藤原 是行(ふじわら の これゆき/これつら)は、平安時代前期の貴族藤原南家巨勢麻呂流、春宮亮藤原三成の子。官位従四位下武蔵守

 
藤原 是行
時代 平安時代前期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従四位下武蔵守
主君 清和天皇陽成天皇光孝天皇宇多天皇
氏族 藤原南家巨勢麻呂流
父母 父:藤原三成、母:淡海清方の娘
兄弟 岳守岳雄、宜行、是行
不詳
時善
テンプレートを表示

経歴 編集

中宮少進を経て、貞観5年(863年従五位下備前介に叙任される。翌貞観6年(864年相模介に転じる。

貞観11年(869年刑部少輔に任ぜられて京官に復するが、翌貞観12年(870年)には美濃介に補せられ再び地方官に転ずる。のち、丹波介・同国守を経て、仁和2年(886年正五位下肥後守に叙任されるなど地方官を歴任した。

宇多朝以降、従四位下武蔵守に叙任されている。

官歴 編集

注記のないものは『日本三代実録』による。

系譜 編集

尊卑分脈』による。

  • 父:藤原三成
  • 母:淡海清方の娘
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原時善

脚注 編集

  1. ^ a b 『尊卑分脈』

出典 編集