薩摩土手

静岡県静岡市葵区にある江戸時代初期の堤防

薩摩土手(さつまどて)、または駿府御囲堤(すんぷおかこいづつみ)は、静岡県静岡市葵区にある江戸時代初期の堤防

薩摩土手(2015年8月8日)
地図
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徳川家康安倍川氾濫から駿府市街を守るために築堤した。

名に「薩摩」とあるように、築堤に薩摩藩が関わったとする伝承があるが、それを裏付ける確実な証拠は見つかっていない。

解説板(2015年8月8日)

概要 編集

征夷大将軍職を嫡男の徳川秀忠に譲り大御所となった家康が、1606年(慶長11年)ころから開始した駿府城拡張や安倍川治水工事(天下普請)の一環として造られた堤防である。本線となる堤防から枝状の支堤防がいくつか伸びる形状が、の飛翔する様に似ることから「雁行性(がんこうせい)堰堤」と呼ばれる[1]

地元では、薩摩藩主・島津忠恒により大量に運び込まれた石材・木材を用いて築堤されたと伝わり「薩摩土手」として親しまれているが[2]、工事に島津家が関与した事実は立証されていないという[3]

賤機山西側山麓、井宮(いのみや)妙見神社の山裾から南西方向に造られている。高さ約5.4メートル、全長約4キロメートルを測り、下流の駿河区中野新田(東名高速静岡ICの北側付近)まで続いていた。下流区間の約1.3キロメートルは堤としては残っておらず「さつま通り」(静岡県道354号静岡環状線の一部)となっているが、上流区間は残り、今も予備的な堤防として機能している[3]

2017年(平成29年)には公益社団法人土木学会選奨の土木遺産に認定された[4]

脚注 編集

参考文献 編集

外部リンク 編集

座標: 北緯34度59分18.7秒 東経138度22分12.5秒 / 北緯34.988528度 東経138.370139度 / 34.988528; 138.370139