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藤原安親

日本の平安時代の公家

藤原 安親(ふじわら の やすちか)は、平安時代中期の公卿藤原北家魚名流、摂津守藤原中正の三男。一条天皇大叔父官位正三位参議

経歴編集

朱雀上皇蔵人を経て天暦7年(953年)に村上天皇六位蔵人に補され、天徳元年(957年)に36歳で従五位下叙爵されて、父・中正も歴任した摂津守に任ぜられる。

応和2年(962年)治国の功労により従五位上に叙せられるとともに、大和守として引き続き地方官を務める。安和元年(968年正五位下左衛門佐に叙任されて京官に転じる。翌安和2年(969年安和の変発生後の閏5月に皇太子・守平親王の春宮権大進に任ぜられ、同年9月に守平親王が即位円融天皇)すると、大進の功労によって従四位下に昇叙された。

円融朝では相模守伊勢守と再び地方官を歴任する。永観2年(984年花山天皇の即位に伴って、妹・時姫の孫である懐仁親王が皇太子に立てられると、安親は春宮亮に任ぜられる。寛和元年(985年)従四位上。

寛和2年(986年寛和の変の結果、花山天皇が退位して懐仁親王は即位(一条天皇)すると、義弟の摂政藤原兼家の引き立てにより、安親は新帝の外戚として兼家の子息たちに次ぐ昇進を遂げ、同年正四位上蔵人頭に叙任されると、翌永延元年(987年)に参議に任ぜられ公卿に列した。その後も、永延3年(989年従三位に昇進し、正暦2年(991年正三位に至る。

長徳2年(996年)3月5日薨去[1]享年75。最終官位は参議正三位修理権大夫。

うつほ物語』研究者の中野幸一は、当物語の作者の人物像と安親の経歴が類似しており、天元元年(978年)の姪の藤原詮子の円融天皇への入内をきっかけに、この作品を著した可能性を指摘している[2]

官歴編集

公卿補任』による。

系譜編集

尊卑分脈』による。

脚注編集

  1. ^ 『日本紀略』
  2. ^ 中野[1958: 31]

参考文献編集

  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年
  • 中野幸一「うつほ物語作者攷 -その生存年代と社會的環境について-」『國文學研究』18号、早稻田大學國文學會、1958年