蕃書調所

1856年に発足した江戸幕府直轄の洋学研究教育機関。開成所の前身で東京大学の源流諸機関の一つ。

蕃書調所(ばんしょしらべしょ)は、1856年安政3年)に発足した江戸幕府直轄の洋学研究教育機関。開成所の前身で東京大学東京外国語大学の源流諸機関の一つ。蛮書調所とも表記する。

「蕃書調所跡」の碑。1856年安政3年)開設時の所在地に建立(東京都千代田区九段南)

概要 編集

1853年嘉永6年)のペリー来航後、江戸幕府蘭学にとどまらず海防に関わる外国の文献(蕃書)を日本語に翻訳させ洋学研究を充実する必要を痛感した。老中阿部正弘らの働きかけにより、従来は天文方の翻訳部門であった蛮書和解御用掛を拡充し(嘉永6年6月15日[1])、一方で異国応接掛という外交担当部署を新たに設けて[注釈 1]天文から切り離すと、1855年安政2年2月28日)に飯田町九段坂下、竹本図書頭[2]の屋敷[1]で洋学所の開設準備を始めさせ、8月には「洋学所」を開設した[3]。同年3月6日(旧暦1月18日)には小田又蔵、勝安芳(勝海舟)、箕作阮甫らを異国応接掛手付(事務方)蘭書翻訳御用に、旧暦8月30日に古賀謹一郎を洋学所頭取の職につかせていたが、洋学所自体は開設直後に安政の大地震で全壊焼失した。

洋学所は1856年3月17日(安政3年2月11日)に「蕃書調所」と改称、古賀を頭取とし[6]、教授職の箕作と杉田成卿に続いて川本幸民[注釈 2]が加わり、さらに教授手伝(てつだい)として村田蔵六こと大村益次郎以下[18]高畠五郎、松木弘安(のちの寺島宗則)、杉田玄端西周他をつけ1857年(安政4年1月18日)に開講した。

手伝いは開講当初に下命された手塚律蔵東条英庵原田敬策田島順輔木村軍太郎市川斎宮津田真道村上英俊小野寺丹元の他、安政4年に坪井信良、安政5年に赤沢寛堂、安政6年に箕作秋坪を増員した。

蕃書調所は幕臣の子弟を受け入れ[注釈 3]、蘭学を中心に英学を加えた洋学教育を行うとともに、翻訳事業[注釈 4]や欧米諸国との外交折衝も担当した。語学教育はたちまち隆盛し[21]、翻訳書は次第に充実して自然科学部門も置かれた。

幕府は1860年9月23日(万延元年8月9日)、幕臣子弟に西洋語学習得を奨励し、志望者は蕃書調所へ入学すべきと布達する。この年、オランダ人の殺害事件が発生、竹本図書頭正雅(神奈川奉行)は江戸から横浜運上所にイギリス副領事代理リチャード・ユースデンを呼んで仲裁を相談し、オランダ副領事ファン・ポルスブルック(神奈川在勤)と捜査や故人の葬儀を合議している[22]文久元年12月9日には陪臣にも同様の布達をした[23]1862年(文久2年)には学問所奉行および林大学頭[24]の管轄下に入り昌平黌と同格の幕府官立学校となった。1862年3月11日(文久2年2月11日)には数学科を設置し、神田孝平を教授として出役。

1862年(文久2年5月18日)、名称の「蕃書」が実態に合わなくなったことを理由に「洋書調所」と改められた。

学舎は一橋門外に新築して1862年(文久2年5月23日)から授業が行われた。1863年2月16日(文久2年12月28日)には教授の箕作阮甫[27]と川本幸民が幕府直参に列せられた[注釈 5]。1863年3月21日(文久3年2月3日)には洋書調所は学問所奉行の所管とされた。

1863年(文久3年10月11日)以降、「開成所」と呼ばれた。

留学生 編集

徳川慶喜が1867年(慶応3年)、弟の昭武(水戸藩)をパリ万国博覧会へ派遣すると、箕作麟祥はフランスに随行し、そのまま昭武の供をして留学生活に入り、1868年(明治元年)に昭武の帰朝に従って日本に帰国した。その後箕作は明治政府の官吏として法律分野の翻訳(法律書)や諸法典編纂作業(旧民法ほか)に従事し用語を定着させた。

所在地 編集

前身である洋学所は神田小川町に所在していたが、これが壊滅したため、蕃書調所は新たに九段坂下に講舎を新築し開講した。その後、井伊直弼政権期には洋学軽視政策の影響で1860年万延元年)に小川町の狭隘な講舎に移転されたが、1862年(文久2年)には一ツ橋門外「護持院原」(現在の神田錦町)の広大な校地に移転、これが後身機関である開成所・開成学校東京外国語学校東京大学法理文三学部に継承された。最初に蕃書調所が置かれた九段坂下(現在の九段南)には「蕃書調所」跡の碑が建立されている(画像参照)。

教育・研究内容 編集

語学 編集

1857年(安政4年)1月18日に開校式が行われ、オランダ語教育が始まる。箕作阮甫杉田成卿[28]ら教授陣は翻訳がほとんどで、指導は赤松則良ら句読担当の教授による個人指導がもっぱらであった。1860年10月7日(万延元年8月23日)に「英語句読」として設け、 堀達之助千村五郎竹原勇四郎箕作麟祥[注釈 6]西周らを教官として授業が始まる[注釈 7]。教授陣のまとめた英単語集は1866年に出版された[31][32]

フランス語の講義は1861年7月17日(文久元年6月10日)に村上英俊林欽次小林鼎輔らを教官として始まる。

ドイツ語は1862年(文久2年)に教官として市川兼恭加藤弘之らを迎え、正式学科となる。

精錬学 編集

1860年万延元年8月8日)、川本幸民[注釈 8]が主任となって「精煉学科」が設けられ、実験、薬品の製造、分析などが行われ[注釈 9]柳川春三桂川甫策、勝海舟が推薦した宇都宮三郎[注釈 10]などを擁した。

器械学 編集

市川兼恭の初仕事は1856年(安政3年)、竹橋御蔵にある汽車模型、電信機を動かすことで、どちらも1854年(安政元年)にペリーから献呈されたものであった[注釈 11]。実施されたテストでは、電信機を使って応接所とおよそ1マイル離れた家屋との間で通信が行われた[38]。また同年にプロイセン王国から電信機、写真機が外交官のフリードリヒ・アルブレヒト・ツー・オイレンブルクに託して献じられると、市川は操作方法の伝習に加藤弘之とともに着手する。

スタンホープ手引印刷機[注釈 12]1857年(安政4年)に動かした市川は、1858年万延元年10月)に器械学の主任に任ぜられる。ごく初期に印刷した欧文の書物は『ファミリアル・メソード』でローマ字活字を用いた。文久年間に入ると、新たに邦文の活字も鋳造し、二十数部の書籍を発行した。

物産学 編集

市川兼恭は1861年(文久元年4月)に物産学を講義に取り立てるよう建白し、物産学は国家経済の根本であること、外国貿易のためにも動植物[注釈 13]や鉱物類の品質調査の必要性を説いた[41]。植物、特に本草学に詳しい伊藤圭介が1861年10月22日(文久元年9月19日)に招集され、伊藤の研究は後進の田中芳男が引き継いだ。やがて動植物などに取り組んだ者の熱意は、明治期の博物研究会「温知会」へ継承された[42][43][44]

数学 編集

1862年文久2年)に神田孝平が教授出役を命じられる。慶応年間には生徒が約150人在籍して盛況だった。

画学 編集

1857年安政4年)に絵図調方として画家の川上万之亟が出役に任命された。その後、学科名は「画学科」に改称[45]

教職員 編集

蕃書調所職員明細帳国立国会図書館デジタル化史料)[46]による。

創設者 編集

西洋学、語学 編集

オランダ語、翻訳一般 編集

英語 編集

フランス語 編集

ドイツ語 編集

精錬学(化学) 編集

物産学 編集

数学 編集

筆記方 編集

画学 編集

主な出版物 編集

『海国図志[※ 1]』『瀛環志略[※ 2]』などは中国語から翻訳された。幕末期の日本に輸入された漢籍(洋書の中国語訳)に、中国人が西洋の情報を使って編集した書物が含まれ、その日本語版は先の2件のほか、合衆国全体の歴史や政治をまとめた元治元年の『大美連邦志略』〈地理全志〉上篇巻之1(1864年)がある。箕作阮甫が漢文に訓点を振った重訳で、ブリッジマンが中国語に訳した地理書(改訂版1861年)に基づく。原書は欧米から中国に赴任した宣教師がもたらし、それを中国語訳し編集した影には、中国が欧米諸国の進出を危惧した事情がある。日本の知識人は長年、漢文の読み下しに慣れていて、漢籍は広く流布していた。

国立国会図書館は、それら中国語図書その他の日本語訳に取り組んだ蕃書調所の教授や修了生の書籍を展示(2022年11月11日から12月9日[47])、目録をオンラインで公開する[注釈 14]

『海国図志[※ 1][※ 2]』、別題『瀛環志略[※ 3]』等の伝来
書名 著者、撰者 翻訳者 発行所 発行年 備考0000
海国図志 魏源 1875(光緒元)年(重刊) 100巻【290-G31k】
海国図志 魏源 撰 林尚書 訳、塩谷甲藏・箕作阮甫 校 須原屋伊八 1854(嘉永7)年 【W335-22】
海国図志–墨利加洲部 魏源 編  中山傳右衞門 校  和泉屋吉兵衞ほか 1854(嘉永7)年 8巻 【W487-N5】
美理哥国総記和解[注釈 15] 雞窓正木篤 1854(嘉永7)年 3編【W335-29】
続亜米利加総記[48] 広瀬竹庵 1854(嘉永7)年 2巻【W335-23】
海国図志–英吉利国部 [※ 2] 魏源( 塩谷宕陰(訓点)、箕作逢谷(訓点) 1856(安政3)5月
元は昌平坂学問所の蔵書、3冊(上、中、下)
海国図志 〔魏源〕編   写 巻39【宍戸璣関係文書(その2)279】
瀛環志略[49][注釈 16] 徐繼畭 撰  棪雲樓 1873(同治12)年 10巻【290-Z52e】
瀛環志略 徐継畬 井上春洋等(訓点) 米津清平 1861(文久元)年 10巻 【W996-N1341】
瀛環志略 徐継畬 井上春洋等(訓点) 1861(文久元)年 巻1,3【W996-N1311】
瀛環志略 徐継畬 10巻 【箕作阮甫・麟祥関係文書(寄託)31】
Handleiding tot de kennis der artillerie, voor de kadetten van alle wapenen[50]。3 druk。[士官候補生のためのあらゆる 武器の砲術の知識マニュアル]。 Overstraten, J. P. C. van Ter boekdrukkerij van de Gebroeders NYS, voor rekening van de Koninklijke Militaire Akademie 1850年 【蘭-1395】[28]
砲科新論 大鳥圭介 縄武館(蔵版) 1861(文久元)年 巻1-4【W451-N17】[51]
Handleiding tot de kennis der versterkings-kunst, ... 2. druk[52] Pel, C. M. H Gebr. Muller 1852 【蘭-3156】吉母波百児 ほか『築城典刑』(陸軍所、1864年)の原書[53]
築城典刑 吉毋波百児 大鳥圭介 1860(万延元)年 5巻【W153-N7】
Beschrijving hoedanig de Koninklijke Nederlandsche troepen en alle in militaire betrekkung staande personen gekleed, ...[54] Gebr. van Cleef 1823 【蘭-832】
和蘭官軍之服色及軍装略図[55] セウプケン 著述 山脇正民 講武塾蔵版 1858(安政5)年 【W442-30】村上文成 画 
地球説略 褘理哲[注釈 17] 著述 箕作阮甫 訓点 1860(万延元)年 【箕作阮甫・麟祥関係文書(寄託)37】[56]
地球説略疏証 〔箕作阮甫〕 自筆本 【箕作阮甫・麟祥関係文書(寄託)20】
種痘略観 Ponpe(Thm. J.L.C. Pompe van Meerdervoort 箕作阮甫[注釈 18] 自筆本  1857(安政4)年(序) 【箕作阮甫・麟祥関係文書(寄託)4】
玉石志林 箕作阮甫 箕作刊 4巻【W473-N8】
遐邇貫珍  〔箕作阮甫〕 自筆本 1853年12月、1855年9月、1855年10月 【箕作阮甫・麟祥関係文書(寄託)87】
和蘭宝函  写 〔江戸後期〕 【111-286】
六合叢談〔刪定本〕 〔洋書調所〕編  老皀館 【WB42-22-3】【特42-560】
中外新報  老皀館 1859年10月1日(第6号)【WB43-1-2】
バタヒヤ新聞[注釈 19] 〔蕃書調所〕 老皀館 1861年(10月5日) 【WB43-82】巻11
Elements of international law.[注釈 20] ヘンリー・ホイートン英語版 London : Sampson Low, son, & co. 1857 第6版【J-7】
万国公法 惠頓(ホートン)撰 丁韙良(ウィリアム・マーティン英語版 1864(同治3)年 4巻【W651-N4】
万国公法 惠頓 撰 丁韙良 萬屋兵四郎 〔江戸時代末期〕 巻4【W651-N5】
万国公法 〔惠頓〕撰 〔丁韙良〕  写 序・第1巻【杉浦譲関係文書119】
和解万国公法  写 【憲政資料室収集文書1247】
性法万国公法国法制産学政表口訣 Vissering 西周  写 【西周関係文書31a】
Volkenregt 万国公法(蘭文)  写 1863(文久3年頃) 【津田真道関係文書3】
万国公法 畢洒林(Vissering) 西周助 銭屋惣四郎ほか 1868(慶応4)年 4巻【W996-N25】
万国公法 4巻 シモン・フィセリングドイツ語版オランダ語版 西周助 竹苞楼ほか 1866(慶応2)年(序刊) 【W358-41】
泰西国法論  Vissering 津田真道 自筆本 1866(慶応2)年5月15日より6月25日稿 巻之一 【津田真道関係文書5】
泰西国法論 Vissering 津田眞一郎 18758(明治)年5月 【津田真道関係文書9-1】
書名 著者、撰者 翻訳者 発行所 発行年 備考

  1. ^ a b 籌海篇』 (俄羅斯國1巻普魯社國1巻)〈海國圖志〉https://www.iiif.ku-orcas.kansai-u.ac.jp/hakuen_bunko/002473933#?page=12024年1月20日閲覧 
  2. ^ a b c 独立行政法人国立公文書館海国図志』 1、国立公文書館〈内閣文庫 > 漢書 > 史の部〉https://www.digital.archives.go.jp/item/4168882.html2024年1月20日閲覧  NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN
  3. ^ 塩谷 1870, p. 42 コマ右

参考文献 編集

脚注に使用、主な執筆者、編者の順。

  • 天野 博之、新井 和孝「認定化学遺産 第026号 化学技術者の先駆け 宇都宮三郎資料 : 近代化学工業の成立と蘭学最後の系譜、そして和魂洋才の快男児」『特集 化学遺産の第5回認定』第67巻第7号、日本化学会、2014年7月、593-595頁、CRID 1520572358409491072 掲載誌別題『Chemistry & chemical industry』
  • 一坂 太郎「古文書を読む--村田蔵六の書翰」『歴史研究』第453号、戎光祥出版、1999年2月、60-65頁、CRID 1523669555968061312ISSN 0287-5403 
  • 上野 晶子(北九州市立自然史・歴史博物館)「幕末における海外文化の収集活動と翻訳について」、CRID 1040282257247559040 科研費研究、2013年4月1日 - 2020年3月31日
  • 大島 進「鳩居堂村田藏六による蘭語BERIGTENの譯述語「情貌ヲ報告」と其簡約語「情報」」『全国大会講演論文集』第46回、情報科学一般、1993年3月1日、21-22頁、CRID 1050292572100399872 
  • 落合 陽子「翻訳の役割--幕末期における軍事技術の受容・伝播と村田蔵六」『言語文化研究』第43号、聖徳大学大学院言語文化学会、2004年、13-25頁、CRID 1520009408157134080ISSN 1347-4987 
  • 金子 務「科学史の風雲児たち(20)箕作阮甫--大学者血脈の原点」『歴史読本』第49巻8(通号 777)、Kadokawa、2004年8月、236-239頁、NDLJP:R100000002-I000000024399-i6287538 国立国会図書館全国書誌番号:00024584
  • 「95. 蕃書調所職員明細帳」『よりすぐり国立国会図書館』(改訂版)国立国会図書館(編)、2018年10月、107-頁。 ISBN 978-4-87582-825-9NDLJP:R100000002-I029227629
  • 児玉幸多『日本史』 下巻、筑摩書房〈グリーンベルト・シリーズ〉、1965年。NDLJP:2965880 
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    • 章の欧文題名「List of Employees of the Bureau for the Inspection of Barbarian Books」
  • Perry, Matthew Calbraith(1794-1858) 著、鈴木周作 抄訳 訳「七、林大學頭」『ペルリ提督日本遠征記』大同館、明治45、181-186頁。doi:10.11501/1028757 NDLJP:R100000002-I000000592946
  • 『大日本古文書』東京大学1959年(昭和34年)刊の複製再刊より。
  • 東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館 編「エピローグ~東京の道をゆく~:125 ペリー舶載汽車模型之図 一枚 紙本著色 嘉永七年(一八五四)三月 95203043」『江戸の街道をゆく : 特別展』東京都歴史文化財団東京都江戸東京博物館、2019年4月https://jpsearch.go.jp/item/tokyomuseumcolection-edo_tokyo_museumjbD9520304312023年1月29日閲覧 ISBN 978-4-909155-10-8「ペリー舶載汽車模型之図」1枚 紙本著色 嘉永7年(1854)3月
  • 平野 恵「第1章」『近世日本の園芸文化 : 植木屋とその周辺』総合研究大学院大学、2005年。 博士(文学、甲第828号)
  • 道家 達將(茨城大学人文学部)「5. 幕末・明治初期の化学技術者、宇都宮三郎ゆかりの地を訪ねて(化学風土記 : わが街の化学史跡)」『化学と教育』第39巻第1号、公益社団法人 日本化学会、1991年、54-58頁、CRID 1390001204310595840 
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  • 日本歴史地理学会(編)「時評及彙報:箕作阮甫贈位奉吿祭」『歴史地理』第17巻第4号、吉川弘文館、1911年4月、108頁、doi:10.11501/3566387NDLJP:R100000002-I000000024395-d3566387 
  • 沼田 次郎「蕃書調所について」『日本医史学雑誌』 15巻、2 (1376)、日本医史学会、1969年8月、1-10(コマ番号4-8)頁。NDLJP:3359244  国立国会図書館デジタルコレクション。
  • 藤田 英夫「認定化学遺産 第052号 近代化学教育の礎を築いた「大阪 開成所全図」にみる舎密局 : 近代化学事始め」『化学と工業』第73巻第7号、日本化学会、2020年7月、544-546頁、CRID 1520009408147166720ISSN 0022-7684 
  • 村田 忠一「村田蔵六(大村益次郎)の学塾鳩居堂の所在地」『適塾』第42号、適塾記念会、2009年、104-107頁、CRID 1520573330019719424ISSN 0916-4030 

科研費研究 編集

実施順。

  • 吉田 忠(東北大学)「洋学者門人帳の分折とそのデータベース化」CRID 1040000782366555904、1988 - 1990年。
  • 道家 達將(電気通信大学、茨城大学)「幕末の洋学者宇田川榕菴の全手稿解題集大成とその解析による榕菴全体像の考察」CRID 1040282256548937216、1990年 - 1992年。
  • 塚原 東吾(東海大学)「舎密から化学へ:蘭学の重層性の研究」CRID 1040000781663564288、1995年 - 1995年。
  • 八百 啓介(北九州市立大学)、上野 晶子(北九州市立自然史博物館)「19世紀江戸幕府におけるオランダ語百科事典の翻訳」 |ref=CITEREF八百2006、CRID 1040282257427420800科研費研究、2006年 - 2008年。
  • 八耳 俊文(青山学院女子短期大学)「幕末期科学技術史に貢献したる学者・職人の著作物に関する研究」CRID 1040282256751319936、2002年 - 2005年。
  • 菅原 国香(東洋大学)「近世から近代に至る日本の化学用語の起源と定着過程の総合的研究」CRID 1040282256786317568、2003年 - 2004年。

関連項目 編集

初期の外交官

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 阿部正弘が厚く信頼した筒井政憲、川路聖謨、岩瀬忠震、古賀増を外交担当の異国応接掛に任命[1]
  2. ^ 箕作、杉田に加わった川本について菅原[7]、高橋[8]、塚原[9]、道家[10]、八耳[11]、吉田[12]らの研究がある。
  3. ^ 1857年2月12日(安政4年1月)の開講当初は、入学を許可されたのは幕臣の子弟に限定された。陪臣の入学は1858年7月3日(安政5年5月23日)に初めて許すが、一定の学力制限を設けた。これらの制限は文久2年6月7日に撤廃。
  4. ^ 箕作阮甫の訳した書書にWay, R. Q. 著『地球説略』(老皂舘、1861年[19])、杉田玄端、坪井信良と子安峻と取り組んだ『疫毒預防説』[20]
  5. ^ 箕作阮甫と川本幸民は洋学者として直参に抜擢された最初とされることがある。
  6. ^ 箕作麟祥は若くして父を亡くし、蘭学を祖父の阮甫から学んだ。父の省吾は祖父阮甫の門人で女婿、地理学者。1845年(弘化2年)に地理書『坤輿図識』を編訳、プリンセン著『世界地理書』など数種類の蘭書を収録。続編『坤輿図識補』を執筆[29]
  7. ^ 当初、英単語集はオランダ語から重訳された[30]
  8. ^ 川本幸民は現在の「科学」という学問分野を命名した。
  9. ^ 文久3年に雇われた辻新次の話では、イオンの溶液に青酸カリや食塩を投じて、青、赤、白などの色を出した。
  10. ^ 精煉方に入った宇都宮三郎[33][34](のち開成所化学[35]に転身)によると、元素の種類や各元素の原子量などを初めて知った日本人は、蕃書調所の科学者達であり、これを黙して外に語らなかったという。
  11. ^ アメリカ大統領の「プレゼント」[36]として扱われ、受領した時には返礼の品がペリーたちにも送られた。東京都江戸東京博物館には1854年に描かれた模型のスケッチ「ペリー舶載汽車模型之図」が保管されている[37]
  12. ^ 1849年嘉永2年)にオランダから江戸幕府に献上された設備。印刷博物館による展覧会(2006年10月14日-2007年1月10日)の図録にスタンホープ手引印刷機の紹介がある[39]ISBN 9784805112205
  13. ^ 江戸の本草学者と親交があった植木屋の柏木吉三郎は学究肌で、幕末から明治期に活躍し著作や、画稿、写本を残した。尾張藩医の伊藤圭介に見出されて幕府薬園や蕃書調所に勤めた柏木は、造園の実務ばかりか伝統的に本草を学ぶ家の出身で、父と兄との共著に『草木名鑑』がある[40]
  14. ^ 表はオンライン版「『海国図志』『瀛環志略』等の伝来」に依拠する。〈開国期における西洋知識の移入シリーズ〉より「知識を世界に求めて―明治維新前後の翻訳事情―[29]」コーナー。
  15. ^ 海国図志のうちアメリカ部分の翻訳。魏 源; 林 則徐 (嘉永7年). 美理哥國總記和解. 正木 篤. NCID BA49131211 出版地不明、正木仙八「序」。和装, 2, 21, [1]丁, 23cm。マイクロフィルムリール1巻 : ネガ、35mm、国際日本文化研究センター
  16. ^ 徐繼畬が編集した『瀛寰志略』(1849年=道光29年)は、19世紀半ばの西側諸国の情勢を記した書物で全10巻、約14万5千語、図版42点で構成される。ヨーロッパの地図を転写し、清と朝鮮と日本の地理地図を添えた。
  17. ^ 原文表記はWay, Richard Quarterman。その他別称あり(Ki, Ritetsu。Wei, Li-che。Wei, R. Q.。Wē, Richādo Kwōtāman)。褘 理哲(キ・リテツ、イ・リテツ)。
  18. ^ 扉に「痘瘡病及行預防牛痘種法以点化是病之略観」「日本長崎排刷一千八百五十八年」の和文と、欧文「door Thm. J.L.C. Pompe van meerdervoort, Officier van Gesondheid bij de koninglijke Nederlandsche Zeemagt」が記された(Thm.・ヨハネス・L・C・ポンペ・ファン・メールデルフォールト、オランダ海軍衛生士官)。
  19. ^ オランダ領東インドのバタビヤ(現・ジャカルタ)で発行された総督府政庁機関新聞『Javasche courant』が原典。1861年の北アメリカなど欧米のニュースを洋書調所が抄訳した。
  20. ^ 『万国公法』の原書。
  21. ^ 岩瀬忠震が地理の漢籍を翻刻した『地理全志』1858年(安政5年)があり、原典は宣教師ミュアヘッドの漢訳版(1853年-1854年)[29]

出典 編集

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  2. ^ 東京大学史料編纂所 編纂1986a, p. 48, 「安政六年己未 キリスト紀元千八百五十九年 二八 10月28日 将軍申渡書 小普請組支配竹本図書頭正雅へ 外国奉行任命の件」。東京大学史料編纂所 編纂 1986b, pp. 183, 195, 「安政六年己未 キリスト紀元千八百五十九年 八四 12月17日 横浜運上所対話書 神奈川奉行堀織部正利熙同竹本図書頭正雅と瑞西(スイス)使節リンダウと 条約取結断りならびに出府切手の件」、「八八 12月18日 横浜表対話書 神奈川奉行堀織部正利熙同竹本図書頭正雅目付神保伯耆守長興と英国総領事オールコックと 石炭飲水渡方蒸汽船取扱方蒸汽船乗組員洋銀引替ならびに類焼の外国人家屋賃借等の件」。東京大学史料編纂所 編纂 1986c, pp. 78, 195, 「万延元年庚申 耶蘇紀元千八百六十年」。東京大学史料編纂所 編纂 1986d, p. 1, 「万延元年庚申 キリスト紀元千八百六十年 一 三月朔日 横浜運上所対話書 神奈川奉行堀織部正利熙同竹本図書頭正雅ならびに神奈川在勤目付神保伯耆守長興と各国領事と 横浜居留地の件」。
  3. ^ 精選版「日本国語大辞典」『洋学所』‐ コトバンク
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  6. ^ 古賀謹一郎[4][5]
  7. ^ 菅原 2003, 「科研費研究」2003年 - 2004年
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  9. ^ 塚原 1995, 「科研費研究」1995年 - 1995年
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  11. ^ 八耳 2002, 「科研費研究」2002年 - 2005年
  12. ^ 吉田 1988, 「科研費研究」1988年 - 1990年
  13. ^ 一坂 1999, pp. 60–65
  14. ^ 大島 1993, pp. 21–22
  15. ^ 落合 2004, pp. 13–25
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  17. ^ 村田 2009, pp. 104–107
  18. ^ 村田に関する研究は一坂[13]、大島[14]、落合[15]、芝[16]、村田[17]らが手がけた。
  19. ^ NCID BC06216088、全3巻中現存するのは2巻
  20. ^ 『疫毒預防説』杉田玄端、箕作阮甫、坪井信良、子安峻 共訳『疫毒預防説』萬屋兵四郎出版代表、1862年、NCID BB18719522
  21. ^ 櫻井 豪人「第1節 蕃書調所・洋書調所・開成所の単語集俯瞰」『維新前後西洋語対訳単語集の基礎的研究』名古屋大学、2000年、106-(59コマ目)頁。doi:10.11501/3165231 博士(文学、甲第4490号)
  22. ^ 東京大学史料編纂所 編纂 1986c, pp. 78, 195, 「27 5月2日 横浜表対話書 神奈川奉行竹本図書頭正雅ならびに同松平石見守康直と江戸在勤英国副領事代理ユースデンと 蘭人殺害につき取計方の件」「39 2月6日 対話書 神奈川奉行酒井隠岐守忠行、同竹本図書頭正雅ならびに同松平石見守康直と神奈川在勤和蘭副領事ファン・ポルスブルックと蘭人殺害者探索方ならびに蘭人葬送の件」
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関連文献 編集

脚注に使用していない資料。発行年順。

外部リンク 編集