若林 志穂(わかばやし しほ、1971年9月6日 - )は、日本の元女優東京都新宿区出身[1]。板橋区志村二中卒業。デビュー当時は市川晃一事務所、その後太田プロダクションサンミュージックブレーンに所属していた。

わかばやし しほ
若林 志穂
本名 若林 志穂
別名義 若林 しほ
生年月日 (1971-09-06) 1971年9月6日(52歳)
出生地 日本の旗 日本東京都新宿区
身長 163cm
血液型 A型
職業 女優
ジャンル テレビドラマ・映画・舞台
活動期間 1984年 - 2009年
主な作品
テレビドラマ
天までとどけ』シリーズ
大好き!五つ子』シリーズ
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芸名は若林しほと表記していた時期がある。堀越高等学校卒業。

来歴・人物 編集

1983年、小学校6年生の時に、日本テレビの「★憧れ!花★夢★星★ -タモリの- キラキラ美少女コンテスト」でグランプリ。 1984年、中学1年生の時にレブロン・アクアマリンイメージガールのオーディションにて優勝し、芸能界入り。1985年2月には「テレフォン・キッス」でアイドル歌手としてもデビュー。その後、歌手と並行しつつ女優としてのキャリアも重ねる。

1988年4月にTBS系『新まんがなるほど物語』にお姉さん役として出演。

1991年、TBS系ドラマ『天までとどけ』の長女(待子)役で人気を博す。

1999年、ヌード写真集『S』発売。

2001年、舞台の稽古場に向かう途中に殺人事件を目撃してしまい、その精神的ショックから芸能活動を休止する。その後サンミュージックブレーンと契約して女優業に復帰するも、2008年8月に『天までとどけ』で共演していた金杉太朗(2番目の弟・公平役)が事故死したのをきっかけに再び体調を崩し、「休養が必要」として2009年5月にサンミュージックブレーンとの契約を解除された[2]と同時に芸能界を引退。

芸能活動引退後、2010年9月6日に化粧品ブランド「S」をプロデュースする。

2020年4月23日、『天までとどけ』で母親役として9年間共演した岡江久美子新型コロナウイルス感染による肺炎で急逝した際には久しぶりにメディアのインタビューに応じ、追悼の言葉を述べている[3]

2023年9月、本人がTwitter開設。

出演 編集

テレビドラマ 編集

テレビ番組 編集

ラジオ番組 編集

映画 編集

アニメ映画 編集

Vシネマ 編集

イメージビデオ 編集

  • ラビリンス・ゴールド(1990年)

舞台 編集

  • 貪りと瞋りと愚かしさと
  • tatsuya―最愛なる者の側へ
  • 棋人(チーレン)
  • 雪之丞変化

CM 編集

ディスコグラフィ 編集

シングル 編集

# 発売日 タイトル B面 規格 規格品番
アルファレコード
1st 1985年2月25日 テレフォン・キッス いつも青空のように EP ALR-781
2nd 1985年6月25日 夏のバルコニー 恋の1・2・3ワン トゥ スリー EP ALR-785
3rd 1985年10月25日 MORE THAN 恋 ロンリー・シンデレラ EP ALR-788
トーラスレコード
4th 1988年3月25日 Heart to Heart 旅立ち EP 07TR-1182
CT 10TT-7110

タイアップ 編集

楽曲 タイアップ 収録作品
テレフォン・キッス 『チャレンジ・ザ・デビュー'85』オーディション課題曲 シングル「テレフォン・キッス」
旅立ち JRU イメージソング シングル「Heart to Heart」

写真集 編集

DVD 編集

  • Legend Gold 〜伝説のスーパーアイドル完全復刻版〜若林志穂「LABYRINTH GOLD」(2009年9月18日発売 日本メディアサプライ)

脚注 編集

  1. ^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1986年7月25日号 p.40「プロフィール」
  2. ^ 週刊新潮』2009年8月13日・20日合併号
  3. ^ “岡江久美子さん死去に『天までとどけ』長女・若林志穂が涙「連れていかないで」”. 週刊女性PRIME (主婦と生活社). (2020年4月23日). https://www.jprime.jp/articles/-/17762?display=b 2020年4月23日閲覧。 
  4. ^ 若林志穂 - オリコンTV出演情報

外部リンク 編集