草鹿 浅之介(くさか あさのすけ、1900年10月25日 - 1993年8月11日)は、日本の裁判官検察官最高裁判所判事石川県出身。長兄は海軍軍人の草鹿龍之介[1]

概要編集

1925年(大正14年)に京都帝国大学法科を卒業[1]

1927年(昭和2年)12月に判事となり、東京地裁甲府地裁に勤務[1]1939年(昭和14年)5月に司法省から上海に派遣され、興亜院調査官、阿部信行特命全権大使随員、汪兆銘政権日華基本条約締結の法律顧問を務めた[1]

この後、東京で裁判官生活を送り、1946年(昭和21年)7月に函館地検検事正を務める[1]。その後、千葉地検検事正、最高検検事、法務府刑政長官、最高検公安部長、札幌高検検事長、福岡高検検事長、大阪高検検事長を歴任[1]。大阪高検検事長時代には岸本義広の選挙違反事件を指揮した[1]

1962年(昭和37年)8月に最高裁判所裁判官に就任[1]1970年(昭和45年)7月31日に仁保事件の裁判長として死刑判決を破棄して広島高裁にやり直しを命ずる破棄差戻し判決を言い渡した[2]。この判決について草鹿は「別件逮捕等の法律問題に触れなかったのは、それよりもまず被告が犯人であるかどうかという最も重要な問題に取り組んだからだ。最高裁が証拠調べをするかどうかについて、16年前の事件であるため、当時以上の証拠を集めうることは難しいと判断してやらなかった。差し戻した広島高裁での証拠が十分でなかったら無罪にせざるをえないと思う」と話した[2]

1970年(昭和45年)10月に定年退官[3]。その後は弁護士を登録し、三島事件の弁護人やロッキード事件田中角栄被告弁護団の最高顧問を務めた[3]

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h 野村二郎「最高裁全裁判官」(三省堂)106頁
  2. ^ a b 野村二郎「最高裁全裁判官」(三省堂)107頁
  3. ^ a b 野村二郎「最高裁全裁判官」(三省堂)108頁