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荘 勝雄(そう かつお、日本名:坂元 良嘉(さかもと よしか)、1959年2月1日 - )は、台湾台南市出身の元プロ野球選手投手)で野球指導者。右投げ右打ち。輔仁大学卒業。1991年に帰化。現在は千葉ロッテマリーンズの球団職員である。

荘 勝雄
Sheng-hsiung Chuang
20120908莊勝雄.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地  台湾
台南市
生年月日 (1959-02-01) 1959年2月1日(60歳)
身長
体重
175 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
初出場 NPB / 1985年4月10日
最終出場 NPB / 1995年9月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

経歴編集

台湾時代の1984年ロサンゼルスオリンピックに出場。郭泰源と共に先発を務め、銅メダル獲得に大きく貢献。翌年の世界選手権でMVPを獲得。同年ロッテに外国人助っ人として加入。最速148キロの速球とナックルボールなどの絶妙なコンビネーションで、先発・抑えにフル回転。入団年から5年連続2桁勝利を記録した。オールスターにも1回(1985年)出場している。

2年目の1986年には10連続セーブポイント(当時のパ・リーグ記録)を達成。スタミナを買われ、1987年から先発に定着すると、3年連続15完投以上の記録を残した。1991年12月2日に日本に帰化し、日本人選手として登録される[1]。しかし以後は成績が急落し3年間勝ち星なし(1992年 - 1994年)に終わる。チームが千葉に移ってから3年後の1995年に引退し、そのまま投手コーチに就任した。

1980年代後半のロッテを代表する助っ人であったとともに、地元台湾では「二郭一荘」と呼ばれ、郭源治中日)・郭泰源西武)と並ぶ国民的英雄である(ちなみに源治の方が先に日本に帰化した)。1989年6月7日には郭泰源と西武球場で9回を投げ合い、愛甲猛の本塁打による1対0で完封勝利し、荘はこのゲームを「ベストゲームだった」と振り返っている[2]

負けが多いことからも分かるように、調子の良し悪しがはっきりしていたが、当時貧打にあえいでいたロッテでは、援護点をあまり得られなかったことも関係している。1989年は4完封を記録しており、調子の良い時は黄金時代の西武打線さえ手も足も出ない程の投球を見せた。

2009年限りでコーチを退任。2010年からはチーム統括部テクニカルコーチとなり、ロッテ球団提携先の中国・江蘇ホープスターズに派遣され監督を務めた[3]2011年、やはりロッテ球団提携先の台湾・Lamigoモンキーズの顧問として迎えられ、3年間投手コーチを務めた。

2014年からはロッテの球団職員として働いていたが[4]、同年3月6日BCリーグ福井ミラクルエレファンツへトレーニングコーチとして派遣されることが発表された[5]。当初は9月15日までの予定であったが[5]、2015年以降も福井に派遣された。

2016年からは投手チーフコーチを務めた[6]2017年シーズン終了後、契約期間満了に伴い、福井のコーチを退任した[7]

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1985 ロッテ 34 22 9 1 1 11 10 4 -- .524 669 158.1 162 13 49 4 4 86 4 1 83 73 4.15 1.33
1986 49 10 5 1 0 11 5 18 -- .688 578 143.0 120 18 46 7 2 130 13 0 52 50 3.15 1.16
1987 28 28 20 0 3 13 11 0 -- .542 952 230.2 215 20 75 4 2 121 9 0 95 85 3.32 1.26
1988 29 28 16 2 0 13 14 0 -- .481 840 201.0 188 30 83 4 4 82 7 0 98 92 4.12 1.35
1989 28 27 15 4 0 11 15 0 -- .423 912 207.1 205 22 112 1 6 101 9 0 106 97 4.21 1.53
1990 33 11 3 0 0 5 14 9 -- .263 499 115.0 119 10 45 2 1 68 2 0 60 54 4.23 1.43
1991 29 15 6 1 0 5 8 2 -- .385 504 116.2 115 18 52 5 3 47 4 0 61 55 4.24 1.43
1992 15 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 148 33.0 37 7 15 0 0 12 3 0 21 21 5.73 1.58
1993 21 8 0 0 0 0 5 0 -- .000 264 56.0 60 2 35 0 1 24 1 0 30 24 3.86 1.70
1994 12 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 88 17.1 23 2 13 0 0 11 4 0 19 19 9.87 2.08
1995 19 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 126 27.0 36 4 10 3 0 11 1 0 20 18 6.00 1.70
通算:11年 297 150 74 9 4 70 83 33 -- .458 5580 1305.1 1280 146 535 30 23 693 57 1 645 588 4.05 1.39
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録編集

初記録
  • 初登板:1985年4月10日、対阪急ブレーブス2回戦(阪急西宮球場)、8回裏に3番手として救援登板・完了、1回2失点(自責点0)
  • 初奪三振:同上、8回裏に福原峰夫から
  • 初勝利:1985年4月13日、対西武ライオンズ1回戦(川崎球場)、10回表に3番手として救援登板・完了、2回無失点
  • 初先発・初先発勝利・初完投勝利:1985年4月16日、対近鉄バファローズ1回戦(日生球場)、9回1失点
  • 初セーブ:1985年5月11日、対近鉄バファローズ7回戦(藤井寺球場)、8回裏に3番手として救援登板・完了、2回無失点
  • 初完封勝利:1985年5月31日、対近鉄バファローズ9回戦(平和台球場
節目の記録
その他の記録
  • 毎回奪三振:1987年8月20日、対西武ライオンズ戦、 毎回1奪三振ずつの計9奪三振は史上3人目[8]
  • 5年連続二桁勝利:1985年-1989年、外国人投手ではジーン・バッキーについで史上2人目、1年目からでは史上初[9]
  • オールスターゲーム出場:1回 (1985年)

背番号編集

  • 15 (1985年 - 1995年、2011年 - 2013年)
  • 82 (1996年)
  • 97 (1998年 - 1999年)
  • 88 (2000年 - 2009年)
  • 75 (2010年)
  • 81 (2014年 - 2017年)

脚注編集

  1. ^ ベースボール・マガジン社刊「俺たちの川崎ロッテ・オリオンズ」63ページ
  2. ^ 白夜書房刊「野球小僧remix プロ野球外国人選手大事典」
  3. ^ 江蘇ホープスターズとの業務提携について
  4. ^ ロッテ、BCリーグの福井と指導者派遣の業務提携で合意
  5. ^ a b 千葉ロッテマリーンズとの業務提携のお知らせ
  6. ^ 2016年度首脳陣決定のお知らせ
  7. ^ “田中雅彦コーチが監督に昇格へ 福井ミラクルエレファンツ”. 福井新聞. (2017年12月16日). http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/272563 2018年1月21日閲覧。 
  8. ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」692 - 694ページ
  9. ^ ベースボール・マガジン社刊「俺たちの川崎ロッテ・オリオンズ」59ページ

関連項目編集