蕭 融(しょう ゆう、472年 - 501年)は、南朝梁皇族。武帝蕭衍の弟にあたる。は幼達。

経歴編集

蕭順之の五男として生まれた。483年永明元年)、の豫章王蕭嶷の下で大司馬行参軍をつとめた。494年隆昌元年)、鄱陽王蕭鏘の下で車騎行参軍となった。同年(建武元年)、太子舎人に転じた。江夏王蕭宝玄の下で車騎主簿をつとめた。ほどなく太子洗馬に任じられた。

500年永元2年)10月に蕭懿蕭宝巻に殺害された後、蕭宝巻が蕭懿の弟たちの捜索と逮捕を命じると、蕭融は捕らえられた。501年(永元3年)3月12日、蕭融は殺害された。散騎常侍・撫軍将軍の位を追贈され、桂陽郡王に追封された。は簡王といった。

妻子編集

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  • 王纂韶(473年 - 514年、琅邪王氏、王僧聡の娘)

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子はなく、兄の子の蕭淵象が後を嗣いだ。

伝記資料編集

  • 蕭融墓誌
  • 梁桂陽国太妃墓誌(王纂韶墓誌)
  • 梁書』巻23 列伝第17
  • 南史』巻51 列伝第41