荘伯(そうはく、? - 紀元前717年)は、中国春秋時代公族で、分家の曲沃の第2代当主(在位:紀元前738年 - 紀元前717年)。(ぜん)、桓叔の長男。

生涯編集

桓叔(成師)の没後に曲沃の当主となった鱓は、父の悲願である晋の翼宗家打倒の為に活発的に行動を起こす。紀元前724年には、翼宗家へ乗り込み、孝侯を暗殺するも、翼の家臣団が子息の鄂侯を擁立したために曲沃へと逃げ戻った。

そこで鱓は、今度はを味方に付け、紀元前719年に再び翼へと攻め込んだ。この時に桓王が鱓に援助をした事で、鄂侯はに出奔した。鱓は周王朝が自分の味方に付いた事で、晋の当主となって桓叔の悲願をかなえる事が出来ると期待したが、周王朝が鄂侯の子(『春秋左氏伝』では弟)の哀侯を擁立した事で、鱓は裏切られたと激怒し、哀侯も放逐してしまう。しかし、これに対して、翌紀元前718年に王室が公に鱓の討伐を命じた為、鱓は再び曲沃へと逃げ帰った。

紀元前717年、失意の鱓は子息の称(後の武公)に後事を託して逝去する。

死後、「」を諡され、荘伯と呼ばれる。

関連項目編集