朝生ワイド す・またん! (読売テレビ 2010年4月30日 辛坊治郎の代理で出演)

ほか

脚注編集