堵敖(とごう、生年不詳 - 紀元前672年)は、春秋時代の楚の王。杜敖(とごう)あるいは荘敖(そうごう)とも書かれる。姓は羋、氏は熊。諱は囏。
堵敖 熊囏 | |
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楚 | |
王朝 | 楚 |
在位期間 | 前675年 - 前672年 |
姓・諱 | 熊囏 |
没年 | 紀元前672年 |
父 | 文王 |
母 | 息嬀 |
文王と息嬀のあいだの子として生まれた。紀元前675年、文王が死去すると、後を嗣いで楚王となった。
紀元前672年、堵敖は弟の熊惲を殺そうとしたが失敗して、熊惲は随に亡命した。熊惲は随の国人の助けを借りて、堵敖を襲撃し、堵敖は殺害された。
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