菱木 哲哉(ひしき てつや・1946年11月 - )は、千葉県出身のオートバイロードレースライダー

全米ロードレース選手権、アメリカンホンダ時代には「マイク・菱木 (Mike・Hishiki )」と呼ばれていた。

1965年本田技術研究所に入社し、CB450CB750FOUR、CB250/350等の開発に従事。

1968年 / 1969年 / 1970年 鈴鹿10時間耐久レース(鈴鹿8耐の前身)で3年連続総合優勝をする。

アメリカでレースをするために本田技術研究所を退職。プライベーターとして全米ロードレース選手権に参戦。

1985年 に帰国し技術研究所に復帰。開発ライダーとして数々の製品に携わる。ホンダオリジナルヘルメットRHEOS(レオス)の開発で、アイルトン・セナのヘルメットを担当した。

1986年発売のFTR250カタログ表紙のライダーは菱木である。

漫画『あいつとララバイ』の主人公、菱木研二]の苗字「菱木」は、菱木哲哉から命名された。

ホンダ スーパーカブを愛用している。

経歴 編集

19**年 田中健二郎に弟子入り (通称「健さん学校」に入門)。高橋国光谷口直己北野元生沢徹 らは先輩にあたる。

1965年本田技術研究所に入社。ホンダ社内チーム「ブルーヘルメットMSC」に所属。

1966年、浜松ダートレース251cc以上クラス優勝、2位隅谷守男、3位大田耕治でブルヘルが表彰台独占。

1968年、MFJ年間最優秀選手賞で欧州に派遣される。同賞は67年大田、68年菱木、69年隅谷と同一チームが三年連続で獲得。この頃は”ブルヘル三羽ガラス”と呼ばれた。

     鈴鹿10時間耐久レースで 優勝 (ペアライダー 隅谷守男 )。

1969年、鈴鹿10時間耐久レースで優勝 (ペアライダー 隅谷守男)。

1970年、鈴鹿10時間耐久レースで優勝 (ペアライダー 隅谷守男)。

1971年、ダートレースに憧れ渡米、72年からロードレース全米選手権に参戦(完全プライベータ)。

1973年、ラグナセカで骨盤骨折、プロレースを断念。

1974年アメリカン・ホンダ・モーター 入社。

1985年、帰国し本田技術研究所へ復帰。

1991年、レオス・ヘルメット担当として、モナコGPからマクラーレン・ホンダに帯同。

2006年、本田技術研究所を定年退職。

2009年 フォトグラファー瀬谷正弘アメリカ1600kmクルージング敢行(VT1300にて)。

主な戦績 編集

1963年 鈴鹿18時間耐久レース 250ccクラス 3位

1964年 MFJ大島火山レース オープンクラス5位

1965年 鈴鹿24時間耐久レース 125ccクラス3位

1968年 ジュニア251cc以上クラス 年間チャンピオン

    鈴鹿10時間耐久レース 優勝 (ペアライダー 隅谷守男 )

1969年 鈴鹿10時間耐久レース 優勝 (ペアライダー 隅谷守男 )

1970年 鈴鹿10時間耐久レース 優勝 (ペアライダー 隅谷守男])

    MCFAJクラブマンレース251cc以上クラス優勝(筑波サーキット誕生後の初レース)

2004年 DE耐(優勝)

脚注 編集

参考文献 編集

外部リンク 編集