草牟田

鹿児島県鹿児島市の町丁
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草牟田(そうむた[2])は、鹿児島県鹿児島市町丁[3]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島近在草牟田村鹿児島郡鹿児島近在下伊敷村(一部)、鹿児島郡伊敷村大字下伊敷(一部)。郵便番号は草牟田は890-0014[4]、草牟田町は890-0015[5]。人口は5,020人、世帯数は2,776世帯(2020年4月1日現在)[6]。草牟田一丁目、草牟田二丁目及び草牟田町があり、草牟田一丁目、草牟田二丁目の全域で住居表示を実施している[7]

草牟田
鹿児島県護国神社
草牟田の位置(鹿児島市中心部内)
草牟田
草牟田
草牟田の位置(鹿児島市内)
草牟田
草牟田
草牟田の位置(鹿児島県内)
草牟田
草牟田
草牟田の位置(日本内)
草牟田
草牟田
北緯31度36分12.1秒 東経130度32分20.5秒 / 北緯31.603361度 東経130.539028度 / 31.603361; 130.539028
日本の旗 日本
都道府県 鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 Flag of Kagoshima, Kagoshima.svg 鹿児島市
地域 中央地域
地区 城西地区
人口
2020年(令和2年)4月1日現在)
 • 合計 5,020人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
890-0014(草牟田一丁目・二丁目)
890-0015(草牟田町)
市外局番 099
ナンバープレート 鹿児島
運輸局住所コード 46500-0356(草牟田町)[1]
46500-1143(草牟田)[1]

1877年(明治10年)、草牟田に設置されていた大日本帝国陸軍火薬庫である「草牟田火薬庫」が私学校の生徒によって襲撃され、これが西南戦争勃発のきっかけとなった[8]。西南戦争では草牟田の山は砲撃により山形が変化するほどの激戦地となった[9][3]

1911年(明治44年)9月30日鹿児島郡伊敷村大字下伊敷の一部にあたる草牟田地区が鹿児島市に編入されたのに伴いその区域を以て「草牟田町」として設置された[3][10]

地理編集

鹿児島市の中央部、甲突川下流左岸に位置する。町域の北方には下伊敷、南方には新照院町、東方には城山玉里町、西方には永吉原良がそれぞれ接している。

町域の西端を甲突川が南北に流れており、甲突川に沿って国道3号が通っている。また、草牟田町と草牟田二丁目の境界を通る国道3号から玉里町玉里島津家の玉里邸を結ぶ道路は島津久光国葬のために建設され「国葬道路」とも呼ばれる[11][12]

中央部に鹿児島県立鹿児島聾学校、北部に鹿児島県立鹿児島工業高等学校が所在しており、鹿児島工業高等学校に隣接して鹿児島県護国神社鹿児島神社がある。江戸時代には甲突川河畔から臨む草牟田の山々の形が鶴の姿に似ていることからこの一帯を「鶴尾」と呼称していた[9]

河川編集

町名の由来編集

「草牟田」という地名は古くからこの付近が甲突川の湿地帯で沢牟田と呼ばれていたものが転訛して草牟田となったといわれる[3][10]

歴史編集

草牟田の成立から下伊敷村編入まで編集

草牟田という地名は江戸時代より見え、薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちであった[3]。「歴代制度巻二〇」によれば草牟田村は鹿児島近在のうち「近名」に属していた[13]村高は「鹿児島寺社廻」によれば488石余、「天保郷帳」によれば716石余[3]、「郡村高辻帳」によれば716石余[9]、「三州御治世要覧」によれば517石余であった[9]1871年(明治4年)に鹿児島郡鹿児島近在下伊敷村に編入された[9][3]。特産品としてはつげ櫛があり、草牟田村で生産された櫛は「草牟田櫛」と呼ばれていた[9][14]

弾薬掠奪事件と西南戦争編集

廃藩置県後、不平士族による反乱が多発しており、これをみた明治政府1877年(明治10年)の1月から2月にかけて草牟田にあった大日本帝国陸軍の草牟田火薬庫(陸軍省砲兵属廠)に収納されていた火薬類の積み出しを始めた[15]私学校の生徒らは火薬類の積み出しを私学校撲滅策であるとして、火薬庫を襲撃し小銃や弾薬などを略奪した(弾薬掠奪事件)[15][8]。この事件をきっかけに西郷隆盛を盟主とする士族らによる武力反乱である西南戦争が勃発した[8]

西南戦争では草牟田の山は砲撃により山形が変化するほどの激戦地となった[9][3]。西南戦争終戦後、鹿児島県は臨時の監獄を草牟田に設置した[16]

草牟田町の設置と近代編集

1911年(明治44年)9月30日鹿児島郡伊敷村大字下伊敷小字宮ノ下、二月田、宇都、丸山、夏蔭ノ宇都、夏蔭、丸山外園、十月田、荒巻、上古川、柳田古川、外戸口、郷田、椎木山、前之谷下、松ヶ平、堤ヶ宇都、前谷上、後ヶ宇都、萬助ヶ宇都、猟師馬場、眞迫、北山迫、下之門、御舟崎、入舟、内屋敷、屋敷添、下川原、柵川原、屋敷内、柳田、大坪、中川原、上川原の区域が鹿児島市に編入され[17][18][19]、その区域を以て鹿児島市の町「草牟田町」として設置された[3][10]。鹿児島市編入時の草牟田町の人口は1,491人であった[10]

第二次世界大戦終戦後の1946年(昭和21年)には戦災復興事業の一つとして土地区画整理事業が実施されることとなり、草牟田地区も土地区画整理事業の対象となった[20]。戦災復興事業として行われていた土地区画整理事業は鹿児島市全体で1981年(昭和56年)までに完了した[21]

1976年(昭和51年)7月5日に城山・草牟田地区において住居表示が実施されることとなり、町域の再編が実施された[22][23]。それに伴い、草牟田町の一部より「草牟田一丁目」、草牟田町、玉里町の一部より「草牟田二丁目」が設置され[24][3]、草牟田町の一部が城山一丁目の一部となり、下伊敷町の一部が草牟田町に編入された[24][3][22]

町域の変遷編集

実施後 実施年 実施前
鹿児島市草牟田町(新設) 1911年(明治44年) 鹿児島郡伊敷村大字下伊敷(一部)
草牟田一丁目(新設) 1976年(昭和51年) 草牟田町(一部)
草牟田二丁目(新設) 草牟田町(一部)
玉里町(一部)
草牟田町(編入) 下伊敷町(一部)
城山一丁目(新設) 草牟田町(一部)
冷水町(一部)
長田町(一部)
玉里町(一部)

人口編集

町丁別編集

世帯数・人口[25]
世帯数 人口
草牟田一丁目 1,020 1,804
草牟田二丁目 1,535 2,837
草牟田町 221 379
2,776 5,020

人口の推移編集

以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。

統計年 人口
1995年(平成7年) [26] 6,042
2000年(平成12年) [27] 5,805
2005年(平成17年) [28] 5,490
2010年(平成22年) [29] 5,318
2015年(平成27年) [30] 5,082

文化財編集

国登録編集

市指定編集

  • 西田橋・地つき唄(無形民俗文化財(民俗芸能))[33]

施設編集

公共編集

教育編集

郵便局編集

  • 鹿児島草牟田郵便局[39]

寺社編集

その他編集

小・中学校の学区編集

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[40]

町丁 番・番地 小学校 中学校
草牟田一丁目 全域 鹿児島市立草牟田小学校 鹿児島市立伊敷中学校
草牟田二丁目 全域
草牟田町 全域

交通編集

道路編集

一般国道

鉄道編集

著名な出身人物編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
  2. ^ 鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年7月30日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 381.
  4. ^ 鹿児島県鹿児島市草牟田の郵便番号”. 日本郵便. 2021年3月5日閲覧。
  5. ^ 鹿児島県鹿児島市草牟田町の郵便番号”. 日本郵便. 2021年3月5日閲覧。
  6. ^ 年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
  7. ^ 住居表示実施区域町名一覧表”. 鹿児島市 (2020年2月3日). 2020年6月28日閲覧。
  8. ^ a b c 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 660.
  9. ^ a b c d e f g 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 179.
  10. ^ a b c d 木脇栄 1976, p. 102.
  11. ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 687.
  12. ^ 国指定名勝「旧島津氏玉里邸庭園」を紹介します”. 鹿児島県. 2021年3月5日閲覧。
  13. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 403.
  14. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 593.
  15. ^ a b 原口泉 et al. 2012, p. 273.
  16. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 669.
  17. ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 520.
  18. ^ 市村の境界変更(明治44年鹿児島県告示第400号、明治44年8月4日付鹿児島県公報3151号所収、  原本
  19. ^ 南日本新聞 1990, p. 818.
  20. ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 731.
  21. ^ 南日本新聞 1990, p. 772.
  22. ^ a b かごしま市民のひろば(昭和51年6月号)”. 鹿児島市 (1976年6月). 2021年1月9日閲覧。
  23. ^ 南日本新聞 1990, p. 778.
  24. ^ a b 町区域の新設及び変更(昭和51年鹿児島県告示第700号、昭和51年6月23日付鹿児島県公報第6946号所収)
  25. ^ 年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
  26. ^ 国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年3月5日閲覧。
  27. ^ 国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年3月5日閲覧。
  28. ^ 国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年3月5日閲覧。
  29. ^ 国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年3月5日閲覧。
  30. ^ 国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年3月5日閲覧。
  31. ^ 鹿児島県立鹿児島工業高等学校大煙突 かごしまけんりつかごしまこうぎょうこうとうがっこうだいえんとつ”. 文化遺産オンライン. 2021年3月5日閲覧。
  32. ^ 鹿児島市 2020, p. 6.
  33. ^ 鹿児島市 2020, p. 5.
  34. ^ 交番・駐在所等の所在地・電話番号”. 鹿児島県警察. 2021年3月5日閲覧。
  35. ^ 南日本新聞 2015, p. 989.
  36. ^ 南日本新聞 2015, p. 960.
  37. ^ 南日本新聞 2015, p. 963.
  38. ^ a b 南日本新聞 2015, p. 942.
  39. ^ 鹿児島草牟田郵便局(鹿児島県)”. 日本郵便. 2021年3月5日閲覧。
  40. ^ 小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年6月14日閲覧。
  41. ^ 鹿児島県 2006, p. 512.

参考文献編集

  • 鹿児島県『鹿児島県史 第六巻 上巻』鹿児島県、2006年。
  • 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第一巻』鹿児島市、1969年。
  • 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第二巻』鹿児島市長 末吉利雄、1970年。
  • 南日本新聞鹿児島市史 第四巻』鹿児島市長 赤崎義則、1990年。
  • 南日本新聞鹿児島市史 第五巻』鹿児島市長 森博幸、2015年。
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609
  • 芳即正五味克夫日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544
  • 原口泉、永山修一、日隈正守、松尾千歳、皆村武一『鹿児島県の歴史』山川出版社、2012年、第2版。ISBN 978-4-634-32461-9
  • 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎『鹿児島のおいたち』鹿児島市、1955年。
  • 木脇栄『かごしま市史こばなし』南日本新聞開発センター、1976年。
  • 鹿児島市内の指定文化財等一覧表”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年11月8日閲覧。

関連項目編集

座標: 北緯31度36分12.1秒 東経130度32分20.5秒 / 北緯31.603361度 東経130.539028度 / 31.603361; 130.539028