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華厳滝

栃木県日光市の滝

華厳の滝(けごんのたき)は、栃木県日光市にある。発見者は勝道上人と伝えられ、仏教経典の1つである華厳経から名づけられたといわれる。華厳渓谷周辺では他に阿含滝、方等滝、般若滝、涅槃滝もあることから、五時の教判から、それらと同様に命名されたものと考えられている[1][2]

華厳ノ滝
Kegon Taki.jpg
所在地 栃木県日光市
位置 北緯36度44分16.5秒
東経139度30分07.1秒
座標: 北緯36度44分16.5秒 東経139度30分07.1秒
落差 97m
滝幅 7m
水系 利根川水系大谷川
Project.svg プロジェクト 地形
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概要編集

男体山噴火によってせき止められた中禅寺湖からの地表を流れる、唯一の流出口大谷川に存在する。落差97mの滝を一気に流れ落ちる様子は、日本三名瀑のひとつにも数えられている。霧降の滝裏見滝と合わせて日光三名瀑[3]とも、湯滝竜頭の滝と合わせて奥日光三名瀑とも言われ、日光・奥日光の三名瀑を合わせて日光五名瀑[3]と称されることもある。

滝から落ちる水の量は平均3tと言われている。また、多いときは100tに、少ないときは0.3t以下になることもある。

大尻川からは水量を操作できるようになっているうえ、下流に水力発電所があり、電力需要や防災などによって調節している。中禅寺湖から漏出した伏流水が中段部分から表出し、十二滝と呼ばれる無数の滝が簾状に並んで流れ落ち、年中を通して涸れることがない[4]。直下型の華厳滝と相まって、優れた景観を作りだしている。

滝の下流部には華厳滝が形成した華厳渓谷が続いており、崩れやすい男体山の噴出物を浸食しながら現在の位置へ移動した。一説によれば、太古の華厳滝は800mほど下流にあったという[2][5]。1986年(昭和61年)には滝口の一部が崩落した[6]ため、観光に配慮して外から見えないよう、危険な崩落の進行を防止する補強工事がされている。

滝付近の大谷川北岸には観光客向けの有料の華厳滝エレベーターが設置されており、エレベーターで降りた観瀑台からは滝壷を正面間近に見ることができる。また、エレベーターの駐車場がある渓谷北岸から見下ろす位置にも観瀑台が設けられているほか、第二いろは坂の中腹から明智平ロープウェイが通じている明智平から眺めることもできる。やや遠方にある明智平の展望台からは、中禅寺湖や男体山を滝と共に一望することができる。

1931年には国の名勝に指定され(「華厳瀑および中宮祠湖(中禅寺湖)湖畔」)、2007年には日本の地質百選に選定された(「華厳の滝」)。

交通編集

日光駅東武日光駅から東武バス日光の「中禅寺温泉駅」で 下車して、徒歩5分でつく。

自殺の名所編集

1903年(明治36年)5月22日、一高生の藤村操がこの滝の近くにある樫の木を削り、「巌頭之感(がんとうのかん)」と題する遺書を残して投身自殺した。その後彼に影響を受けた自殺が相次いだため、自殺の名所という評判が立ってしまった[1][7]

藤村の「巌頭之感」の続きは以下の通りである。

 
藤村操の遺書

悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。

なお、自殺の遺体は滝つぼまで落下せず回収が困難となることがある。2019年の例では、9月1日に滝から60m下の岩場で遺体が発見されたが現場へ到達できず、10月4日に周囲を通行止にしたうえで大型クレーンを数台現地に運び込み遺体回収が行われた。過去に回収が行われたケースでは、約300万円の費用がかかっており遺族に請求が行われる[8]

大尻川編集

中禅寺湖から華厳滝上流側までの流れは、厳密には大谷川とは別の川とされ、大尻川(おおじりがわ)と呼ばれている。中禅寺湖から華厳の滝までの距離はごく短いため、大尻川は日光でも特に短い川の一つである[9]

華厳渓谷編集

華厳滝の下流側には、大谷川に沿って華厳渓谷と呼ばれるV字谷が続いている[10]。男体山の噴出物でできた谷は崩れやすく危険であることから、現代においては無断での立ち入りが禁じられているが[10][2][6]、渓谷上流域や渓谷へと注ぐ支流の沢には阿含滝(あごんのたき)、涅槃滝(ねはんのたき)、白雲滝(しらくものたき)といった幾つかの滝がかかっている[11]。なお白雲滝は明智平の展望台から華厳の滝の隣にその姿を[12]、大谷川本流にかかる涅槃滝は華厳滝観瀑台の足元直下にその姿を見ることができる。

渓谷は、華厳滝と阿含滝が崩れやすい谷を浸食することによって形成されたといわれる[2]。かつて渓谷の上流域には遊歩道が設けられており、1950年代頃まではハイキングコースとして用いられ[2][6]、古くは渓谷の途中には茶屋や、岩壁を登って白雲滝の観瀑台へと至る道などもあったという[13]。現代においては、この旧遊歩道は渓谷内にある馬道発電所の管理用通路として用いられており、立ち入るには馬道発電所の許可が必要となっている[2]

渓谷の下流部は第一いろは坂となっており、この辺りからは大谷川支流にかかる方等滝(ほうとうのたき)、般若滝(はんにゃのたき)などの滝を見ることができる[14][15]。渓谷は第一いろは坂と第二いろは坂の分岐・合流点である「馬返」と呼ばれる場所まで続いており[2]、馬返という地名は奥日光地域が女人牛馬禁制であったことに由来している[1][16](詳細は「いろは坂」を参照)。

ギャラリー編集

脚注編集

参考文献編集

  • 奥村隆志「湯川・地獄沢・御沢」『日光四十八滝を歩く』随想舎、2000年3月15日、初版、77-92頁。ISBN 4-88748-036-9
  • 日光パーフェクトガイド』日光観光協会編、下野新聞社、1998年3月30日、初版、120-123頁。ISBN 4-88286-085-62010年6月16日閲覧。
  • 「華厳渓谷」『栃木と周辺の渓谷散歩と湧水めぐり』下野新聞社、1999年9月1日、初版、46-47頁。ISBN 4-88286-106-2
  • 土門公記 『藤村操の手紙』─華厳の滝に眠る16歳のメッセージ─ 下野新聞社、2002年7月27日、ISBN 4-88286-175-5

関連項目編集

外部リンク編集