茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校

茨城県龍ケ崎市にある中高一貫校

茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校(いばらきけんりつ りゅうがさきだいいちこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう)は、茨城県龍ケ崎市平畑にある公立中学校高等学校。高等学校においても入学者を募集する併設型中高一貫教育校。通称・略称は、「竜ヶ崎一高(りゅうがさきいちこう)」、「一高(いちこう)」、「竜一(りゅういち)」、「竜一高(りゅういちこう)」。

茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校
地図北緯35度54分54.5秒 東経140度11分15秒 / 北緯35.915139度 東経140.18750度 / 35.915139; 140.18750座標: 北緯35度54分54.5秒 東経140度11分15秒 / 北緯35.915139度 東経140.18750度 / 35.915139; 140.18750
過去の名称 茨城縣立土浦中學校龍ヶ崎分校
茨城縣立龍ヶ崎中學校
茨城県立龍ヶ崎高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 茨城県の旗 茨城県
設立年月日 1900年
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学校コード D108220800018 ウィキデータを編集(高等学校)
C108220890011 ウィキデータを編集(中学校)
高校コード 08155J
所在地 301-0844
茨城県龍ケ崎市平畑248
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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沿革 編集

校訓・教育方針 編集

  • 校訓 - 「誠実・剛健・高潔・協和」
  • 教育方針
    • 学習指導の充実に努め、学力の向上を図る。
    • 基本的生活習慣の確立に努める。
    • 体育スポーツ活動を奨励し、心身の陶冶と体力・運動能力の向上を図る。
    • 進路指導の一層の充実に努める。
    • 学校環境の整備美化を促進し、情操の進化に努める。
    • 国際教育を推進し、広い視野を持つ人材の育成に努める。

基礎データ 編集

アクセス 編集

象徴 編集

  • 校歌 - 作詞は元教諭の寺田彰司。この校歌の原曲は旧制一高寮歌アムール川の流血や」である。県内では、同じメロディを下館一高が応援歌として使用している。
  • 応援歌 - 作詞:中村重夫(旧中14回卒) 、作曲:土井晩翠。曲は旧制二高(仙台)のボート部応援歌と同じである。
  • 制服 - 男子は黒襟学生服、黒スラックス、白ワイシャツ。女子は黒ボレロ(白襟付)、黒ジャンパースカート、白ブラウス。男女共に夏は上着不要。

学校行事 編集

  • 5月 - 進学懇談会(3年)
  • 6月 - 白龍祭(文化祭)
  • 7月 - 進学懇談会、野球応援
  • 8月 - 中学生対象学校説明会、モーラルアップ学習(2年)
  • 9月 - 飛龍祭(体育祭)
  • 10月 - 修学旅行(2年)
  • 11月 - 大学模擬講義

部活動 編集

野球部は甲子園1回・9回出場。1918年(大正7年)の第4回全国中等学校優勝野球大会で夏の全国大会の初出場を決めているが、この年に発生した米騒動の影響で大会自体が中止となった。

施設 編集

学校関係者 編集

著名な出身者 編集

政治・行政 編集

財界 編集

学界 編集

スポーツ 編集

文化・芸能 編集

他校との交流 編集

旧講堂 編集

かつて、竜ヶ崎一高には木造校舎の中でも特徴ある大きな講堂があった。これは明治37年頃の建築家駒杵勤治の設計によるものであるが、老朽化のため取り壊しとなった。駒杵による同時期・同デザインの3校(竜ヶ崎一高・水海道一高太田一高)の講堂のうち、現存するものは太田一高(重文指定)のみである。

その他 編集

  • 現在 竜ヶ崎一高が立っている白幡台は、かつて 源頼朝の家臣下河辺政義の子孫竜ヶ崎氏が築いた白旗城であった。現在の校地はその高台に位置する。
  • 同窓会は白幡同窓会と称する。卒業と同時に加入。
  • 校地が流通経済大学と隣接している。
  • 2001年、夜間に不審火によって武道館が焼失。詳細原因などは不明。

脚注 編集

注釈・出典 編集

  1. ^ 代表取締役の異動に関するお知らせ - ビックカメラ(2020年8月27日)2020年10月4日閲覧。
  2. ^ 毎日新聞 ぐるっと首都圏 「母校をたずねる」”. 竜ヶ崎第一高校 (2016年9月2日). 2016年9月19日閲覧。
  3. ^ 【茨城】茨城で高校野球大会100年目 - 朝日新聞

関連項目 編集

外部リンク 編集