藤原正和

日本の長距離走選手、コーチ

藤原 正和(ふじわら まさかず、1981年3月6日 - )は、日本の元陸上競技選手。現陸上競技指導者。専門は長距離走マラソン兵庫県神崎郡大河内町(現神河町)出身。西脇工業高等学校を経て中央大学文学部卒業。現在は中央大学陸上競技部長距離ブロック監督

藤原 正和 Portal:陸上競技
2012年ベルリンマラソン
選手情報
ラテン文字 Masakazu Fujiwara
国籍 日本の旗 日本
種目 長距離走マラソン
生年月日 (1981-03-06) 1981年3月6日(43歳)
生誕地 日本の旗 日本兵庫県神崎郡大河内町【現・神河町
身長 167cm
体重 54kg
自己ベスト 5000m 13分49秒33(2004年
10000m 28分17秒38(2000年
マラソン 2時間08分12秒(2003年
獲得メダル
陸上競技
ユニバーシアード
2001 北京 ハーフマラソン
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世界陸上競技選手権大会男子マラソンに過去3回日本代表ユニバーシアード北京大会ハーフマラソン、2010年東京マラソン優勝者。初マラソン元日本最高記録保持者。

略歴 編集

大学時代まで 編集

中学時代は3年時(1995年)に全日本中学校陸上競技選手権大会3000mに出場し2位の成績を残した。また第72回東京箱根間往復大学駅伝競走での小林雅幸の活躍を見て、箱根駅伝と5区の箱根山上りに憧れたという[1]。高校時代は故障に悩まされるが、3年時(1998年)にはインターハイ3000mSCに出場し3位入賞。第49回全国高校駅伝2区を区間4位で走り、西脇工業の2年連続7度目の全国高校駅伝優勝に貢献した[2]

大学時代は、中央大学の中心選手として長距離トラック種目や駅伝において活躍を見せ、大学4年間の3大駅伝(出雲全日本箱根)には全て出場を果たした。2001年中華人民共和国北京において開かれたユニバーシアードの男子ハーフマラソンにおいて優勝を果たした。 箱根駅伝では1~3年時に山登りの5区を担当し1年時に区間賞を獲得。このうち2001年、2年時の第77回箱根駅伝では前を行く法政大学・順天堂大学を交わし、中央大学37年ぶりとなる往路優勝のゴールテープを切っている。

4年時には花の2区に出走し8人抜きの走りを見せ、松下龍治(駒澤大学)やO・モカンバ(山梨学院大学)を抑えて区間賞を獲得。中央大学の襷を3区戸塚中継所へ35年ぶりに先頭でたどり着かせた。また、大学4年時の2003年には、世界陸上選手権男子マラソン代表選考会を兼ねた第58回びわ湖毎日マラソンに出場[3]。残り5km付近までトップ争いを演じ、日本人トップとなる3位入賞を果たした。この時記録した2時間08分12秒のタイムは、五輪銀メダリスト森下広一の初マラソン最高記録や佐藤敦之早稲田大学)の日本学生最高記録を上回る新記録となった。この結果により、世界陸上パリ大会代表に内定した。

社会人(ホンダ所属)時代 編集

2003年にホンダ入社後は日本選手権などに出場。しかしその後、右腸脛靭帯炎[4]を発症、その症状が悪化してしまい世界陸上選手権出場を断念、1週間前に出場辞退を表明した[5][6]。この後には故障と肝機能低下により思うように走れない期間があったという[7]。2008年第52回全日本実業団駅伝では7区アンカー区間を走り、区間賞を獲得した。2010年第54回全日本実業団駅伝では4区を担当、前を行く北村聡日清食品グループ)・尾田賢典(トヨタ自動車)を後半で交わし、先頭に立った。

2010年2月28日の東京マラソン2010では、雨や雪が降る悪天候で20kmの通過が1時間1分41秒とスローペースで進むレース展開の中、40km過ぎからスパートして抜け出し、藤原新・佐藤敦之らを抑え2時間12分19秒のタイムで優勝[8]。3度目の挑戦でマラソン初優勝、また男子日本人選手による初優勝となった。

2012年2月26日の東京マラソン2012では、ライバルの藤原新・川内優輝らと共に国内招待選手でエントリー、日本人トップと同年8月開催のロンドンオリンピック男子マラソン代表選出を目指して出場。序盤の3km付近、外国選手らハイペースの先頭集団へ積極果敢についた日本選手は藤原正和一人だったが、17km過ぎで先頭集団から徐々に遅れ初め、中間点辺りで日本選手らの第2集団に吸収される。その後25km地点を過ぎると第2集団からも離されて31位となった。

2013年3月3日の第68回びわ湖毎日マラソンでは、30kmを過ぎた後ロンドン五輪男子マラソン代表・山本亮ら他有力選手が脱落する中、先頭集団に位置してレースを進めるが、37Km辺りから徐々に後退。優勝したヴィンセント・キプルトと17秒差となる、2時間08分51秒と日本人トップの4位でゴール。同年8月開催の世界陸上モスクワ大会への内定条件となる2時間8分未満には及ばなかったが、世界陸上選手権男子マラソン日本代表に名乗りを挙げ[9][10]、同年4月25日に10年ぶり2度目の世界陸上へ正式に選出された。

2013年8月17日に開催された世界陸上モスクワ大会・男子マラソンでは20Km付近まで先頭集団についていたが、その後脱落。結局8位入賞には届かなかったが、日本人では中本健太郎(5位)に次ぐ2番目の14位に入った。

2014年12月7日開催の第68回福岡国際マラソンに出場。30Km付近で優勝争いからは脱落するも、日本人では首位となる2時間9分06秒の4位に入る。翌2015年8月開催の世界陸上北京大会男子マラソン代表の有力候補となり、2015年3月11日に同世界陸上選手権へ2大会連続3度目の日本代表選出が正式に決まった。

世界陸上北京大会開幕日の2015年8月22日、男子マラソンに出場したが、中間点付近で先頭集団から脱落。その後徐々に順位を落とし、結果21位と日本男子ではトップだったが目標の8位入賞には届かず、翌2016年開催のリオデジャネイロオリンピックの男子マラソン内定には至らなかった(前田和浩は40位、今井正人は欠場)[11][12]。2016年3月6日の第71回びわ湖毎日マラソンに出場予定だったものの、右足脛部の疲労骨折により欠場、リオ五輪男子マラソン日本代表入りを断念した[13]

指導者(中大陸上部監督)時代 編集

2016年3月、現役引退を表明しホンダを退社。同時に、母校・中央大の陸上部駅伝監督に就任することが発表された[14]。ここ近年の中大陸上部は、箱根駅伝において4年連続でシード落ちするなど不振が続いており、同年5月には上級生達の原付バイク運転禁止・門限無しを月1回に厳しくするなどチーム改革に着手[15]。さらに同年7月には、主将副主将を4年生から1年生に交代させるなど、異例の大改革を公表した[16]

しかし、同年10月15日開催の第93回箱根駅伝・予選会では、同駅伝本戦通過となる10位以内に入れず、日本大学とは44秒の差で11位と敗北。これにより、中大陸上部の箱根駅伝・本戦出場権は、87回連続でついに途切れてしまう[17]。予選会当日の夜、中大のミーティングでは藤原曰く「来年の予選会は絶対負けられない。突破しなければ本当に中大は終わってしまう」と危機感を募らせていた[18]

その後は着実に強化が進み、第97回箱根駅伝では総合12位に終わるも復路3位、第98回箱根駅伝では総合6位とシード権を獲得。第99回箱根駅伝では総合2位と躍進を遂げている。

主な戦績 編集

大会 種目 順位 記録 備考
1998 第51回全国高等学校総合体育大会 3000mSC 3位
2000 第28回世界クロスカントリー選手権 ジュニア 14位 24分20秒 8km
2000 第79回関東学生陸上競技対校選手権大会 10000m 4位 29分13秒79
2001 第5回日本学生ハーフマラソン ハーフマラソン 優勝 1時間03分40秒
2001 第21回ユニバーシアード ハーフマラソン 優勝 1時間04分12秒
2001 第70回日本学生陸上競技対校選手権大会 10000m 6位 28分48秒87
2001 第70回日本学生陸上競技対校選手権大会 5000m 7位 14分05秒25
2002 第81回関東学生陸上競技対校選手権大会 10000m 3位 28分39秒32
2002 第71回日本学生陸上競技対校選手権大会 10000m 5位 29分31秒03
2002 第71回日本学生陸上競技対校選手権大会 5000m 3位 14分01秒48
2003 第58回びわ湖毎日マラソン マラソン 3位 2時間08分12秒 初マラソン日本最高記録・国内学生新記録
2003 第87回日本陸上競技選手権大会 10000m 15位 28分57秒65
2003 第9回世界陸上競技選手権パリ大会 マラソン 欠場 記録無し 団体戦の日本代表は金メダル獲得
2005 第39回青梅マラソン 30km 2位 1時間32分25秒
2006 第39回札幌国際ハーフマラソン ハーフマラソン 31位 1時間04分26秒
2007 第9回アジアクロスカントリー選手権大会 シニア 4位 36分53秒 12km, 日本人1位
2008 第63回びわ湖毎日マラソン マラソン 9位 2時間12分07秒
2010 東京マラソン2010 マラソン 優勝 2時間12分19秒
2010 ベルリンマラソン マラソン 9位 2時間12分00秒
2012 東京マラソン2012 マラソン 31位 2時間16分46秒
2012 第55回札幌国際ハーフマラソン ハーフマラソン 15位 1時間03分28秒
2012 ベルリンマラソン マラソン 10位 2時間11分31秒
2013 第68回びわ湖毎日マラソン マラソン 4位 2時間08分51秒 日本人1位
2013 第14回世界陸上競技選手権モスクワ大会 マラソン 14位 2時間14分29秒 日本人2位
2014 第68回福岡国際マラソン マラソン 4位 2時間09分06秒 日本人1位
2015 第15回世界陸上競技選手権北京大会 マラソン 21位 2時間21分06秒 日本人1位

駅伝成績 編集

大会 区間 距離 順位 記録 備考
1998 第49回全国高等学校駅伝競走大会 2区 3.0km 区間4位 8分27秒 西脇工業優勝
1999 第11回出雲全日本大学選抜駅伝競走 5区 7.3km 区間3位 21分30秒
1999 第31回全日本大学駅伝対校選手権大会 8区 19.7km 区間4位 1時間00分39秒
2000 第76回東京箱根間往復大学駅伝競走 5区 20.7km 区間賞 1時間11分36秒
2000 第12回出雲全日本大学選抜駅伝競走 5区 7.3km 区間2位 21分21秒
2000 第32回全日本大学駅伝対校選手権大会 8区 19.7km 区間3位 1時間00分13秒
2001 第77回東京箱根間往復大学駅伝競走 5区 20.7km 区間2位 1時間13分51秒
2001 第13回出雲全日本大学選抜駅伝競走 6区 10.2km 区間5位 30分50秒
2001 第33回全日本大学駅伝対校選手権大会 8区 19.7km 区間4位 58分49秒
2002 第78回東京箱根間往復大学駅伝競走 5区 20.7km 区間3位 1時間14分36秒
2002 第7回全国都道府県対抗男子駅伝 7区 13.0km 区間13位 38分32秒
2002 第14回出雲全日本大学選抜駅伝競走 3区 8.5km 区間2位 25分16秒
2002 第34回全日本大学駅伝対校選手権大会 2区 13.2km 区間8位 39分22秒
2003 第79回東京箱根間往復大学駅伝競走 2区 23.2km 区間賞 1時間07分31秒 8人抜き
2004 第48回全日本実業団対抗駅伝競走大会 5区 15.9km 区間11位 48分36秒
2004 第45回東日本実業団対抗駅伝競走大会 3区 12.6km 区間賞 35分58秒
2005 第49回全日本実業団対抗駅伝競走大会 2区 22.0km 区間9位 1時間03分53秒
2007 第48回東日本実業団対抗駅伝競走大会 5区 9.7km 区間3位 28分43秒
2008 第52回全日本実業団対抗駅伝競走大会 7区 15.7km 区間賞 46分53秒
2009 第53回全日本実業団対抗駅伝競走大会 6区 11.8km 区間6位 35分33秒
2009 第50回東日本実業団対抗駅伝競走大会 7区 13.5km 区間賞 39分32秒
2010 第54回全日本実業団対抗駅伝競走大会 4区 22.3km 区間8位 1時間03分48秒
2011 第55回全日本実業団対抗駅伝競走大会 6区 12.5km 区間11位 37分35秒
2011 第52回東日本実業団対抗駅伝競走大会 7区 13.5km 区間賞 39分31秒
2012 第56回全日本実業団対抗駅伝競走大会 4区 22.0km 区間5位 63分46秒
2013 第57回全日本実業団対抗駅伝競走大会 7区 15.5km 区間8位 48分01秒
2014 第58回全日本実業団対抗駅伝競走大会 7区 15.5km 区間4位 48分37秒

自己ベスト 編集

脚注 編集

  1. ^ 「第76回箱根駅伝2日号砲 伝統のロード駆け、タスキは2000年代へ」『読売新聞』1999年12月30日東京朝刊、14頁。
  2. ^ 同学年に清水兄弟(将也、智也)、下級生に藤井周一らがいた。
  3. ^ 招待選手として出場依頼されながらも一般参加で臨んだため、最後尾スタートの不利な条件となった。
  4. ^ スポーツの達人に聞け ランナー膝 別名:腸脛靱帯炎 日本シグマックス株式会社 2009年11月29日閲覧。
  5. ^ 世界陸上パリ大会 陸上NEWS TBS(03-08-27) 2009年11月27日閲覧。
  6. ^ 補欠五十嵐範暁中国電力)が選出するも、既に補欠繰上げの有効期限が切れた後の対応により、欠員補充されず五十嵐も正式選手として出場出来なかった。
  7. ^ 「東京マラソン 藤原正 初V」『日本経済新聞』2010年3月1日、大阪朝刊、スポーツ面、41頁。
  8. ^ sportsnavi 東京マラソン2010(10-02-28).2010年2月28日閲覧。
  9. ^ 藤原が4位 世界陸上代表へ前進=びわ湖毎日マラソン スポーツナビ (2013-03-03). 2012年3月3日閲覧
  10. ^ 陸上 : 第68回びわ湖毎日マラソン スポーツナビ (2013-03-03). 2012年3月3日閲覧
  11. ^ スポーツナビ 世界陸上 男子マラソン
  12. ^ 21位の藤原「申し訳ない」=世界陸上・男子マラソン(スポーツナビ)
  13. ^ 【マラソン】世陸代表・藤原、びわ湖を欠場(報知新聞)
  14. ^ 【陸上】ホンダの藤原正和が引退、母校・中大の陸上部駅伝監督に就任(スポーツ報知)[リンク切れ]
  15. ^ [【箱根への道】中大・藤原新監督、チーム改革に着手…原付きバイク禁止、門限なしも月4→1回に(スポーツ報知)]
  16. ^ 箱根への道】中大、名門復活へ大改革 主将&副将を1年生に(スポーツ報知) - ウェイバックマシン(2016年7月11日アーカイブ分)
  17. ^ 【箱根駅伝予選会】中大、11位!87回連続で途切れた(スポーツ報知) - ウェイバックマシン(2016年10月20日アーカイブ分)
  18. ^ 中大、箱根落選から一夜明け再スタート 藤原監督「来年突破できなければ中大は終わってしまう」(スポーツ報知) - ウェイバックマシン(2016年10月19日アーカイブ分)

参考資料 編集

外部リンク 編集