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苦難の行軍(くなんのこうぐん、朝鮮語:고난의 행군)とは、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)で1996年1月1日の朝鮮労働党機関紙『労働新聞』の新年共同社説で使われた、当時の飢饉と経済政策の失敗による経済的困難を乗り越えるためのスローガンである。1938年昭和13年)12月から1939年(昭和14年)3月まで金日成抗日パルチザン満洲日本軍と闘いながら行軍したとされることになぞらえている。

苦難の行軍
各種表記
ハングル 고난의 행군
漢字 苦難의 行軍
発音 コナネヘングン
日本語読み: くなんのこうぐん
MR式
2000年式
英語
Konanŭi haengkun
Gonanui haenggun
arduous march
the march of tribulation
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概要編集

北朝鮮では、金日成死去後・金正日体制に移行した1994年から1998年にかけて、朝鮮戦争休戦後最大規模となる飢饉が発生、1995年夏の大水害をきっかけとして深刻化し、1998年末までに30万人[1]から300万人[2]が死亡したといわれる。この飢饉が深化組事件の遠因となった[3]。この時期は出生率も3割ほど低下しており、2014年にはこの時期に生まれた世代が徴兵されると、120万とされる現在の朝鮮人民軍の兵力を維持できなくなるため、北朝鮮は女性の徴兵義務化を発表している[4]

韓国の経済史学者・ソウル大学経済学名誉教授の李栄薫産経新聞のインタビューに対し、「たとえば、金日成主席の死亡(1994年)から1997年までに金日成ののために使われた資金は9億ドル(約970億円)にのぼる。その金があれば、1995年から1998年にかけ300万人が死んだとされる大飢餓の人々を救えたはずだ」と述べている[5]

北朝鮮労働者の国家的な海外派遣は、1960年代より行われていたが、苦難の行軍に伴う生活苦の経験を契機として、ロシアの森林(北洋材)伐採現場や中東の建設現場に、進んで出稼ぎとして赴く者も出るようになった[6]

脚注編集

関連項目編集