菅原佐平

日本の海軍軍医

菅原 佐平(すがわら さへい、1885年明治18年〉3月17日 - 1969年昭和44年〉7月17日)は、日本海軍軍人(海軍軍医)、政治家。最終階級は海軍軍医中将一関市長。正七位

来歴 編集

岩手県西磐井郡真滝村出身[1]滝沢小学校一関中学校を経て、第二高等学校1911年東京帝国大学医科卒。同年海軍軍医となる。1928年海軍軍医大佐となり、1930年ロンドン海軍軍縮会議の随員として加わる。帰国後は第二艦隊軍医長などを務めた。1933年に湊海軍病院長に就任し、翌1934年に海軍軍医少将に昇進するとともに呉海軍病院長に就任、1935年に佐世保海軍病院長に就任した。1938年に海軍軍医中将に昇進し、間もなく予備役となった。

海軍を去った後は郷里に戻った。戦時中は地元の翼賛壮年団で活動したため、戦後、公職追放となる[2]

追放解除後の1955年に一関市が近隣の4村を合併し新一関市が発足し、それに伴い一関市長に就任した。一関市長を1963年までの2期8年務めた。1969年死去。

脚注 編集

  1. ^ 復刻真瀧村志 2003年 P.307
  2. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、589頁。NDLJP:1276156 

参考資料 編集

  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 真滝村志史復刻刊行委員会『復刻真瀧村志』一関プリント社出版部、2003年6月10日