薄井龍之

薄井 龍之(うすい たつゆき、文政12年(1829年[1] - 大正5年(1916年11月29日)は、幕末の志士、判事。通称は督太郎。字は飛虹、号は小蓮。

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略歴編集

信濃国飯田城下の醤油醸造業者の家に生まれる。18歳で江戸へ出て、昌平坂学問所の学僕となり、勉学に勤しむ。上洛して頼三樹三郎に師事し、尊皇攘夷思想を吹き込まれる。江戸に戻り、野田笛浦佐久間象山に学ぶ。安政の大獄で師の頼三樹三郎は捕縛されるが、救出を試みて失敗し、薄井も日本橋小伝馬町で入牢した。その後、脱獄して水戸へ逃れ、武田耕雲斎の元に身を寄せる。元治元年(1864年天狗党の乱に参加。しかし途中で脱退し、越前まで同行しなかったため、処刑は免れた。大政奉還後は新政府の軍監として奥羽を歴戦した。

明治維新後は岩倉具視の知遇を得て、開拓使監事、山形県参事、東京裁判所判事、名古屋裁判所長、秋田裁判所長などをつとめた。

栄典編集

脚注編集

  1. ^ 天保3年(1832年)とする説もある(Webcat Plus)。
  2. ^ 『官報』第907号「叙任及辞令」1886年7月10日。
  3. ^ 『官報』第1935号「叙任及辞令」1889年12月9日。

出典編集

  • 市村咸人『伊那尊王思想史』