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茨城県立高萩工業高等学校

茨城県立高萩工業高等学校(いばらきけんりつたかはぎこうぎょうこうとうがっこう)は、茨城県高萩市に所在した県立工業高等学校2006年(平成18年)に統廃合され、2008年(平成20年)3月31日に閉校した。

茨城県立高萩工業高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 茨城県
学区 全県学区
理念 より強く、より高く、より広く[1]
設立年月日 1963年(昭和38年)4月1日
閉校年月日 2008年(平成20年)3月31日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 機械科
電気科
学期 3学期制
高校コード 08103F
所在地 318-0022
茨城県高萩市大字石滝2490番地

北緯36度41分59.8秒 東経140度42分19.1秒 / 北緯36.699944度 東経140.705306度 / 36.699944; 140.705306座標: 北緯36度41分59.8秒 東経140度42分19.1秒 / 北緯36.699944度 東経140.705306度 / 36.699944; 140.705306
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跡地には明治大学の付属施設の誘致が検討されている[2]が、東日本大震災の影響で検討が中断している[3]

設置学科編集

沿革編集

開校の経緯編集

高萩工業高校創設の頃、高等学校への進学率の上昇とベビーブームによる人口の増加により、高校の受験者が急増し既存校では収容しきれず、このままでは大量の浪人生を生み出すおそれが生じた[8]。特に茨城県では水戸地区と日立地区で深刻な問題であり、県北では北茨城市磯原高等学校北茨城高等学校日立市日立商業高等学校が相次いで開校し、高萩市でも高校の新設が1960年(昭和35年)に市民から要望として出された[9]。これを受け、高萩市議会は要望を陳述書にまとめこれを採択、満場一致で決議した[10]。ただしこの時点では「高校の誘致」のみを決めただけで、どういう種類の高校にするかまでは踏み込んでいなかった[10]。その後、1961年(昭和36年)度に茨城県が認可を下し、工業高校となることが決定した[10]。用地の選定などで問題も発生したが、1963年(昭和38年)4月1日に機械科と電気科の計160名の生徒を迎え、開校した[4]

高萩工業高校の開校とは直接関係するわけではないが、1942年(昭和17年)に高萩町が町議会において工業学校を設置することを満場一致で決議するも、第二次世界大戦の影響で断念する、という出来事があった[11]

1980年頃の様子編集

『茨城県大百科事典』(1981年昭和56年〕発行)によれば、当時の部活動ウエイトリフティングバドミントンサッカーでの活躍が目立っていたという[1]。卒業生のほとんどは地元の日立製作所など産業界へ就職していた[1]。また在校生は全員男子であった[1]

アクセス編集

脚注編集

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  1. ^ a b c d 茨城新聞社 編(1981):656ページ
  2. ^ 高萩市市長室秘書・広報グループ"平成22年9月施政経過報告"(2011年10月9日閲覧。)
  3. ^ 高萩市市長室秘書・広報グループ"平成23年6月施政経過報告"(2011年10月9日閲覧。)
  4. ^ a b 高萩市史編纂専門委員会 編(1981):597ページ
  5. ^ 高萩市まちづくり観光課"撮影実績 - //観光// 茨城県高萩市"(2011年10月9日閲覧。)
  6. ^ 高萩市まちづくり観光課"お知らせ - //観光// 茨城県高萩市"(2011年10月9日閲覧。)
  7. ^ 高萩フィルムコミッション"お知らせ 24年度"(2013年4月8日閲覧。)
  8. ^ 高萩市史編纂専門委員会 編(1981):590ページ
  9. ^ 高萩市史編纂専門委員会 編(1981):590 - 592ページ
  10. ^ a b c 高萩市史編纂専門委員会 編(1981):592ページ
  11. ^ 高萩市史編纂専門委員会 編(1981):337ページ

参考文献編集

  • 茨城新聞社 編『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年10月8日、1099pp.
  • 高萩市史編纂専門委員会 編『高萩市史 下』国書刊行会、昭和56年11月25日、785pp.

関連項目編集