蔣介石政権(しょうかいせきせいけん)とは、中華民国における大陸時代の政権の1つ。中国国民党蔣介石を事実上の指導者(一時、国民党総裁と軍事委員長)とした南京国民政府(なんきんこくみんせいふ)の異称。

中華民国 南京国民政府
中華民國 南京國民政府
1927年 - 1948年
中華民国の国旗 中華民国の国章
国旗国章
国の標語: 民族、民権、民生
国歌: 中華民国国歌
中華民国の位置
1945年の中国
  中華民国(国民政府)の実効支配地域
  独立状態で中華民国の実効支配が及ばない地域
公用語 中国語国語
首都 南京1927年 - 1938年
重慶1938年 - 1946年
南京(1946年 - 1949年
台北 (1949年 - )
国民政府主席
1928年 - 1931年 蔣介石
1943年 - 1948年蔣介石
行政院長
1928年 - 1930年譚延闓
1947年 - 1948年張群
面積
1933年9,917,467km²
1946年9,676,204km²
人口
1933年441,089,000人
1947年455,590,000人
変遷
上海クーデター 1927年4月12日
南京国民政府成立1927年4月18日
易幟 (北伐完了)1928年6月9日
台湾光復1945年10月25日
中華民国憲法施行1947年12月25日
憲政期へ移行1948年5月20日
通貨法幣金円券銀円券
現在中華人民共和国の旗 中華人民共和国
中華民国の旗 中華民国 (台湾)
モンゴルの旗 モンゴル
先代次代
国民政府 国民政府
北京政府 北京政府
汪兆銘政権 汪兆銘政権
中華共和国 中華共和国
中華ソビエト共和国 中華ソビエト共和国
日本領台湾 日本領台湾
威海衛租借地 威海衛租借地
広州湾租借地 広州湾租借地
中華民国の歴史 中華民国の歴史
中華人民共和国 中華人民共和国
中華民国(台湾国民政府) 中華民国(台湾国民政府)
中華民国 中華民国
冀東防共自治政府 冀東防共自治政府
中華民国維新政府 中華民国維新政府
汪兆銘政権 汪兆銘政権
中華共和国 中華共和国
中華ソビエト共和国 中華ソビエト共和国
蒙古軍政府 蒙古軍政府
察南自治政府 察南自治政府
満州国 満州国
東トルキスタン共和国 東トルキスタン共和国
中華民国の歴史 中華民国の歴史

歴史編集

初期編集

中国国民党は中国共産党との国共合作を経て、1926年以後、蒋介石の指導の下に北伐を行って軍閥政権との戦いを続けた。だが、急激な勢力拡大と共産党勢力の浸透は反共的な蒋介石の支持者や経済界の不満を抱かせた。そこで、1927年4月上海クーデターを起こして共産党勢力や労働組合粛清を図り、同年4月18日南京に南京国民政府を樹立した。蒋介石はこれに反対する武漢国民政府を屈服させ、1928年6月には軍閥政府の根拠地である北京を陥落させた。

1928年10月、蒋介石は全国統一を受けて国民政府主席に就任し、「訓政綱領」と「国民政府組織法」を定めた。これは「以党治国」(国民党による国民政府の指導)と行政・司法・立法・考試・監察の5院制を定めたものであった。だが、翌年以後蒋介石の方針に反対する勢力と保内紛が勃発し、1931年5月には広州国民政府が成立して蒋介石を脅かした。だが、同年の満州事変の勃発が和解機運を生み出し、1932年1月には南京国民政府は統一を回復した。蒋介石は主席の地位を林森に譲って自らは軍事委員長に転じ、行政院長に汪兆銘(後に孔祥熙)を擁立したが、実権は蒋介石が掌握していた。

南京国民政府成立後最初の10年(南京十年)は、第一次上海事変の影響で一時洛陽疎開した他は南京にあり、関税自主権の回復や廃両改元などの幣制改革や鉄道網整備などの経済基盤を確立して都市の資本家や中間層の支持を固め、列強から認められる安定政権の確立に成功した。だが、内実は農村部における共産党勢力の浸透は重大な脅威とされ、日本の侵略に対する自国の国際的信頼の低さから、「先安内後攘外」(国内の安定化を優先し、その後で対外的危機にあたる)路線を打ち出して、国内各層の反感を買った。

日中戦争編集

その後、西安事件を機に蒋介石は「先安内後攘外」路線の放棄と国共合作の復活を余儀なくされる。1937年7月に始まった日中戦争は、12月13日に首都南京の陥落を招き、政府は武漢、ついで重慶への疎開を余儀なくされた(重慶国民政府)。この間国民参政会国防最高委員会を組織して、蒋介石に全国陸海空軍統帥権を付与するなど抗日戦争を指揮する体制を整備し、連合国から治外法権回復や軍事・経済援助を受けるなどの支援策を受け、1943年10月には蒋介石を再び政府主席とした。だが、汪兆銘の離反と支持基盤である東部の喪失、急速な財政悪化と物資不足、国民党と共産党との反目と事実上の内戦再開など、統治の不安定要素も増加していった。

国共内戦編集

1945年9月2日ポツダム宣言調印(日本の降伏)を機に首都南京を回復した蒋介石政権は、10月15日GHQの命令を受けて台湾に進駐し、10月25日光復式典によって台湾を編入した。蒋介石は国共内戦を開始する一方、1946年の制憲国民大会で成立した中華民国憲法1947年1月に公布、1948年3月には第1期国民大会が召集された。これをもって訓政及び国民政府制度の終了と立憲・民主政府による憲政確立が宣言され、蒋介石が新設の中華民国総統李宗仁副総統に選出された。だが、内戦に不利とそれに伴う経済危機克服のために程なく事実上の軍政に突入し、実態は国民政府時代と大きな違いはなかった。やがて、1949年1月21日に蒋介石は総統辞任と李宗仁への移譲を決断、4日後に政府の広州移転を決断して、南京国民政府はここに崩壊した。

1949年4月23日に中国人民解放軍が南京を占領、10月1日中華人民共和国が成立すると、共産党による中国大陸支配が始まった。これを受けて、2ヶ月後の12月7日に、中華民国政府は遷台を決定した。

関連項目編集

先代:
-
中華民国統治時代の台湾
南京国民政府
1945年-1949年
次代:
台湾国民政府
1949年-1996年