蒔田 定行(まいた さだゆき)は、備中国浅尾寄合旗本蒔田定正の長男。

 
蒔田定行
時代 江戸時代前期
生誕 元和6年(1620年
死没 元禄3年1月14日1690年2月22日
改名 広則(初名)、定行
別名 権太郎、久太郎、権佐(通称)
戒名 了心
幕府 江戸幕府 寄合旗本
主君 徳川家光家綱綱吉
氏族 蒔田氏
父母 蒔田定正戸田尊次
兄弟 依田信重室、定行山角定勝室、
池田長勝室、石河重勝室、蒔田広正室、
定則小堀政尹室、戸田忠辰
戸田忠能養女
三好氏、蒔田氏
津田正勝室、定次大久保忠照室、広蕃駒木根政方室、遠山伊清室、蒔田定矩室、品川伊氏正室、織田正英室、角南重世定矩石河勝栄
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生涯編集

寛永18年(1640年)11月22日、父の死後、遺領のうち7016石を相続し、弟定則に1300石を分与した。正保元年(1644年)4月24日、甲府城番となる。正保3年(1646年)10月、台徳院霊廟の普請を命ぜられ、慶安元年(1648年)10月には江戸城西の丸の普請を命ぜられる。承応元年(1652年)、旗本斉藤利意と共に下総国下館城在番となる。寛文2年(1662年)2月8日、定火消に任命され、駿河台土手に火消屋敷を与えられた。12月27日には布衣を許される。延宝3年(1675年)3月10日、持弓頭に転向。延宝5年(1677年)4月14日、百人組頭となる。天和2年(1682年)4月21日、上野国勢多新田山田郡内に700石の加増を受け7716余石となる。

元禄2年(1689年)12月29日に職を辞した。翌元禄3年(1690年)に死去、享年71。家督は婿養子・定矩が継いだ。

系譜編集

脚注編集