若松町 (新宿区)
若松町(わかまつちょう)は、東京都新宿区の町名[4]。住居表示実施済み地域。「丁目」の設定がない単独町名である。郵便番号は162-0056[2]。
若松町 | |
---|---|
北緯35度42分0.13秒 東経139度43分11.44秒 / 北緯35.7000361度 東経139.7198444度 | |
国 |
![]() |
都道府県 |
![]() |
特別区 |
![]() |
人口 | |
• 合計 | 5,752人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
162-0056[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
地理編集
新宿区のほぼ中央部に位置する。町域の北は喜久井町及び戸山、東は原町、南は河田町及び余丁町、西は新宿七丁目に接する(地名はいずれも新宿区)。南部を抜弁天通りが、地域北部を大久保通りが通っている。また北東部・原町との境界を夏目坂通りが通っている。地内は住宅地であるが、病院や公的機関も多く立地しているところでもある。
歴史編集
豊島郡牛込村であったが、江戸時代の1705年に江戸町奉行所の支配になり、牛込若松町が起立。商家のほかに武家屋敷などもあった。明治維新後、武家地等を併合。1876年三十人町・原町・市谷河田町の各一部を併合して町域が確定。大銀杏(寶祥寺一帯)・戸山前(総務省統計局一帯)・川向(東京女子医大一帯)という小字も存在していた。1911年に「牛込」の冠称を外す。新大久保と牛込神楽坂の中間を位置している所から都電が通り、戦後はゴルフ場やパチンコ店などができ周辺の住民にとって昔は比較的便利なところであった。その後都電が廃止された事で一番近くの駅が東西線の早稲田駅となり不便となった。大江戸線の開通によりマクドナルドなど新しい店ができたが、上野や新宿などへのアクセスが便利になると逆にそれが休日など客足が遠に行ってしまう原因となりマクドナルドは閉店してしまった[要出典]。
地名の由来編集
かつて当地の若松が江戸城に正月用の門松として献上されていたことからといわれている。
沿革編集
世帯数と人口編集
2022年(令和4年)6月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
若松町 | 3,436世帯 | 5,752人 |
小・中学校の学区編集
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
5番3~7号 6番12~20号 |
新宿区立牛込仲之小学校 | 新宿区立牛込第二中学校 |
その他 | 新宿区立余丁町小学校 | 新宿区立新宿中学校 |
交通編集
当地域には都営地下鉄大江戸線の若松河田駅がある。地域北部では、東京メトロ東西線の早稲田駅も利用可能である。また大久保通り沿いや抜弁天通り沿いにはバスの便もあり、これを利用するものもいる。
施設編集
- 警視庁第八機動隊
- 総務省第二庁舎(統計局や人事・恩給局などが入っている)
- 東京女子医科大学 河田町キャンパスの一部
- 東京女子医科大学病院(西病棟・糖尿病センターなど。本部所在地は道路を挟んだ河田町になる)
- 東京韓国学校
- 新宿区立余丁町小学校
- 公益財団法人合気会・合気道本部道場
- 東京都赤十字血液センター(新宿)
- 産業遺産情報センター(世界遺産「明治日本の産業革命遺産」のガイダンス施設で上記の総務省第二庁舎敷地内にあるが、新型コロナウイルス感染症の流行のため休館中)
かつて存在した施設編集
関連項目編集
脚注編集
参考文献編集
- 村山古郷『昭和俳壇史』角川書店、昭和60年10月25日、308pp. ISBN 4-04-884066-5