藪塚本町

日本の群馬県新田郡にあった町
薮塚本町から転送)

藪塚本町(やぶづかほんまち)は、群馬県南東部、新田郡にあった人口約1万9千のである。 2005年3月27日に閉町した。

やぶづかほんまち
藪塚本町
藪塚温泉
廃止日 2005年3月28日
廃止理由 新設合併
太田市、新田郡尾島町、新田郡新田町藪塚本町太田市
現在の自治体 太田市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 群馬県
新田郡
市町村コード 10483-3
面積 20.97 km2
総人口 18,996
(2005年3月1日)
隣接自治体 桐生市、太田市、伊勢崎市、新田郡新田町、新田郡笠懸町
町の木 赤松
町の花 春蘭
藪塚本町役場
所在地 379-2393
群馬県新田郡藪塚本町大字大原661-1
(現・群馬県太田市大原町661-1)
座標 北緯36度21分31秒 東経139度17分52秒 / 北緯36.35867度 東経139.29767度 / 36.35867; 139.29767座標: 北緯36度21分31秒 東経139度17分52秒 / 北緯36.35867度 東経139.29767度 / 36.35867; 139.29767
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概要 編集

古くは桐生織物を支える養蚕の村々であった。

1889年に藪塚・本町・山ノ神・大久保・六千石・寄合の6村が合併して成立した。その後、100年以上にわたり他の市町村との合併や町域の変更、町名の変更などは行なわなかった。元々は桐生広域圏ではあったため、当時の町長であった小川喜一は桐生市との合併を検討していたが、桐生広域は桐生競艇の存続の是非について桐生市と新田郡笠懸町が反目。大間々 + 笠懸と合併するか、桐生 + 太田の中核市に加わるかという住民投票を行い(桐生市は調整難航から中途離脱)、2005年3月28日に旧太田市、新田郡尾島町、新田郡新田町との合併により太田市となり消滅した。

距離的に太田市街地より桐生市街地に近く、方言(群馬弁:桐生弁)や生活地域などで深い関係性を持っている。後桐生氏は、滅亡後にこの地区に多く移り住んだとされ、桐生姓が多いようである。

建造物など、文化財も多く指定されている。

なお、町名のの正式な表記は、つくりの下部の3本のはらいのうち下2本をまたぐ点が入る旧字体「 」である(「 」ではない)。

地理 編集

河川 編集

  • 蛇川

地名 編集

隣接自治体 編集

歴史 編集

約2万6000年以前、多種多様な土器や遺物が作られていた。古墳時代には100基以上の古墳が造られていたということが確認されている。

沿革 編集

行政 編集

町長 編集

  • 桐生 博司(きりう ひろじ)

交通 編集

鉄道 編集

 
藪塚駅

道路 編集

高速道路 編集

 
太田藪塚インターチェンジ

町廃止時は高速道路は通っていない。2008年北関東自動車道が開通し、旧町域に太田藪塚インターチェンジが供用された。

県道 編集

教育 編集

 
藪塚本町中学校

図書館 編集

児童館 編集

公共施設 編集

警察 編集

保健 編集

郵便局 編集

 
藪塚本町郵便局

公園 編集

 
藪塚本町中央運動公園

文化施設 編集

 
カルトピア(文化ホール・図書館)

観光 編集

 
藪塚本町歴史民俗資料館
 
ジャパンスネークセンター
 
三日月村

名所・旧跡 編集

寺社 編集

  • 三島神社
  • 長円寺
  • 常永寺

祭事・催事 編集

文化財 編集

[1]

重要文化財 編集

建造物 編集
絵画 編集
彫刻 編集
考古資料 編集
  • 中原生品神社境内の敷石住居跡
  • 石之塔遺跡の出土品

史跡 編集

天然記念物 編集

特産物 編集

 
贈呈された小玉スイカを食べる安倍晋三首相。

特産物は小玉スイカで、2019年3月20日に当時の安倍晋三首相へ贈呈が行われた[2]

関連項目 編集

脚注 編集

外部リンク 編集