若葉 (新宿区)
東京都新宿区の町名
若葉(わかば)は、東京都新宿区の町名[4]。現行行政地名は若葉一丁目から若葉三丁目。住居表示未実施。郵便番号は160-0011[2]。
若葉 | |
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学習院初等科 | |
北緯35度40分59.68秒 東経139度43分27.34秒 / 北緯35.6832444度 東経139.7242611度 | |
国 |
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都道府県 |
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特別区 |
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地域 | 四谷地域 |
人口 | |
• 合計 | 4,258人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
160-0011[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
地理編集
新宿区の南東部に位置し、町域の北から東は新宿区四谷一・二丁目、東から南は港区元赤坂、南西は新宿区南元町、西は同区須賀町に接する。
町域の南東部をJR中央線の高架(信濃町駅 - 四ツ谷駅)と、それに並走する首都高速4号新宿線(外苑 - 三宅坂ジャンクション)の高架橋が横切っている。新宿方面から走ってくる中央線と首都高速道路は、若葉1丁目の南端の崖から若葉1丁目の台地下を貫通する。これらのトンネルは、中央線が「御所トンネル」、首都高速が「赤坂トンネル」という名称で、それぞれ四ツ谷駅と赤坂見附方面に通じる。
二丁目付近には寺院も多く見られる。
地価編集
住宅地の地価は、2017年(平成29年)の公示地価によれば、若葉1丁目19番18 の地点で78万8000円/m2となっている[5]。
歴史編集
「若葉」の地名は、東京都制が施行された1943年(昭和18年)4月、新たに制定されたものである。
沿革編集
- 1911年(明治44年)5月1日:鮫河橋元町、鮫河橋南町、鮫河橋谷町一丁目及び二丁目が、元町、南町、谷町一丁目及び二丁目となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日:東京都四谷区若葉(一、二、三丁目)として成立。
- 1947年(昭和22年)3月15日:区再編に伴い、新宿区若葉(一、二、三丁目)となる。
町名整理後 | 町名整理年 | 町名整理前 |
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若葉一丁目 | 1943年(昭和18年)4月1日 | 仲町二丁目及び三丁目の全域、南伊賀町の全域、元町の一部 |
若葉二丁目 | 1943年(昭和18年)4月1日 | 谷町二丁目の全域、寺町の全域 |
若葉三丁目 | 1943年(昭和18年)4月1日 | 谷町一丁目の全域 |
世帯数と人口編集
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
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若葉一丁目 | 1,348世帯 | 2,484人 |
若葉二丁目 | 457世帯 | 817人 |
若葉三丁目 | 608世帯 | 957人 |
計 | 2,413世帯 | 4,258人 |
小・中学校の学区編集
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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若葉一丁目 | 全域 | 新宿区立四谷小学校 | 新宿区立四谷中学校 |
若葉二丁目 | 全域 | ||
若葉三丁目 | 全域 |
交通編集
町域内には鉄道駅はないが、町域西部方面は東京メトロ丸ノ内線の四谷三丁目駅が、南部方面は中央・総武線(各駅停車)の信濃町駅が、東部方面は東京メトロ丸ノ内線・東京メトロ南北線・中央線の四ツ谷駅がそれぞれ利用可能である。
施設編集
- 学習院初等科
- 祥山寺
- 法蔵寺
- 真英寺
- 東福院
- 妙行寺
- 真成寺
- 蓮乗院
- 信寿院
- 愛染院 - 高松喜六の墓、塙保己一の墓がある。
- 西念寺 - 服部半蔵の墓と槍がある。また、徳川家康の長男、松平信康の供養塔もある。
- たいやき わかば - 店舗名は地名からきている。たいやきの中のあんこをたくさん入れてくれる店舗として、東京都内でも有名なたい焼きの製造販売店。
- 三国 - レストラン
かつては文化放送の社屋が創業当初から地内にあったが、2006年7月に港区浜松町に移転した(跡地と新たに建てられたマンションは両方共文化放送が所有しており、同局の非常用送信設備が設けられている)。
出身・ゆかりのある人物編集
関連項目編集
脚注編集
参考文献編集
- 交詢社編『日本紳士録 第29版』交詢社、1925年。