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若林 (世田谷区)

東京都世田谷区の町名

地理編集

世田谷区中央部に位置する。北で代田、北東で代沢、東で世田谷区太子堂、南で三軒茶屋、南西で上馬、西で世田谷区世田谷、北西で梅丘と隣接する。いわゆる「環七」である東京都道318号環状七号線が、南北を横切る。環七と東急世田谷線が交差する付近に同線若林駅世田谷区役所付近に同じく松陰神社前駅がある。環七を横切る世田谷線の若林踏切信号踏切で、環七の交通が優先されており、公共交通機関であるはずの電車優先ではない、比較的珍しい踏切である。

地価編集

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、若林5-30-5の地点で51万円/m2となっている[4]

歴史編集

「若林」は1401年応永8年)に調布市深大寺の僧、花光坊長弁によって著された「私案抄」に初めて登場する。1585年天正13年)には世田谷城吉良氏朝が家臣の周防上野介に「若林分」を分け与えている。

江戸時代には荏原郡世田谷領若林村となり、正保元禄の頃より千人同心志村氏の知行となった。1672年寛文12年)長州藩が小名西三谷1万8300坪の土地を買い取り、抱屋敷とした。現在の若林4丁目一帯は藩主毛利氏の官位「大膳大夫」に因み大夫山、あるいは長州山と俗称された。1863年文久3年)吉田松陰小塚原回向院から長州藩屋敷内に改葬され、1882年明治15年)松陰神社が建立された。

1888年明治22年)町村制施行により若林一帯は世田谷村大字となった。1928年昭和3年)より1931年(昭和6年)まで、237番地(現:若林三丁目15番1)に北原白秋が居住している。1932年(昭和7年)より世田谷区若林町。戦後、住居表示により1966年昭和41年)に若林一丁目から若林四丁目、1968年(昭和43年)に若林五丁目が成立し、現在に至る。

地名の由来編集

若林とは、新田を意味する古い表現、または開発造成され植林された若いの並んでいるところを指すと考えられているが、正確な由来は不詳である。

世帯数と人口編集

2019年(令和元年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
若林一丁目 2,803世帯 4,480人
若林二丁目 2,130世帯 3,860人
若林三丁目 2,134世帯 3,459人
若林四丁目 2,529世帯 4,395人
若林五丁目 1,933世帯 3,492人
11,529世帯 19,686人

小・中学校の学区編集

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

丁目 番地 小学校 中学校
若林一丁目 11~32番 世田谷区立若林小学校 世田谷区立世田谷中学校
1~10番 世田谷区立三軒茶屋小学校 世田谷区立太子堂中学校
その他 世田谷区立太子堂小学校
若林二丁目 1~5番
6番1~9号
6番13号~最終号
7番29号
その他 世田谷区立若林小学校 世田谷区立世田谷中学校
若林三丁目 全域
若林四丁目 1~40番
その他 世田谷区立山崎小学校
若林五丁目 20~25番
その他 世田谷区立若林小学校

施設編集

史跡編集

出身・ゆかりのある人物編集

関連項目編集

脚注編集

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  1. ^ a b c 世田谷区の町丁別人口と世帯数”. 世田谷区 (2019年9月3日). 2019年9月29日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月27日閲覧。
  4. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  5. ^ 通学区域”. 世田谷区 (2018年4月1日). 2019年9月29日閲覧。

外部リンク編集