湘東王蕭繹の四男として生まれた。母は袁貴人。はじめ南安県侯に封じられた、父の蕭繹に従って江陵に下向した。547年(太清元年)、使持節・都督湘郢桂寧成合羅七州諸軍事・鎮南将軍・湘州刺史となった。548年(太清2年)、侍中・中衛将軍として召された。蕭繹が承制すると、方矩は王太子に立てられて、元良と改名した。552年(承聖元年)11月己卯、皇太子に立てられた。554年(承聖3年)、西魏軍が江陵を陥落させると、方矩は元帝とともに殺害された。
方矩は聡明だったが、父に似て凶暴で猜疑深かった。弟の敬帝蕭方智が承制すると、愍懐太子と追諡された。
- 『梁書』巻8 列伝第2
- 『南史』巻54 列伝第44