二代 茂木 啓三郎(にだい もぎ けいざぶろう、1899年8月5日 - 1993年8月16日[1])は、日本の実業家[1]キッコーマン中興の祖。同社社長として、個人醸造家の集合体を近代経営化し業界トップ化した。旧名は飯田勝次

人物編集

千葉県海上郡富浦村(現旭市)で農業を営む飯田家に生まれた。飯田庄作の弟である[2]

成東中学(現千葉県立成東高等学校)を経て、1926年に東京商科大学(現一橋大学)を卒業し、野田醤油(現キッコーマン)に入社。大学では上田貞次郎ゼミに参加。入社後まもなく、労働争議を解決した。先代茂木啓三郎の養子となり1935年家督を相続した[2]

1962年から1974年まで社長。1970年からは千葉テレビ初代社長を兼務。1972年にはアメリカ合衆国にしょうゆ工場を建設。醤油事業を海外で成功させ、業容を拡大した[3]。キッコーマン中興の祖とされた。社団法人如水会理事長、千葉県経営者協会名誉会長、千葉県教育委員会委員等も歴任。 旭市名誉市民[4]。 1993年脳出血のため千葉県野田市の病院で死去。享年94[1]。趣味は庭球、読書[2]。宗教は真言宗[2]。住所は千葉県野田市野田。

家族・親族編集

茂木家

脚注編集

  1. ^ a b c “国際経済人として活躍 茂木啓三郎氏死去”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 1. (1993年8月17日) 
  2. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』モ1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月11日閲覧。
  3. ^ 朝日新聞1993年8月17日。
  4. ^ “茂木啓三郎氏を名誉市民に推挙 旭市”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 12. (1987年10月20日) 

参考文献編集

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 菊地浩之『日本の地方財閥 知られざる経済名門』平凡社、2012年。