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蕭 振瀛(しょう しんえい)は、中華民国の政治家・実業家・銀行家。国民軍において文官として活動している。仙閣

蕭振瀛
Xiao Zhenying.jpg
プロフィール
出生: 1886年光緒12年)
死去: 1947年民国36年)5月8日
中華民国の旗 中華民国(国民政府)北平市
出身地: 清の旗 吉林将軍管轄区白都納副都統管轄区
職業: 政治家・実業家・銀行家
各種表記
繁体字 蕭振瀛
簡体字 肖振瀛
拼音 Xiāo Zhènyíng
和名表記: しょう しんえい
発音転記: シャオ ジェンイン
ラテン字 Hsiao Chen-ying
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事跡編集

商家の子として生まれる。1916年民国5年)、公立吉林法政専門学校を卒業する。帰郷して家業を継ぎ、白酒の販売や製粉の事業を手がけた。その傍ら吉林省議会議員も務めている。

1925年(民国14年)、同省出身の国民軍第6師師長石友三綏遠都統代理に赴任したと聞き、蕭振瀛はこれを頼って仕官した。臨河設治局(現在の内モンゴル自治区バヤンノール市臨河区)局長に任じられている。翌年春には、臨包道尹に昇進している。

同年10月、蕭振瀛は宋哲元の配下に転じ、西路軍総司令部軍法処長に任じられた。1927年(民国16年)11月には、西安市市長となっている。1930年(民国19年)の中原大戦の敗北後に宋が第29軍軍長に任じられると、蕭は同軍総参議に任じられた。1932年(民国21年)8月、宋が察哈爾省政府主席に任じられると、蕭は同省政府委員となっている。さらに、軍事委員会北平分会委員、行政院駐北平政務整理委員会委員も歴任する。

1935年(民国24年)11月、秦徳純の後任として察哈爾省政府主席に昇格した。12月には、冀察政務委員会委員を兼任し、天津市市長に転じている。翌年11月、冀察政務委員会経済委員会主席に任じられた。しかし、まもなく欧米の実業視察に赴いた。

1937年(民国26年)の日中戦争(抗日戦争)が勃発した後には、第1戦区長官部総参議に任じられた。1940年(民国29年)に辞任し、重慶に移住して大明公司を創設した。日中戦争終結後、上海に移って大同銀行を主宰している。西安・蘭州・北平・天津に分行(支店)を展開した。

1947年(民国36年)5月8日、北平で病没。享年62。

参考文献編集

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1
   中華民国(国民政府)国民政府
先代:
秦徳純
察哈爾省政府主席
1935年11月 - 12月
次代:
張自忠
先代:
程克
天津市長
1935年12月 - 1936年6月
次代:
張自忠